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破壊と再生

最近の電車は揺れもほとんど無く、座っていてとっても快適だ。

どこでも眠れるという羨ましい人ならば、直ぐに寝付けるだろうな。

けれど今の私は、揺れを感じないどころの騒ぎではない。


個人的には心身共に酷い揺れを、

さっきから、、、本当は数日前から感じている。

いてもたってもいられない、とは正にこのことだと、さっきからずっと、忙しない状態だ。


隣に座っている彼氏の秀は、さっきからずっと、窓からの風景を観ている。

秀にしては珍しく無口だ。

けれど、今の私は明らかにいつもと違うという違和感を秀なら勘づいてしまうだろう。

だから景色を眺めてくれて良かったのだ。


私たちは大学で知り合い、付き合うようになって2年経つ。

今日は初めての2人だけの旅行だ。

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『秀くんと旅行!良かったじゃない

由美子。いいなぁ』

『そうかな……そうだね』

『なんか浮かない感じだね』

『そんなことはないよ。うん、ない』


友達の美香は私をジッと見ている。

『やっぱり何かあるんでしょう』

『そんなことは……』

『あるんでしょう?心配事?

案外たいしたことじゃないのに

由美子が一人で心配しすぎてるのかもしれないよ?わたしに話してみれば」


『あの〜私ね……』

『うん』

私は美香に訊いてもらうことにした。

話しを訊いた彼女は、

『なんだ、そんなことか。気にしなくて大丈夫よ、由美子』

『そうかなぁ、でも』

『絶対に平気だから。秀くんだって、同じかもしれないよ。だから元気出して、ね!』

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でも私は恥ずかしくて、美香に全部は話せなかったのだ。

「なぁ由美子、小腹が空かないか」

「わっ!」

「なに驚いてるんだよ、俺がびっくりしたわ」

「ごめん、食べる物あるよ。お菓子類と、サンドイッチを作って来たの」


「由美子が作ったサンドイッチ、食べたいな」

私は大きめのバックからサンドイッチと乗車前に買っておいた緑茶のペットボトルを出した。

「はい、どうぞ」

「ありがとう。いただきます」

そう云って秀はサンドイッチをパクリと食べた。


「ん?……」

「味はどう?」

「え……と、由美子はサンドイッチを作る時、パンに何を塗るの」

「バターとマスタードだけど」

「間違えちゃったみたいだよ。マスタードではなく、生姜の味がするんだ」


「し、生姜!私も食べてみる」

私は卵サンドを食べてみた。

「……本当だ……秀、ごめんなさい」


「そんなに落ち込まないで。きっと朝早くから作ってくれたんだろう?

眠かったのかもしれないし、誰だって間違えることはあるよ」

「それにしたってマスタードは瓶だし生姜はチューブのだし、それを間違えるなんて」

「ヨシヨシ、いい子いい子」

秀が頭を撫でてくれた。


泣きそうになるのを堪えて私は頷いた。

「お腹を壊すといけないから、お菓子を食べてくれる?ラスクは好き?」

「ラスク。懐かしいな、食べるよ」

秀からサンドイッチを受け取り、代わりにラスクを渡した。


「久しぶりに食べたけど、美味いなラスク。由美子も食べたら」

「私は今はいいや」

食欲がわかないので、お茶だけ飲むことにした。

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いい天気だなぁ。

私の気持ちとは裏腹に、空は雲一つない快晴だ。

秀はいつの間にか眠っている。

お腹がいっぱいになったからだろう。


私は今日のことを考えると、眠れない日が続いていた。

ようやく睡魔が来てくれた。

少し眠っておこう。

そう思い私は目を閉じた。


「由美子、起きて。着いたよ」

秀の声で目が覚めた。

「忘れ物の無いように。降りるよ」

私はバックとゴミを持って、秀の後に続いて電車を降りた。

冷んやりとした空気が気持ちいい。


「ここまで来ると、空気も違うんだな。思い切り深呼吸をしたくなる」

秀が嬉しそうに云う。

ホームには今の電車から降りた人たちが、楽しそうに話しながら歩いてる。

平日なのに案外、賑わっているんだ。


「さて、じゃあタクシーでホテルまで行こう。荷物を預けたら湖に行って遊ぼうか」

「うん、それがいいね」

私たちは駅前のタクシー乗り場から車に乗るとホテルに向かった。


「いい天気で良かったな」

「本当だね。富士山が見えたらいいな」

「夕食が美味いかが心配なんだよな」

「一応、名の通ったホテルなんだから、不味いことはないと思うよ」

「そういえば、アルコールが飲み放題なんだよな。由美子は呑めるから良かったな」


え、お酒が飲み放題なの?

