止まない雨 30 紗希 2023年8月6日 17:11 ドライブが好きだった。例え今日のような雨の夜でも。運転している駿の方は、緊張しているだろう。集中力も普段より必要になるだろうし。「うわっ!危ない!」駿は慌ててハンドルを大きく切った。体が大きく傾いた私は思わず目を瞑った。バックが足元に落ちた。前方にはコートを着た男性が、よたよたと道路を渡っていた。「勘弁してよ。横断歩道も無い道路を、左右の確認もせずに渡るってさ〜。しかも逆光で見えずらいのに、黒のコートを着てるし」「あの人、酔ってるね」「歩き方がそうだよな。だけど何かあったら悪いのは、運転してた俺になるんだから」私は黙っていた。駿は飲みかけの、缶コーヒーを口にした。だが空だったようだ。「柚、この先にマックのドライブスルーがあるから、寄ってくね。喉がカラカラで」「うん、私も何か買うわ」今夜のような、雨の日はドライブスルーを利用する人が多いらしく、何台も並んでいる。やっと私たちの番になった。駿はコーラを、私はマックシェイクのバニラを注文した。品物を受け取ると、車はゆっくり動き出した。大通りも、かなりの混雑だ。ようやく流れが止まり、駿の車は大通りに出ることが出来た。「やれやれ」彼がコーラを飲もうとしたら、信号が青に変わった。「飲み損ねちゃったよ」心底、残念そうに話す駿が、何だか可笑しかった。「柚、笑ってるだろう。本当に喉がカラカラなんだぞ、こっちは」「ごめんごめん。もう笑わないから」 ドンッ!ドンッ!ドンッ!「あっ!」私は咄嗟に声を上げた。「えっ?どうしたの?」駿は何ごとかと私を見た。まさか……駿には訊こえなかったの?あんなに大きな音が。「いま何かが車に、ぶつかったような音がした」「なんだって!」駿はそう云うと、急いで車から降りた。私も外に出ると、2人で、異常はないか、注意深く周辺を見て廻った。ずぶ濡れになろうが、それどころじゃない。「焦ったよ。人を跳ねてたらと思って血の気が引いた。人もバイクも無いし、俺の車も凹んだり傷が着いたりしてないや。 助かった」(それじゃあ、さっきの音は、いったい)プププーー! プッププププ〜見ると信号が青になっている。私たちは、後続の車に、頭を下げながら車に乗り込んだ。座席に座ると、ストローを咥えた。シェイクを啜り、私は黙って外を見た。最初は雨粒だったはずだ。けれど本降りになった今、窓ガラスはホースで水を浴びせかけたようになっている。外を見てると云ったが、実際は何も見えない。街中の、全ての灯りは、ぼやけて形も判らず、幾つもの色が混ざり合って、本体が何なのか、もはや見分けなどつかない。 (ドンッ!ドンッ!ドンッ!)あれは何かが車にぶつかった音だった。それも一度じゃなかった。まさか……人間。でも誰も居なかったし。「柚、いつものスーパーに寄る?惣菜でも買おうか。今から俺んちで料理を作るのも面倒だろう?疲れてるだろうし」駿と私は同じ会社に勤めてる。付き合うようになって、数年になる。今夜は駿のところに泊まる日だ。この時は、私が料理を作ることにしている。作るのが嫌なわけじゃない。けれど疲れてるのも本当だった。そんな私を見て、駿は、「よし!今夜は贅沢をするぞ」「贅沢?」駿は笑顔で私を見ると、頷いた。「この時間だと、半額以下になってる商品も多いだろう?普段は中々、手が出ない品を買うんだよ。いい案だろ」「確かに。あの店は、高くて、手が出ない品が多いし。でも開いてる店は、あそこしかないんだし。うん!贅沢しよう!」「よっしゃ!俄然闘志が湧いてきた」私たちは笑いながら、土砂降りの中、富裕層御用たしの高級スーパーに向かって車を走らせた。