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さだ子さん 7話


一夜明けて、僕は出雲空港に向かうバスの中にいた。

窓の外は低く雲が垂れ込めて、街は鉛色をしている。

太陽の光を完全に絶たれた景色を見ていると、僕は大声で喚き散らし、脚で床をバンバン叩きたい衝動にかられた。


ちきしょう! ちきしょう!

怒りと悔しさ、ありとあらゆる荒ぶれた感情が湧き上がってくる。

この行き場のない気持ちを、いったいどこにぶつければいいのか。

息苦しさがピークに達した時バスは空港に着いた。


昨日、図書館で飛行機のチケットは手配していたので、スムーズに搭乗できた。

しかし当然のことながら、気分は重かった。

さだ子さんはまだアパートに帰って居ない。

気にはなるが、今は『たちばな惣菜店』のことで頭がいっぱいだった。


横浜は、いつか訪れたい憧れの街だった。

まさか、こんな形で行くことになるなんて……。

頭が痛くなってきていた。

少し目を瞑っていよう。


羽田には昼前に着いた。

全く土地勘がないが、目的地までの行き方は昨夜の内に調べて置いたので大丈夫だろう。


それにしても人の多いことには驚かされる。

駅の地下道は人波が凄く、真っ直ぐ歩くことが出来ない。

冬場の日暮れは早い、急ごう。


僕は電車を乗り継ぎ、『たちばな惣菜店』が有った場所に向かった。

それは商店街の中にあったのだが、今は当然だけど、無くなっていた。

30年経も経つ。


当時とはだいぶ、様変わりしただろう。

僕は歩きながら、古くから営業してそうな店を探した。


すると一軒の店が目に入ってきた。

『中村豆腐店』か。

「よし!」
僕は自分を鼓舞し、店先に行った。

「いらっしゃい」

70くらいの男性が、こちらを見た。

たぶん店主だろう。


「なんにしましょう」

そう云われて僕は一瞬、言葉に詰まった。
だが、ここまで来たんだと自分を奮い立たせた。

「すいません、客じゃないんです。昔のことを訪ねに来ました」


すると店主は訝しげな表情になった。

「怪しい者ではありません」

「怪しくないって云われてもな。最近じゃ詐欺まがいの奴もいるからな」

「違います、違います。かなり年数が経つことなんですが、覚えていたら教えて頂きたいことがありまして」

「教えて欲しいこと?なんだ、いったい」


ガラス戸が開いて、奥さんらしき人が、心配そうに出て来た。

僕は緊張しながら、訊いた。

「たちばな惣菜店のことをご存知ですか」

夫婦は顔を見合わせた。


「忘れようにも忘れられないよ」

店主が吐き捨てるように云った。

「ご存知なんですね!」

「あの店のオヤジと俺は、いい付き合いをしてたんだ。お互いの家で酒を飲んだりな。それがあんなことに」

悔しそうに、そう話した。


「あの店には女の子がいたと思うんですが」

夫婦はかなり驚いた様子だ。

「さだちゃん、さだ子ちゃんという可愛い子がいました。焼き鳥の美味しいお店でね、家もよく買ってたの。さだちゃんは、よくお店の手伝いをしてました。

『おばちゃん、これわたしが、串を刺したんだよ』ってね」


すると奥に向かって、

「裕之、裕之ちょっと来て」と奥さんが声を掛けた。

中からメガネをかけた背の高い男性が出て来た。

「さだちゃんのこと、覚えてるでしょう?」


「さだちゃん?あぁ、あの惣菜屋の子か」

「そう、あなた確か小学校で同じクラスだったわよね」

「そうだけど」

裕之と呼ばれている男性は、僕のことをジロッと見ながら、

「あんた誰?」

眉間にしわを寄せて男性は云った。


「僕は今さだ子さんと同じアパートに住んでいる林健太といいます」

「同じアパート!じゃあさだちゃんは元気なのね」

そう云って奥さんは、しゃがみ込んだ。

「わたし、ずっと心配してました。さだちゃんのこと」

奥さんは泣いていた。


「確かになぁ、可哀想だったよ。皆んなから仲間外れにされて。人殺しの子って云われてさ」

「そうでしたか」

「休み時間も誰も一緒に遊ばないから、一人で遊んでたな。クルクル〜クルクル〜って云いながら、回ってね」


我慢出来ずに僕は涙が流れた。


 林健太さ〜ん

 クルクル〜クルクル〜


僕は豆腐屋さんに教えてもらった、『たちばな惣菜店』があった場所へ行った。

今は駐車場になっているらしい。

「ここか」

そこには【月極駐車場】の看板が建っていた。

「ここに、さだ子さんも手伝っていた惣菜店があったんだ」


僕は静かに手を合わせた。

また涙が出そうになった。


その日は横浜のビジネスホテルに泊まることにした。

近くにある、有名な観光地の山下公園に行ってみた。

日本海しか知らない僕には新鮮に感じた。

あの氷川丸も碇泊していたし、遊覧船も出ていた。


テレビや雑誌で見た通りに、洗練された公園だと思った。

たくさんの花々が咲くんだろな。

さだ子さんもここから海を見たのだろうか。


憧れの横浜に僕はいま佇んでいるのに、豆腐屋の奥さんの言葉が忘れられずにいた。

『親戚も、さだちゃんを引き取るのを嫌がってね、それで養護施設に入ったの』


今夜も眠れないだろう。

いつもの不眠症と違って、陰鬱で孤独な長い夜になるのは、分かりきっていた。



「さだ子さん、大広間に、これを運んで」

「分かりました」

さだ子さんは、瓶ビールをたくさん乗せたワゴンを押して、長い廊下を急いでいた。

「硫黄の匂いがする。仕事を終えたら、今夜も温泉に入れる。頑張ろ〜」
心の中で、呟いていた。


   つづく













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