呑みたい。呑みたいけど危険だわ。

お酒が入ると緊張の糸が切れる。

残念だけど、呑まないことにしよう。

本当に残念だ。


タクシーはホテルの入り口に、止まってくれた。

私たちは車から降りて、ホテルに入る。

窓が広くて大きなガラス張りなので、湖がよく見える。

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エレベーターから女の子たちのグループが降りて来た。

ホテルの浴衣を着て楽しそうに会話をしながら、私の横を通り過ぎていく。

「由美子お待たせ。荷物は預けたよ。さっそく湖に行こうか。

それともロビーで休んでく?」


私は彼女たちを見つめたままだ。

「由美子、どうかした?」

「え、なんて云ったの。ごめん、ぼーッとしてた」

秀は心配そうに私を見て、

「由美子、本当は体調が良くないんだろう。電車の中でも感じてたんだけど、いつもの由美子と違ってる気がするんだ」


「そんなことないよ。私は元気だもの」

「無理しなくていいから。今から湖に行くのはやめて、部屋でゆっくりしよう。明日だって行けるんだし」

「でもせっかく天気もいいし、秀だって遊びたいでしょう?」


「由美子と一緒なら場所なんて、どこでも嬉しいんだ、俺は。とにかく今日はホテル内で寛ぐのがいいと思う。待ってて、鍵をもらって来る」

そう云って秀は再びロビーにいった。

私のせいで……ごめんね秀。


すると秀が私に、おいでと呼んでいる。

秀の隣には着物姿の年配の女性がニコニコして立っていた。

不思議に思いながら行ってみたら、着物の女性が丁寧な挨拶をしてくれて、要は浴衣の種類が色々あるから好きなのを選んで欲しい、ということだった。

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ザッと10種類はある。

ハッキリ云って柄やデザインなど何でもいい。

「綺麗だなぁ、気に入ったのはあった?」

「まだ決まらないの」

「由美子が良ければ、この紫色のを着て欲しいけど」

「うん、じゃあ紫の浴衣にします」


そう告げると、着物姿の年配の女性はにっこりと笑顔になって、

「きっとお似合いになりますよ」

と云って私に手渡した。


本当は、本当は、浴衣なんか着たく無い!

秀から旅行の話しをされた時に、断ればよかったんだ。

けれど嬉しそうな秀を見てると、

云えなかった。


そうだ、この着物の女性に、相談してみようか。

なんて云う?

[私は着物や浴衣が上手く着れないんです]


いや、もっとハッキリ云った方がいい。

[直ぐに叩けてしまい、困ってるんです。歩いていても、椅子に座っている時も、パンツが見えそうなくらい、前が空いてしまうのですが]


「由美子、なにブツブツ云ってるの?部屋に行くよ」

は……えっ!

気がつけば着物姿の女性はもういなかった。


私は頭に大きなタライが落ちて来たように感じた。

ドリフのコントのように。

「俺たちの部屋は8階だって。見晴らしが良さそうでワクワクするな」


チーン

「着いた、8階だ」

あゝ、正に、チーンだ、オワタ。

もう逃げられない……。


「803、鶯の間……803、803、あった、この部屋だ」

扉の鍵を開けて、秀は私に

「はい、どうぞ由美子さま」

そう云って、お辞儀をする。


私は、100倍重く感じるバックを持って、部屋に入った。

秀が電気のスイッチを付けながら、入って来る。

パァッと明るくなった部屋は想像した以上に広い洋室だ。


秀は、まっしぐらに窓に行き、

「わぁ〜すげぇ!由美子、由美子、来てごらん」

バックを置いて窓に行った。

「すごくないか、この景色」

「湖が広がって、太陽の光で輝いてる。キレイ……」

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秀がそっと、私の手を握った。

私の頭の中は、ごちゃごちゃに散らかり、何が何だか……。

「由美子?泣いてるの?」


そう、私は泣いていた。

理由は自分でも判らない。

「安心したのかな。服のままだと、寛げないから、着替えよう」

着替えたら、もっと寛げない、とは云えず、私は力無く頷いた。


秀は楽しそうに浴衣に着替えてる。

「俺みたいなガリガリな体型だと着物や浴衣は似合わないんだよな」


似合う似合わないを超越した私がいますが何か?

