漁り火 28 紗希 2023年11月27日 19:34 二人でテレビを観ていた。 悠馬、これって漁り火漁だよね。 灯りにイカが集まって来たのを 取るんでしょう? イカは灯りは嫌いなんだ。 だから船の下に隠れるんだって。 嫌いなのに何でイカは船に近づくの かな。 灯りに集まるのは、プランクトンで それを食べに来るのが、小魚で。 あ、そうか。イカは小魚を食べるんだ 小魚は、イカの他にも大型魚の餌 にもなるんだ。 自然界は、上手く出来てるね。この家に引っ越して来て半年が経つ。一人で暮らすのだから、1DKでいい。でもやっぱり1LDKがいいなぁ。贅沢かな。などと考えていた。そしたら部屋が三つもある、平屋の家屋があり、借り手を募集中だった。家賃は2万だと云う。早速、物件を見せて貰う。確かにあちこち傷んではいる。でも築40年の物件だもの、当然だろう。それより私は、開放感のある部屋や、海の見える風景の方に感心があった。私は、この家に住みたいと思い、契約した。痛んだ箇所は、建築士の友達に、ゆっくり直して貰おう。最寄駅からは、徒歩20分。しかもダラダラした坂道。けど、だからこその風景がある。多少不便でも構わない。私は、それくらい今の住まいが気に入っている。半年前までは、都心に近く便利だが、ビルがばかりで、自然がほとんど無い街に住んでいた。ほぼ10年、私はその街で、恋人の悠馬と暮らして来た。お互い口には出さないだけで、いずれ結婚するのだろう。そう思っていた。 先のこと判らない。私は、この言葉を痛感することになる。彼が昇進した途端に、上司から縁談の話しが来た。お相手は、その上司の愛娘である。「一度も会わないわけにはいかないし、会うには会うけど、その後は丁重に、断るから心配しないで」悠馬はそう云った。云ってたけれど……。「どうして?」「結衣、本当にすまない。この通りだ」悠馬は、土下座をした。「許してくれ。無理かもしれないけど、でも僕には謝ることしか出来ない」悠馬は上司の娘さんと結婚することことを選んだ。何故だろう。言葉が出て来ない。ただーー。憤りや哀しみでいっぱいの胸が、痛くて仕方がない。凄く……痛い。「結衣の好きにしていい。僕のことを、殴っても、蹴ってもいい。それだけのことを、僕は結衣にしたんだ」10年ーー何だったのだろう。短くはないよね……。だって、わたし、もうすぐ40だよ。知ってる?悠馬。私が40歳になること。ここで、一緒に暮らし始めた頃の私は、まだ30にもなっていなかった。って、そんなことーー。云ったところで、どうしようもないよね。私も悠馬が好きだから、一緒に暮らすことを選んだ。判ってるの、それくらいことは。それから、1ヶ月後に、私は悠馬と暮らしたマンションを出た。前の晩に泣き過ぎた私の目は、凄まじく腫れてしまった。だからずっと、下を向いて、新居まで来たのだ。「結衣ちゃん、壁の修理が終わったよ。見てくれるかな」私は修理された壁を見て、驚いた正直、かなりの汚れ方だったし、ひび割れには、なってないけど、細い線が、幾つもあった。今はまるで新築の壁と変わらない。「どうかな」「どうもこうも。流石にプロの仕事は違うね、鈴木くん」「合格でいいのかな?」「もちろん!本当に助かりました。クラスメイトに鈴木くんが居てくれて良かった。ありがとう」「喜んでもらえて、こっちも嬉しいよ」「代金だけど、電話で云ってた金額で、本当にいいの?」鈴木くんは、私が出した麦茶を飲むと、「うん、それでいいよ」そう云うと、タオルで顔の汗を拭いた。私は、引き出しから封筒を取り出した。「安くしてくれて、助かる。お疲れ様でした」封筒を、鈴木くんに渡した。「確かに。じゃあ俺行くわ」「夕食を食べていってと云いたいところだけど、奥さんが待ってるものね」「奥さん?俺、独り身だよ。今はね」「そうなんだ。意外」「結衣ちゃんこそ、意外だったよ」じゃあまたおやすみなさい「『今はね』、そう云ってたな。鈴木くん」簡単な夕食を済ませ、私はこの家の大家さんから頂いた、自家製梅酒の入ったコップを持って、ベランダに出た。眼下の海には、陽が沈むと同時に、ポツリポツリと、船の灯りが増えてくる。私は悠馬にとってのプランクトン。それとも、小魚になるのだろうか。 カラン氷の入った梅酒は美味しかった。イカに食べられた小魚でも梅酒の美味しさは、判るものだね。その後も、鈴木くんには、何度か修理をお願いした。設計事務所の方にも来てもらい、歪んだ柱を直してもらったりと、我が家は、どんどん快適になって来た。