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綿が弾けた日 

「全部ここに出して」

ごそごそと、スーパーのビニール袋から。

それとスカートのポケットからも出す。

「これで全部?」

私はうなずく。

「こっちはね、ちゃんと見てるんだよ。まだあるよね」

「これだけです」

   バン!!

テーブルを思い切り叩くと店長は怒鳴った。

「大人をバカにするのも、いい加減にしろよ!キミはブラウスの襟元からも品物を入れたよな」

私は、ゆっくりブラウスの中に手を入れると、胸元にあった物を取り出した。

それはベビーコーナーで万引きした、おしゃぶりや涎掛けなどであった。

「ほらみろ!あるじゃないか。甘く見るんじゃないよ」

誰かがノックして、店長室のドアが開いた。


「この子の母親が来ました」

エプロンをしたおじさんが、そう云った。
惣菜コーナーの人だ。

「失礼致します」

お母さんは、私のところへ来ると、ピシャッと頬を叩いた。
そして目の前に居る店長に、何度も何度も頭を下げた。


「この度は、家の子が大変ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません」

そう云うと私を睨みつけた。
「旭!椅子から立ちなさい!」と云い、私は仕方なく立つことにした。

「何してるの、きちんと謝りなさい」
そう云って無理やり私の頭を押さえて、下に向けさせた。

私は黙って下を向いている。

「ちゃんと口に出して謝りなさい。
早く!」

その様子を見た店長は、薄笑いを浮かべた。


「お母さん、もういいですよ。こちらとしても、悪いと思ってないのに口先だけで謝られてもね」

店長が話し終えると同時に、お母さんの体がよろけた。
顔は真っ青だ。

「お母さん大丈夫ですか?」

さっきのエプロンのおじさんが心配そうにしている。
「は……い、少し目眩がして」

「とにかく椅子に座って。誰か、水を持って来てくれ」

事務の女の人が急いで水の入ったコップを、お母さんに差し出した。
「どうぞ、飲んでください」

お母さんは小さな声で
「すみません……」

とだけ云うと、コップに口を付けて少しだけ水を飲んだ。


店長は眉間にシワを寄せながら云った。
「とにかく中学校には連絡させてもらいますよ。万引きした品数もかなり多いし、本人に反省の色が見られないんでね」


お母さんは震えながら、はい、と応えた。

数分後、全額支払うと、私たちは外に出た。


真夏の熱気が身体中にまとわり付く。

だから、私は夏が嫌いだ。
汗でベトついた服も気持ちが悪かった。

「あの、おじさんも暑いだろうな」


毎週、月曜日に店を出し、傘や靴などの修理をするおじさんがいる。

植物が好きで、自分でも育てていると云っていた。
毎回、鉢植えを一つ、持参して来る。今日は白っぽい花の鉢植えだ。


市役所から時刻を告げる音楽が、流れてる。

もうそんな時間なんだ。
どうりで、お腹が空くわけだ。

でも、お母さんは夕食を作ってくれるのだろうか。


私もお母さんも、さっきからずっと、黙ったままだ。


暫く経った頃、お母さんがポツリと云った。


「旭、あなたはいつから、そんな風になってしまったの」

お母さんは、私を見ずに、独り言のように呟いた。

“そんな風”って、どんな風のことを云ってるの?


万引きなら、とっくにやってるよ。
小学4年の時から何回も。
見つからなかっただけだよ。

勿論こんなこと、お母さんに、話せっこない。

辺りが段々と、薄暗くなっていく。

その時、何かの気配を感じて、私は空を見上げた。

そこには在ったのは、大きな満月。
でも、それは

まるで、夏祭りの夜店で売ってるビー玉のようで、どこか偽物のように私には映った。


本当に本物なの?

あの満月。

見れば見るほど、偽物に見えてくる。


「はぁ〜」

お母さんがため息をつく。

私が万引きしたことを、お父さんに話さなければいけないからだ。

そのことが、お母さんの気持ちを重くしている。


私だって嫌だ。
お父さんは話しが長いのだ。
ずっと叱り続けるのを、訊いてるふりをするのは、とても苦痛だ。

いっそのことあの黄色いビー玉が私を吸い込んでくれればいいのに。
そしたら流れて来た雲を捕まえて、私はその中に、潜って隠れてしまいたい。


しかしビー玉は、私を吸い込んではくれないのだ。

偽物のクセに。

役に立たない黄色いビー玉。


誰か私に“役立たず”って云った?

空耳。でも……当たってるよ。


その日は宅配を注文した。

いつもは、いい顔をしないファストフードを注文しても、お母さんは何もいわなかった。

そしてお父さんのお説教は、やっぱり長かった。


翌日、学校からお母さんが呼び出され、職員室で私と並んで立つと、コアラ顔の担任の先生から、かなり厳しく注意をされた。


私が教室に戻ると昼休みも終わり、授業が始まるところだった。


お母さんは、きっとうつむきながら、青白い顔で正門を出て行ったのだろう。

私はお母さんに悪いことしたなって思ってる。
嘘じゃない。


その夜も、私はいつもの夢の中にいた。

今夜の私は泣いている。

あまりに痛くて泣いている。

お母さんが私の足を踏んでいるのだ。
かかとがピンヒールの靴を履いて、私に背を向けて、誰かと喋ってる。

私は何故か裸足で、お母さんのハイヒールのかかとが皮膚に穴が開きそうに食い込んでる。


お母さん痛いよ!