閉店30分前の店内には、思ったより人が入っていた。商品を見て廻っていると、自分が空腹だったことに気づく。ゆっくりと店内を歩いてみる。大好きなサーモンだ。美味しそう。あ、スモークチキン!これにしたいけど値段が書いてない。「決まった?」にこにこしている駿がいた。「まだなんだ。駿は決まったようね」「うん。この3品にしたよ」カゴを見ると、手巻き寿司に焼き鳥、それからローストビーフサラダが入ってる。「全て半額か、それ以下だ。へぇ。上手に選んだね」「でしょ。柚も早く決めた方がいいよ。閉店しちゃうから」「うん」ロースト、ビーフ……。「柚、よく頑張ったな。たいしたもんだ」「本当にね。担任の先生から、ワンランク下の高校にした方が無難ですよと云われても、柚は志望校を変えなかったもの」「お母さん冷や冷やしたでしょう」「それはそうよ。信じてはいても、万が一って思うわよ」「そろそろ乾杯しよう」「そうね。ビールとジュースを持って来るわ」テーブルの上に、たくさんのご馳走が並べられた。「すごいご馳走。高校に受かったくらいで、大袈裟だよ」「ハハハ。貰い物がほとんどだ。な、母さん」「そうなのよ。感謝しなきゃね。さぁ食べましょう」「柚、高校合格おめでとう」「ありがとう」「どれから食べよう。迷っちゃうな」「竜田揚げは、まだ温かいわよ」「竜田揚げ大好き!いただきまーす」「このローストビーフは会社の部下からだよ」「え〜!なんだか申し訳ない気がしてきた」「美味いぞ。食べてみろ」「会社の皆さん、ありがとうございます。頂きます」口に入れて驚いた。ローストビーフって、こんなに美味しかったっけ。父のビールも進んでる。私はつくづく、幸せ者だと思った。高校に行きたくても、就職せざるを得ない子たちも多くなった世の中で。その時、電話がかかって来た。どうやら、大学生になってから一人暮らしを始めた姉からのようだ。駅に着いたから、これからバスに乗るからということだった。それを訊いた父は、「俺が迎えに行くから、駅で待つように伝えとけ」そう、お母さんに云うと、車の鍵を手に、玄関に向かった。「だめだよ、お父さん。ビールを飲んだでしょう。飲酒運転はだめ」しかし父は「車なら10分もかからないんだ。直ぐに帰るから」そう云って出掛けてしまった。私は胸騒ぎがした。そして……それは当たってしまったのだ。姉は父の車には乗らなかった。「お父さん、お酒臭いわよ。何で車なんて運転したのよ。私はバスで家に行くからお父さんも、車は駐車場に停めて、タクシーかバスで帰って来てね。危ないんだから」父は、せっかく迎えに来たのにと、不機嫌になったのだと思う。姉の忠告を無視して、1人車で帰宅することにしてしまったのだ。たぶん、スピードも出ていただろう。そして……帰らぬ人になってしまった。しかも歩道を歩いていた女の子を道連れにしてしまった。飲酒運転は全てを無くす。母と私は引っ越すことになった。姉も家計を助ける為に、一人暮らしを辞めて、家に戻った。家のお風呂が壊れてしまった。修繕費がかかるので、暫くは銭湯通いだ。私の好きな番号は、空いてるかな。暖簾をくぐり、靴箱を見る。「やった!35番が空いてる」靴を入れると、脱衣所に入る。「こんにちは」「柚ちゃん、いらっしゃい。今日はね混んでるのよ」「へぇ、何ででしょうね」お金を払うと、脱いだ服を入れる籠を探した。「本当に混んでるんだ。空いてる籠が見つからない」キョロキョロと見渡すと、ようやく、一つ空の籠が見つかった。「助かった」そう思いながら、私は服を脱ぐと籠に入れた。そしてタオルやシャンプーを持って、サッシのドアを開けたら、小さな女の子が、裸で飛び出して来た。「里奈ちゃん、走るんじゃないの。危ないでしょう?