私は無表情で淡々と、服を脱いだ。

[さぁ、ここからは1秒たりとも、気は抜けない。スタート!]


秀は窓際の椅子に座ってペットボトルの緑茶の残りを飲んでいた。

「秀、着替えたよ」

「やっぱり似合う!由美子は絶対に

浴衣を着たら可愛いと思ってたんだ。

待ってて、いま写真を撮るから」

秀はそう云ってスマホで何枚も写真を撮ってくれた。


私も秀の浴衣姿を写真に収めた。

そして秀の向かいに座った。

脚をピッタリくっつけて、浴衣が乱れないよう気を配る。

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「まだ夕食まで時間があるから、大浴場に行こうか」

「うん、そうしよう」

私たちは支度をすると最上階にある、大浴場に向かった。

廊下を歩く時も、エレベーターの中でも私は必ず、浴衣を監視していた。


「じゃ、また後で」

男女の暖簾の前でいったん別れる。

浴衣など全部脱ぎ、大浴場に行き、

体を簡単に洗うと、広々とした湯船に入った。


[夕食はバイキングらしいから、料理を取りに行く時には、注意が必要だ。椅子に座る時も気を緩ませてはいけない]

[だが、一番の問題は、その後だ]


「怖い!」

子供の声がした。

私の前で、母親と入浴している幼い女の子が、怯えた表情で母親にしがみつきながら、私を見ていた。


私が険しい顔で、ブツブツ云ってるのが怖かったらしい。

恥ずかしい……。

そそくさと湯船から上がり、体と髪を洗うと脱衣所に戻った。


ドライヤーが全部使用中なので、私はバスタオルを体に巻いて、椅子に座った。

明日の朝までの辛抱だ。

そうは云っても不安だった。


浴衣で寝ると、夜中に目が覚めた時、自分でも何故だか理解出来ない格好になっているのだ。

帯が定位置にあったことなど、一度もない。

たいていは、胸のところに帯はある。


正確に云えば、おっぱいの下に帯があり、勝手に寄せて上げている。

してくれなくてもいいのに。


死にかけたこともあった。 

寝ていると、誰かに首を絞められているようで、息が出来ずに苦しくなり目が覚める。

しかし起きてもまだ、苦しいのだ。

いつの間にか、私の首に帯が巻き付いていたのだった。


何がどうなって、そのようになるのか、本当に謎としか云えない。

どうか今夜は、帯がバストを上げませんように。

私の首を絞めませんように。


ドライヤーが空いた。


女湯から出ると、秀が自販機の隣にある椅子に座っていた。

「待たせてごめんね」

「女の子は時間がかかるのは、判っているから大丈夫」


見ると秀は栄養ドリンクを飲んでいたらしい。

『男の自信』と書いてある。

その品目に私は吹き出しそうになった。


私の視線に気付いた秀は、慌てて

「別に深い意味はないからね。他のが売り切れてたから、仕方なく」


そう云って瓶専用のゴミ箱に入れた。

「それじゃあ食べに行こう」


私は浴衣の前を片手で握り締め、開かないように歩いた。

エレベーターで地下一階の食堂に向かう。

「お腹空いたね」

「もう腹ペコだよ」


エレベーターが開き降りる。

バイキングなのは知ってたけれど、

今までのバイキングとは全然違って、種類も多くて美味しそうだ。

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「すごいな」

「美味しそう、それにきれい」

私たちは早速トレーを手にして、

料理を乗せていった。

「由美子、あそこのテーブルに居るから」

「あれ?秀はもういいの」


「先ずはこのへんで。それより喉が渇いてるから飲み物が欲しいんだ」

「判った。私ももう直ぐ行くから」

「急がなくていいからね」

そう云うと秀はジュース類がたくさん並んでいるコーナーに向かった。

秀は下戸なのだ。

ひとくち飲んだだけで、寝てしまう。


「私もこれくらいでいいかな。あ、フルーツももらおう」

テーブルに行くと、秀がアセロラのジュースを飲んでいた。

「お待たせしました」

「あれ、由美子はお酒は持って来なかったの?」

「うん、今日は私もノンアルコールにしとく」


「そっか。先に飲んじゃって悪い。では乾杯しよう」

私はオレンジジュースで乾杯した。

さぁ食べよう。

「しかし随分と乗せたね。食べられるの?」

「だって空腹だもの、食べられるよ」


私はシェフが切り分けてくれた、ローストビーフを食べた。

美味しい!