ある晩、鈴木くんに、私が作った料理を食べて貰うことになった。実はわたし、料理作りは好きなのだ。「結衣ちゃん、どれも美味しいよ。すごい腕前だね。このソースや、ドレッシングも、結衣ちゃんの手作りでしょう?」「そう。判って貰えて嬉しい。作ることが好きだし、誰かに食べて貰うことも幸せなんだ」鈴木くんは、不思議そうに、でも感心した目で、私を見ている。「料理が作れるっていいよね。男でも女でも」鈴木くんは、そう云いながら、フライパンで作った焼豚をパクッと食べた。「旨いね、これ」「でもね、簡単なのよ」「今度、作り方を教えて貰える?」「もちろん」料理のレシピを何品かまとめて、鈴木くんに渡そうと思った。「実は俺、去年、離婚したんだ」「そっか」「恥ずかしいけど、2年と続かなかったよ」「……鈴木くん、梅酒を飲まない?ビールの方がいいかな」「梅酒を貰おうかな」冷やした梅酒のコップを握ると、鈴木くんは離婚の話しを続けた。「全く料理が作れない人だったんだ、別れた嫁さん」「そういう人だっているよ。料理学校に通ったりはしたの?」鈴木くんは、いや。『行きたくない』って、行かなかった」「そうかぁ。食べることに興味がない人っているらしいけど、別れた奥さんが、そうだったのかな」「とにかく太るのは、絶対に嫌だと云ってたけど」しばし沈黙の時間「だから、俺が作るって云ったんだけど、それはそれで嫌なんだって」海の方から、花火の音が聴こえた。「毎年やってるんだ、けっこう迫力があるよ」鈴木くんと私は、海を観ていることにした。「わぁ!凄いね。大きな花火。ここで暮らしてると、エッセイのネタに困らないだろうな。それを収入としている私には、有難いことです」少しして、花火の打ち上げは終わった。花火の余韻が残ってるからか、私は少し寂しい気持ちになっていた。鈴木くんは梅酒が気に入ったみたいだ。「プランクトンを食べた小魚は、自分たちより大きな魚に食べられる」鈴木くんは、少しだけ驚いた表情を見せたが、私は続けた。「大型魚は、鮫や鯨たちに食べられるが、一番の強敵は我々、人間だと理解した」 カラカラ「氷が溶けてきちゃった」「……結衣ちゃんも、色々あったんだな」鈴木くんは優しい眼差しで、私を見ていた。そんな目をしたら反則だと思った。やっぱり、お祭りの後は、寂しい。「電話で、お母さんに、悠馬と別れたって云ったら、動揺してしまって」「10年以上だものな。結衣のお母さんも別れるとは考えたことが、なかったんだろう」「判るけど、でもね。一番心がボロボロになっているのは私なんだ」鈴木くんは、黙って訊いてくれていた。「半年やそこらで、治る傷なんかじゃないのに」私は、冷蔵庫から梅酒の瓶を取り出すと、鈴木くんと自分のコップに付け足した。「美味しいな。梅酒」「美味しいよね。大家さんの手作り梅酒」 人のこと、馬鹿にして……。思わず呟いてしまった。ハッとして私は、鈴木くんを見た。「結衣ちゃんは、どれだけ悪態をついても、俺はいいと思う。自分の中に仕舞い込むなんて、よくないよ」「ありがとう……」「おい!結衣ちゃんと交際していたヤツ!よくも俺の大事な、クラスメイトに、酷いことをしてくれたな」「長いこと付き合っておいて、最後は上司の娘と結婚だって?」訊いてたら、私は堰を切ったように、涙が止まらなくなっていた。 ひどいよ悠馬 これって何なのよ「結衣ちゃんも、その男に云ってやりたいこと、大きな声で叫ぶといい」鈴木くんに云われた私は、ベランダに出た。「悠馬のバカヤロー!」「その調子だよ結衣ちゃん」「私は悠馬を許さないから!絶対に許さないからーー!」「俺もだぞ、お前のことは絶対に、許さないぞーー!」私は泣きじゃくっていた。顔はグチャグチャだろう。けれど、そんなこと、どうでもよかったんだ。鈴木くんを見たら、彼も泣いていた。料理が作れなくても、鈴木くんがキッチンで作ることも嫌な人であっても、鈴木くんにとっては大切な人だったんだね。私たちは、暫く泣きながら叫んでいた。そして鈴木くんは、私の家に、泊まった。私とは別の部屋に。先のことは判らない。私はもう一度、このことを学ぶのかもしれない。けれど何故だろう私はそのことが楽しみで仕方ない。 了*手直ししました🙇♀️ ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #短編小説 #創作大賞2024 #オールカテゴリ部門 28