迷惑にもなるのよ!」その子の母親と思われる、女性が私に頭を下げた。私もお辞儀をして、風呂場に入った。ザッと体を洗って、湯船に入る。混んでるなぁ。そう思っていたら、女の人同士の会話が耳に入った。どうやら、幼稚園の園児たちと、保護者で、少し遠出をしたらしい。なるほど。だから混んでるのね。自宅のお風呂より、銭湯の方が、広くて気持ちがいいものね。私はお湯から出て、空いてる場所を探した。すると、1人のお婆さんが、手招きをしている。ホントだ。1箇所だけ空いている。私は、お婆さんの隣に座ると、お礼を云った。髪から洗う。気持ちがいい。鏡を見ると、お婆さんがにこにこして、私を見ていた。そして、か細い声で、こう云った。「お嬢さん、嫌でなかったら、背中を洗って貰えるかしら」私は驚いたが、「いいですよ」そう云って、お婆さんの後ろに椅子を持ち移動した。タオルに石鹸をたくさん付けて、私は背中を洗った。痩せ細った背中だった。鏡を見ると、お婆さんが泣いている。「すいません。痛かったですか」私の言葉に、お婆さんは首を振り、「とても気持ちがいいですよ。どうもありがとう」私は元の位置に戻ると、自分の体を洗うことにした。その時、お婆さんは云った。「お嬢さんは、雛子のお友達なんでしょう?」「え……」「毎回、月命日になると、雛子が事故に遭った場所に花束を置いてくれて。本当にありがとう」「……」「私はお嬢さんの姿を見て、後をついて行ったの。お礼がいいたくて」「お……れい」「そしたら、この銭湯に入って行ったから、お嬢さんと話しがしたくて、支度をしてここに来るようにしたの」「わ、たしに、会う為に」「そう。ようやく会えたわ。雛子が会わせてくれたのね」私は自分の体が震えてきたのが判った。「すいません。先に上がります。本当にすみません」私は急いで脱衣所に行き、ほとんど体を拭かずに服を着た。番台のおばさんが、驚いていた。そして外に出て、靴箱を開けようとしたが、手が震えて上手く札が入らない。やっと開けることが出来で、中から靴を取り出すと、踵を踏んだまま、道に出て、早足で歩いた。お婆さん、私は貴女のお孫さんの友達ではないんです。雛子さんの、命を奪った人間の娘です。 【ドンッ ドンッ ドンッ】またこの音だ。[柚さん、雛子です]「雛子……さん」[はい。そしてこの子は、私が結婚したら、生まれてくる予定だった子供で、この小さな子は、私の孫になるはずだったのよ]「雛子さん、私の父のせいで……。申し訳ありませんでした」「今更、謝られてもね。ただ私は貴女に知っておいて欲しかったの。お父さんは、私1人を死なせたわけじゃないことを」「は……い」「私の子供も孫も、生まれて来られなかった。その先も、命を授かる予定だったたくさんの人間が、みんな……」そう云って、雛子さんは涙を溢した。私の父が、取り返しのつかないことをしたのは、痛いほど判っていた。謝ることしか出来ない自分はもう、意味のない出来損ないなだけの存在でしかない。「生きてください。どんなに重い荷物でも、背負って生きてください。貴女のお父さんの代わりに」それだけ云うと、雛子さん達は、夕闇が、直ぐそこまで迫っている中へ、段々と透明になって、消えた。私が答えを見つけるのは、いつだろう。答え?そんなものありはしない。雛子さんの云う通り、生きることしか私には残されてはいない。どんな暗闇の中でも……。この日、私には、自分の人生は無くなった。 了 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #短編小説 #最後まで読んで頂きありがとうございます #飲酒運転ダメ絶対 #雨のドライブ 30