食欲に火が付いたようだ。

次々と食べ始めて止まらない。

秀を見ると、うとうとしている。

「秀、秀、寝ちゃダメだよ」

ハッとして秀は目が開いた。

「眠くて眠くて。湯あたりしたかな」


「ほとんど食べてないね。後からお腹が空くよ」

「食べたい気持ちはあるんだけど眠気の方が強くて」

「なんでそこまで眠いんだろうね。

あ、ひょっとしたら……秀がさっき飲んでた栄養ドリンクにアルコールが入ってなかった?」

「ああいうのにアルコールが入ってるの?見てないから判らないや」


「たまに入ってるのがあるらしいの。ひょっとしたら眠気の原因は、それかもしれない」

「もう飲んじゃったしなぁ。ファ〜

ダメだ限界。俺は先に部屋に戻ってる。由美子を一人にして悪いけど」


「私も一緒に戻るよ。けっこう食べたから。行こう」

私たちは、テーブルを離れた。

エレベーターの中でも秀のあくびは止まらない。

8階に着いた。

私は内股で歩きながら先に行き鍵を開けた。

秀が目をこすりながら部屋に入り、

直ぐにベットに寝転んだ。


「由美子」

「ん、なに」

「実は俺、たまに……なんだ……けど……スーー」

「おやすみ秀」

たまに、何なの?気になるでしょうが。

とにかく、ここまで無事に来れてホッとした。


秀が寝ちゃうなら、アルコール飲み放題をすれば良かったな。

贅沢か。

疲れたから私も寝ることにしよう。

帯、頼んだぞ!

布団を掛けたら気持ちが解けて、

ここ数日間の睡眠不足もあり、私は眠りについた。


真夜中すぎ。

カチカチカチカチという音が部屋に響く。

私は、眠りながらその音を聴いていた。

なんの音かなぁ……。

ぼんやり思いながらトイレに行こうと私は起き上がった。

ベットから降りた私は洗面所にある鏡を見た。


頼んだのに、帯は応えてくれてない。

また勝手に人のバストを寄せて上げている。

浴衣は、もはやなんの役にも立っていない。

ただ羽織っただけの状態だった。

やれやれと思いつつトイレに入り、

出て来た私は、鏡の前で浴衣を直した。

ベットに戻ると、まだ音は続いている。


カチカチ ギチ カチカチ

音の方向を見たら、秀が歯軋りをしていた。

なるほど、と思いながら布団に入る。

さっきの鏡に映った自分の姿を、秀に見られなくて本当に良かった。

幸せな気持ちで眠った。


しかし、この1時間前

秀はトイレに起きていたのだ。

由美子のベットを見た秀は、いったい何が起こったのかと目が釘付けになっていた。


由美子が浴衣を着ていない。

一応、体には浴衣はあった。

けれど着ている、と云うのとは違う。

裾はミニスカートより短くて

ブラを付けていない胸は露わになっている。

何故か帯が胸を支えている。

一つ思ったことがある。

パンツを履いててくれて、ありがとう。

秀はしみじみそう思った。

そうでなきゃ警察に通報したかもしれない。

由美子に布団を、そっと掛けた。

そしてトイレから戻るとまた眠った。


朝5時。私は起きた。

毎日の習慣なので自然に目が覚めたのだ。

そっと窓に近づくと、素晴らしい景色が広がっている。

「よく眠ってるけど、秀にも見せたいな」

私は秀を起こすことにした。


「秀、おはよう。凄く素晴らしい景色だよ」

「んん……由美子は、起きたのか。

おはよう」

「寝てるとこを起こしてごめんなさい。窓からの眺めが、あまりにも素晴らしいから秀も見ないかなと思って」


「そんなに凄いなら俺も見ておかなきゃな」

秀はベットから降りた。

窓の向こうに広がる景色を見て、

「すごい……」

驚いたように秀は呟いた。

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二人でしばらくの間、黙って眺めていた。

「秀、旅行に誘ってくれて、ありがとう」

「由美子が喜んでくれたら俺も嬉しいよ。あのさ、昨夜は何もできなくてごめんな」


「なに云ってるの」

笑いながら私は云った。


「朝食を食べたら湖の遊覧船に乗ろうか。それとも展望台に登ろうか」

「せっかくだから、両方しようよ」

「うん!」


[とにかく良かった、寝姿を秀に見られなくて]

《歯軋りはどうだったんだろ。たまに凄くうるさいらしいから心配だったんだけど》

私たちは顔を見合わせて、笑った。

えへへへ


       了







 











































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