雨の降る日に 26 紗希 2024年4月28日 03:29 私が雨女なのか、彼が雨男だったのか。会う日は、必ずと云っていいほど、雨が降っていた。(今まで、ありがとう。瑠夏も元気でな。じゃあ)司は、その言葉を残して、この店から出て行った。傘は持ってるはずなのに、司はささずに濡れながら歩いて行く。寒くもない日でも、首をすくめて歩く癖。その背中が段々、小さくなって行く。最後はガラスに流れる雨粒と、自分の涙で、何も見えなくなった。この店のママさんが、黙ってグラスに、レモンの香りがする水を足してくれた。何を訊くでもなく、そのまま戻って行く。泣くと喉が乾くのは、私だけなんだろうか。私はグラスを手に取ると、冷えたレモン水を、喉を鳴らして、ゴクゴクと飲んだ。 「雨の音が、いいBGMになってる。大丈夫?瑠夏ちゃん」私はママさんを見て、頷いた。「無理してるよね。変なこと訊いちゃったな。ごめんなさいね」「ううん、いいんです」この店を、カフェと呼ばれるのが、ママさんは、大嫌いだ。(喫茶店と呼んでね。カフェなんて云われるほど、お洒落な店じゃないから)初めてこの店に入った時に、そう頼まれた。小学生の時から、将来は喫茶店をやりたい。そう思って頑張って来たのに、世の中は、スピードの出し過ぎだと思うのよ。何もかもが。カフェをやりたかったって、ピンと来ないもの。今更。「そうですよね。判ります」「ありがとう、瑠夏ちゃん。そうよね〜」ママさんは、窓ガラスの向こうに広がる煙った街を見ていた。そして云った。 「半世紀近く生きてきたけど、人生って、何が起こるか想像もつかない」「私はまだ、33年しか生きてませんが、そう思うことは何回もありました。……今度のことも、その一つです」「全く、司くんは、いつから変わっちゃったんだろ」ママさんは怒っていた。5年付き合っていた司と私。3ヶ月前に、司から訊いたこと、私は言葉の意味を理解するまで少しの時間が必要だった。「瑠夏、俺はインドに行く。ヨガを始めてからずっと、行きたいと思ってたんだ」「インドって、何しに」「本場でヨガを学びたいのと、インドでなければ、体験できないことを、実際に俺も経験したいんだ」確かに、本やネットでも、インドに行った人の話しを読むと、一度行くと、かなり影響を受けるらしい。そういう感想が多い。これは行った人にしか、判らないそうだ。司は生まれつき、体が弱い。心配した司の両親は話し合い、「激しい運動は無理だが、ヨガなら司のためになるかもしれないぞ。美和と同じヨガ教室に行けばいい」そして、司はお母さんが通うヨガ教室に一緒に行くようになったのだ。「初めは、動きがスローだし、つまらなかった」「いやいや通ってたけど、徐々に肉体も精神も、心地良くなってることに気付いたんだ」その後、お母さんはヨガを止め、ピラティスに通うことになり、司だけがヨガを続けた。「痩せてるものね、司くん」「というより、ガリガリですね」私は思わず、笑顔で話していた。「私もヨガ教室に行こうかな」ママさんは真剣な表情だ。その後も司は、ヨガにのめり込んで行き、長いこと通ったヨガ教室を止めて、ある人の元に、通い出したのだけど……。「瑠夏ちゃん、何か飲む?お腹は空いてない?」「食欲は……」「あゝ、そうよね」「でも、飲み物を貰います。甘いのがいいな」「それなら、チョコレートはどう?ホットチョコレート。フルーツが良ければ、マンゴーとかバナナとか」「ホットチョコレート、美味しそうですね。それにします」「少し待ってね」ママさんが、カウンターに行ってる間、私はまた、外を眺めた。相変わらず降っていて、止みそうも無い。「私が雨女だったのかな」ある雑誌で、ヨガの特集が組まれた。もちろん司も買い、読んだ。私も見せてもらったが、“ヨガの達人”と云われている人達が、数名紹介されていた。その内の一人に、司は憧れを抱いた。まさに仙人のような風貌の老人の写真が載っていたが、自らの手で造ったという、小さな住まいも映っていた。それは、とても現代の家とは思えない。原始時代の住み家のようにしか見えなかった。老人は、自分は独り身だから、このスペースで十分だと、インタビューに答えている。司は何故か、この老人に惹かれた。そして弟子にして貰ったのだ。「はい、どうぞ。ホットチョコレート。甘いわよぉ」ママさんが、悪戯っ子のような目で、私を見てる。「いただきます」私は少しだけ、口に含むと、喉に流した。「確かに、かなり甘いけど、美味しいですね。なんだか……肩の力が、抜けるような感じ」ママさんは、優しい瞳をしていた。「良かった。ホットチョコレートにして」そう云って後ろを向いた。泣いてくれてるのが、私にはすぐに判った。「ママさん、ありがとう」私の言葉に、ママさんは首を振って、そのまま奥に引っ込んだ。私は最初から、余り良い感じを、その老人には抱かなかった。何故かは理由は無いけれど……。