そう云いたいのに声が出ない。

仕方がないから、お母さんの背中に触ろうとしたけど、手も動かない。

私の足は紫色になり、みるみるドス黒くなっていく。
そしてとうとう血が吹き出した。

立っていられなくなった私は、貧血になりかけて、地面に座り込んだ。
まだ踏まれたままの私の足からお母さんの脚を両手で持ち上げて、その隙に自分の足を横に移動した。


血が止まらない。

私はランドセルから、ハンカチを出すと、血が溢れる穴を押さえた。
二枚持ってたハンカチは、瞬く間に真っ赤に染まってしまう。

急に激痛が走り、私は悲鳴をあげた。

その時、お母さんはやっと私に気がついた。

「どうしたの、その怪我は。血が流れてるじゃない。救急車を呼ばないと」


そこで目が覚めた。

枕は涙で冷たくなっていた。

お母さんは、真剣に私の話しを訊いてくれたことが無い。

悩みを相談しても、寂しくて泣きじゃくりながら話しても、耳を傾けてはくれない。

風に任せて宙に浮かぶ赤トンボみたいに、何となく漂っている、それが私のお母さんだ。

お父さんは、私が話そうとしても、

同じことしか云わない。
「お母さんに訊いてもらいなさい」



[あの子が生きていれば、もっと]

お父さんとお母さんが、そう話していたことを私は知っている。

知りたくなんてなかったのに。
トイレなんか我慢すればよかったんだ!

私は部屋に戻ると、布団に潜ってただただ泣き続けた。

こんな深夜に鳴いている、蝉の声が聴こえてた。


私が万引きをするようになったのは、この時からだ。
欲しくもない品物でも、とにかく私は、盗んでいた。

何でなのか、自分でも判らない。



私には、姉がいるはずだった。
だけど赤ちゃんだった姉は、突然死してしまったのだ。

ねえ、私一人じゃ駄目なの?


穴が開いたのは、足ではなく、私の
胸の真ん中だ。

見えていないだけだ。

あの夏の夜からずっと、血がとまることは無い。

この家には、私一人じゃ駄目なんだ。

姉がいないと、お父さんもお母さんも、幸せにはなれない。

私だけでは……足りない。

あの夜からずっと、そう思ってる。


「全く迷惑な」

お母さんがエコバックと近所にある靴屋さんの紙袋を下げて、買い物から帰って来た。

「恩着せがましく靴をくれては、お返しを期待してるのよ。どうせ売れ残りの品物なのに」

お母さんにしては珍しく、本気で怒っている。

興味を持った私は、紙袋から靴の入った箱を出し、蓋を開けた。

「な〜んだ。つまんないの」

「どれどれ、今回はどんな靴」

お母さんがエプロンを身に付けながら覗き込む。

そこには、何の面白味もない、真っ黒な靴があった。
確かに長いこと売れないまま、古くなった感じがする。


「なぁにこれ。お葬式くらいにしか履いてくところが無いじゃない」

お母さんは憤慨しながら、サイズを確認した。

「22.5。お母さんには小さすぎるわ。旭なら履けそうだから、あげる」


勝手に決めて、お母さんはキッチンへと戻って行った。

そして今日も、ぼんやり窓から空を見上げるんだ。

姉が死んで、お母さんは、虚な目をすることが多くなったと、以前に
お婆ちゃんから訊いたことがある。


何で私には無関心なの?

私のお母さんでもあるんだよ?

私は悔しくて、仏壇の姉の位牌を床に叩き付けた。

「何やってるの!」

お母さんは血相を変えて、床に転がっている位牌を胸に抱きしめた。

「ごめんね、紗良ちゃん。ごめんなさい」

そう云って、お母さんは涙を流した。

その様子を見て私も涙が溢れた。

そして私は火がついたように、姉が着ていた赤ちゃん用の服や靴下を、タンスの中から引っ張り出しては放り投げた。


「旭、いい加減にしなさい!」

その声に振り向くと、帰宅したお父さんが立っていた。
身体を、小刻みに震わせながら。

嫌だ!止めるもんか、こんな物、全部捨ててやる。
私は続けた。

ピシャ!


私は、思わず頬に手をあてた。
掌を、涙が伝わっては、赤ちゃんの服にポタポタ落ちる。

ガーゼの服が吸い込んでいく。

何故?

私には全然、関心がないくせに、

死んだ姉のことは大切にするのは何で?


