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♯【会社帰りの総菜屋】

最寄りの駅に着いて、アパートへ帰る道すがら、小さな肉屋がある。

惣菜も売っていて、一人暮らしで夕食を作るのが面倒な時、よく利用させて貰った。

鶏肉が大好きな私は、毎回チキンカツか、手羽先の焼いたのを買うことが多かった。

あ、あとポテサラ。

この町に引っ越してきたばかりの頃は、人見知りの私は、そのお店で買うことが恥ずかしくて、食べたいのに、素通りをしてた。

買えるようになってからも、どこか緊張していたと思う。

しょっちゅう買うのが恥ずかしく、顔を覚えられるのも抵抗があった。

けれど、いつの間にか慣れてしまい、安い給料から捻出して、鶏肉の惣菜を買って帰った。

スーパーの無い田舎町。

新宿から20分のところにあるのに、拓けていない。

アパートを探している時、この町にある物件が一番家賃が安かったのだ。

もちろん、風呂など無く銭湯通い。

しかも遠い。

それでも苦には感じなかったのは、途中にあるコンビニのおかげだったのかもしれないしれない。

銭湯帰りに必ず寄って、メロンシャーベットを買い、食べながら帰るのが楽しみだった。

ただ、途中に小さな踏み切りがあり、意地悪な大家さんから、あの踏み切りは、大学生が何人も飛び込み自殺をしてるんだよ。

そう聞いていた。

踏み切りの側には、狭そうな居酒屋があり、赤ちょうちんが、やけに明るく見えた。



ある日の会社帰り、あの肉屋さんの様子が変だった。

立ち話をしている主婦によると、夜逃げをしたらしかった。

かなり慌てて出て行ったらしく、テーブルの上には、食べかけのご飯が入ったお茶碗や、飲みかけの緑茶が置いてあったらしい。


信じられなかった。

昨日まで、にこやかに営業していたのに。

おばちゃん、おじちゃん、どこへ行ったのよ。

何があったの?

ねえ、手羽先の焼いたやつ、食べたいよ。

「はい、一つおまけ」

そう云って、しょっちゅう多くくれた。

この町に住む楽しみが減った。

おじちゃん、おばちゃん、元気でいて欲しい。

頑張ってスタートを切って欲しい。

私には、これぐらいしか云えないけれど、

私もスタートしたから。

だから人生の先輩の、おじちゃん、おばちゃんにも立ち直って欲しいんだ。

偉そうだけど、そう願ってるからね。

おじちゃん、どこかで美味しいチキンカツを揚げていて欲しい。

おばちゃん、また会った時は、笑顔で「お帰り」って云ってね。

今までありがとう。


                   (完)


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