キミがいた窓辺 73 紗希 2020年3月23日 07:06 キミが一番好きな場所だった、この部屋には、今日も明るい光が窓から入ってきているよ。“好きだった”なんて、過去形で云うのは、変だね。今もキミは、ここが一番好きだろうから。キミは、一日の内の大半を、この部屋で過ごしていたね。窓際に小さなテーブルと椅子を置き、そこで手紙を書いたり、キミが得意な編み物をしていたり。『温室のような温かさの、この場所が好きだなんて、まるで猫みたいだな』ボクの言葉にキミは笑いながら、『そうよ、だって私は猫だもの』そう答えたね。ボクも以前にこの部屋で、キミと一緒に居た時に、あまりの暑さに耐えられず、思わず部屋を移動した。そんなボクを見たキミは、『猫は、私だけのようね』クスクス笑いながら、編み物をしていた。そんなキミも時々は、うたた寝していたのをボクは知っているんだよ。キミには黙っていたけれど。何故、黙っていたか、分かるかい?そんなキミも、ボクは好きだから。そんなキミも、とても可愛かったから。ボクが云ってしまったら、キミはもう二度と、可愛いうたた寝をしなくなってしまうだろう?キミは負けず嫌いなところがあるからね。あの可愛い寝顔を、これからも見たいからね。あぁ、植物たちに、後で水やりをしておこう。やはりこの部屋は、猫ではないボクには暑過ぎるようだ。汗をかいてしまった。シャワーを浴びて、さっぱりとしてこよう。『あなた、今日の夕食なんだけど、何か食べたいものは、ある?』『そうだなぁ、特別これといって思い浮かばないけど』『もう!毎日献立を考えるのは、大変なのよ、主婦は。だから協力してちょうだい』『そうは、云ってもなぁ。う〜ん……あっ、アレなんてどうかな』『アレって何?』『アレだよ、鶏肉のヤツ』『もしかして、水炊きのこと?』『それそれ、水炊き』『鍋料理に助けを求めるのは、主婦が思うことだから、鍋料理以外でお願いします』『せっかく考えたのに、仕方ない、ハンバーグは?チーズがトロリの』『それいい!チーズハンバーグにします』ボクらは材料を買いに2人で出かけた。ボクの仕事が休みの日には、必ず買い物は、2人で行くことが、いつの間にか決まりごとになっていた。ボクは出かけるのが好きだから、それが近所のスーパーであっても全然構わない。荷物持ちも嫌じゃない。町内には3軒のスーパーがある。今日はどの店に入るのだろう。その時、いい匂いがしてきた。焼き鳥を焼いてる匂いだ。その時、キミはボクを見て、『帰りに買っていこうか、焼き鳥』そう云った。思わずボクは、頷いていた。『じゃあ、先に注文してこようっと』キミはそう云うが早いか、焼き鳥屋の前に立ったいる。そしてボクに手招きをする。『アナタは何にする?皮は買うわよね』『もちろん。後は……ナンコツと、ボンジリ』『注文だけしたら、ちょっと買い物して来ます。30分くらいで来ますから』いいですよ。何にしましょう。『皮を4本、ナンコツ2本、ボンジリ4本、ネギマを2本。全部塩で』12本、全部を塩で。会計が1310円になります。キミはお金を払って、ボクらは買い物に向かった。1番奥のスーパーにボクらは入った。カゴを手にしてキミはボクに、『このお店のお肉が1番いいお肉なの。新鮮で。でも決して高くないし、今夜はハンバーグだからこのお店まで来ました』丁寧にボクに説明をしてキミは嬉しそうな笑顔を見せた。『え〜と、家に卵はある、パン粉もあるし、あっ玉ねぎを買わないとね』口に出して、確認しながら、一つ一つカゴに入れていくのがキミの買い物の仕方だ。そして全部、カゴに入れると、最後にまた確認するのだ。『ひき肉、買った、牛乳、買った……よし!ではレジに並びます』精算を終えたキミは、ボクと一緒にエコバッグに買った品物を入れて、外へ出た。玉ねぎと牛乳が入ったバッグは少し重くなったが、これでもボクは重い荷物には慣れている。若い頃に、引っ越し業者で働いていた事がある。その時に、研修でかなり鍛えられた。そうして焼き鳥屋に着いた。キミは、小走りで、焼き鳥を受け取りに行った。まいどありー店主の威勢のいい声と共にキミは戻ってきた。袋からは、香ばしい匂いがしている。『まだ熱々だよ。早く帰って食べようね』『歩きながらじゃダメ?』思わずボクはそう云ってみた。キミは、意外にも、『歩きながら、それ、いいね。そうしようか』キミは袋から焼き鳥を取り出してボクに渡した。『サンキュ』そう云ってボクは焼き鳥を口に入れた。『これはボンジリだ。やっぱり出来立ては、旨いな』キミも焼き鳥を食べ始めた。『ホントに美味しいね。スーパーでも売ってるけど、全然違う』ボクらは、あっという間に平らげた。残りは帰ってから食べることにして、家に向かって歩いた。温室から出たあと、シャワーを浴びて、いつの間にか、寝てしまったらしい。どうせなら、キミの作ったチーズハンバーグを食べてから、目を覚ましたかったな。そんなことを考えていた。若かったな、キミもボクも。いつの間にか、70を越えてしまった。さて、出掛けるとしよう。着替えを終えて、ボクは家を出た。目的の場所に着くと、ボクを見た看護士が、「あら、今日はいつもより少し遅かったですね」と、声をかけてきた。「あぁ。汗をかいてね、シャワーを浴びたら、いつの間にか寝てたらしい」「そうでしたか。でもご主人は、お元気で何よりです。毎日通ってくるのが辛くなったら、無理はしないでくださいね」ボクは頷いた。そしてキミの部屋に入った。今日のキミは、どんな反応を見せるのだろう。「こんにちは」ボクはキミに、挨拶をした。ベットに横になっていたキミは、少し嬉しそうな顔を見せた。ボクの願望かもしれないが。キミはゆっくりと、起き上がると、「こんにちは。今日も来てくださって」最初の頃とはだいぶ違う反応をするようになった。始めはボクを見て、キミは怯えていた。「どちら様かは存じませんが、本当にありがとうございます」そう、キミはボクが誰だか忘れてしまった。だから、最初は怯えたのだ。知らない男が突然現れたものだから、キミは怖かったのだろう。「いえ、お礼には及びません。むかし……ボクは貴女にお世話になったことがあるのです。貴女が覚えてらっしゃらないほど、遠いむかしにです」キミは不思議そうな顔をして、首を少し傾げる。「そう……なのですか?」「はい、お礼を云うならボクのほうです」キミは恥ずかしそうな顔をして、はにかむ。ボクはそんなキミを見て、また恋をする。たぶん、これからも、ボクは何度もキミに恋をするだろう。ずっとずっとキミに恋をしていくのだろう。 了 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #短編小説 #創作大賞2024 #オールカテゴリ部門 73