「あああああああああーーー!」

「旭、大声を出すのはやめなさい」

「あああああああああああーー!」

「やめないか旭!」

ハァハァハァ、ゲホッ、ハァハァハァ

「いったいどうしちゃったの旭」

リリーン リリーン

「はい、もしもし。あ、どうもこんばんは。
はい、はい、そうですか……。

残念でしたね。

お悔やみ申し上げます」

お母さんは、携帯を静かに切ると、お父さんを見た。

「どうした。何かあったのか?」

「入院していた鎌倉の澄子さんが亡くなったそうよ」

澄子さんは、お父さんの一つ下の妹だ。
お父さんが、とても可愛がっていた。

お父さんは、うなだれている。


「そうか……」

「明日、お通夜だそうです」

「判った。俺も有休を取る」


私は黙って自分の部屋に戻った。

明日は澄子叔母さんのお通夜。
あんまり会うことはなかったけど、
笑顔が印象的なのを覚えている。

靴屋さんからもらった、あの黒い靴を履いて行こう。

さっきまで気が狂いそうだった私は、履いてく靴のことを考えている。


空にはあの黄色いビー玉が、少し痩せて、そこにいた。

「偽物でも、きれいだよ」
自然に言葉をかけていた。


澄子叔母さんのお通夜は、叔母さんの兄の貴さんと、私の家族だけが、小さなセレモニーホールに集まっていた。

澄子叔母さんが、生前に頼んでいたそうだ。

お焼香の順番が回って来た。

私が歩き始めたら、靴のかかとがいきなり割れて、中から白い綿がポンポンと、幾つも飛び出した。


私はびっくりして立ち止まった。
当然、他の人達も驚いている。

お母さんが慌てて拾い始めたので、私も手伝おうと手を伸ばした。

「旭はいいから、お焼香をしてきなさい」


私は云われた通り、焼香台に向かった。

澄子叔母さんは、生涯独身だった。

長年、官庁で働き二年前に定年退職をしたばかりだ。


色白で、ぽっちゃりした可愛い人という印象がある。

着物が大好きで、海沿いにあるマンションには、着物専用の部屋があるらしかった。

「旭ちゃんも遊びにいらっしゃいね。海が一望出来て、眺めも最高なのよ」

そう云ってくれてたのに。


「スニーカーを持って来て良かったわね」

「うん」

私は普段はスニーカーしか履かないので、他の靴だと直ぐに靴ずれが出来て痛いのだ。

今日みたいな時は、必ずスニーカーを持参している。

家族で電車に乗るのは、いつ以来だろう。

少し眠たい目で私は外の景色を見ていた。

どこの家も、夕食を終えた頃かな。

街灯って、どうして寂しく見えるんだろう。

そんなことを考えながら、私は眠りそうになっていた。


目を瞑っていたら、誰が泣いてる声が訊こえる。

その声は、紛れもなくお母さんだった。

周りの人達に、判らないように、

口元をハンカチで抑えながら、お母さんは、うっうっと声を漏らしていた。

私が見ているのに気付くと、お母さんは自分の手を、私の手に重ねた。

「旭、ごめんね」

そう云って。


街灯は、何故あんなに寂しく見えるのかな。

夜にならないと、灯らないからかな。

そして朝になったら、消えないといけないんだ。

暗闇の中でしか、自分の出番がないことを、本当は寂しく思っているのかも知れない。


黄色いビー玉のような月は私。

本物の月は、死んだ姉。

暗闇でしか自分でいることが、出来ないのは私。

明るく眩しい太陽は姉。


自分は死ぬまでそうなんだと思ってた。




あの時、お母さんは、私が履いてた靴のかかとから、ぽんぽんぽんと、

幾つもの綿が弾け飛ぶ光景に、何を見たんだろう。

靴のかかとが割れたように、お母さんの中で、何かが割れたのかもしれない。
卵の殻が破けるのと、同じように。


「おじさん、この靴直せる?」
「どれどれ、こりゃ見事に割れてるな」

「あれ?白い花が変な形に変わってる」
「それには綿の実が入ってるんだ」

「綿の実って、綿が出来るの?
見たい!いつ見れる?」


「綿を摘むには、少しの間、辛抱が必要だ。九月には中から綿が、弾けるよ」

「へえ〜、楽しみ!」


私が万引きをしたスーパー。
今日は二人で店長さんに、お詫びに来た。
「どうも、すみませんでした」

私は声に出して謝ることが出来た。

店長さんは、驚いてたけど。


自動ドアが開き、お母さんが出て来た。



「旭、お待たせ。買い物、終えたわよ。あら、包丁や鋏も研いでくれるのね」


「月曜日は、いつもここでやってますから良かったら。
お嬢さんの靴も直しておくよ」

「良かった」
私はお母さんを見た。

「宜しくお願いします」
笑顔でお母さんは、そう云った。

「はいよ、来週またおいで」

おじさんは、にっこりして云った。

「お母さん、私が持つよ」
「重いわよ、ほら」

渡されたビニール袋は、ずっしりして確かに重かった。

「ふふ。大丈夫かな」

「私は中ニだよ?お母さんより体力あるの」

お母さんは、黙っている。

そして私をじっと見つめた。

「旭は中学生なのよね……私が、お母さんを怠けている間に、あなたは中学生になってた」


ポンポンポンと綿が弾けた時、
お母さんは、やっとお姉ちゃんだけでなく、私のお母さんにもなってくれた。


私は偽物を卒業してもいいですか。


      了






















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