司には、あんまりこの老人とは、繋がって欲しくはなかったが、そんなことを云ったところで、今の司なら、ムッとするだけだろう。だから私は何も云わなかった。ある日、私は友達とハイキングに出かけた。近県の、さほど高くない山へ。日頃の運動不足がたたった。私と友人は、直ぐに息が上がってしまい、休んでばかり。岩に座って水分補給をしていた時だ。「あれ、なんだろう」友達が前をジッと見ている。彼女の目線を辿って、私もその方向を見た。20人、もっとか。30人くらいの人々が、集まっている。大人たちは、松明を頭上で振り回し、子供達が笑いながら、見ている。子供。子供が、やたらと多くいる。大人より、圧倒的に人数が勝っていた。「なんだか、気味が悪いね。行こうよ瑠夏」「うん、行こう」立ち上がる時、私は見つけてしまったのだ。あの老人の姿を。急に怖くなって、私は早足で歩いた。友達も、早くこの場から離れたいのだろう。無言で、歩いていた。(宗教じゃないよね。でも、どう見ても、そうとしか見えなかった)(司のヨガの老師も、それなら入信している?)「宗教が全て悪いとは、思わないけど、明らかにこれは駄目でしょう。というのも、たくさんあるからね」友達も、同じことを思っていたようだ。その時、雨が降り出した。また私が降らせたのかな。「瑠夏、ぼんやりしてないで。ケーブルの駅まで急ごう」結局、ハイキングは取り止めになった。私と友達は、いつまでも、気にするのは、よそう。と話した。この日以来、司のことが、心配になったのだ。あの老人と、離れてくれないかなぁ。そして毎日、祈るようになった。そして司は、インドに行く。滞在期間は判らない。何ヶ月、もしかしたら数年になるかもしれない。そう司から訊いたのだ。私は悲しかったし、辛かった。けど、あの老人の元から離れることに、安堵したのも確かだった。私は今まで通り、会社で経理をしている。司がインドに旅立って、もう直ぐ10ヶ月だ。元気にしてるだろうか。よく晴れた、休みの日。私はアウトレットで買い物をして、駅に向かう途中に、突然マッチョな男たちが、ある建物から出て来るのところに遭遇した。そこはトレーニングジムで、ガラス張りの建物からは、中の様子が見える。たくさんの、トレーニングマシーンがあった。少しの間、室内を見ていた。一人の男性が、大きく口を開けて、私を見ていることに気付き、見たらその男性は、司だったのだ。何で。インドは。なんなの。他人の空似?「瑠夏。久しぶりだね」大きく重そうなバックを持って、司がジムから、出て来た。(なにが、久しぶりよ)「怒ってる?怒ってるよね。当然だよ」「話しを訊かせて貰いたいんですけど」そして私と司は、ママさんの喫茶店にいま来ている。司を見たママさんは、幽霊を見たような顔をした。いつもの、窓際のテーブルに着いた。「アイスコーヒーを二つください」ママさんは、無言で何度も、頷きながら、カウンターへと戻って行った。「瑠夏から、質問してくれないか。何から話せばいいのか、俺の中で、まとまらなくて」「インドには行ったの。行かなかったの」「行かなかった」「私に嘘をついたの?別れたかったから」「違う。それは違うよ。行く予定だったんだ。それで老師に挨拶に行ったんだ。そこで」ママさんが、震えながらアイスコーヒーを、テーブルに置くと、そそくさと、立ち去った。司も私も喉が乾いていたので、一気に半分飲んでしまった。「そこで、老師と瞑想をしたんだ。俺の方が、トランス状態になって、それを見て老師は、俺に質問して来たんだ。とんでもない内容の」はああ〜〜司は、深いため息をついた。私は次の言葉を待った。「老師はいつも、『女、金、地位、そういったものは、全て排除して生活することが、悟りを得るには、かかせないのだ』と、云ってたんだ。なのに」司はまた、アイスコーヒーを飲んだ。ほとんど空だ。「ママさん、お代わりを一つください」ママさんは、いつの間にか、こっちをジーと見ていたのだった。「お代わり、一つね」どうやら、少しずつ落ち着いて来たようだ。良かった。「老師は司に、どんなことを聞いたの?」[ワシは、いつ金持ちになれるのだろうか。それから美人の妻が欲しいのだが。それからタワマンに住みたいのだよ]「……」「な、酷いだろ?俺には老師の声が、ハッキリと聴こえるから、もうね、こんなインチキに習って来たのかと思ったら、インドに行く気が全く無くなってしまったんだ」話し終えると、司は項垂れた。「はい。お代わり置いとくわね」ママさんは、気の毒そうに、司のことを見ていたが、カウンターで洗い物を始めた。「なにか、変なことに誘われなかった?」「変なこと?あゝ、自分が教祖になって、やってる宗教みたいな、やつのことなら、断ったよ」「良かった〜。え、あの人が教祖なの?うわぁ!」私もストローを、すすった。「俺が瑠夏に連絡をしなかったのは、出来なかったからなんだ。恥ずかしくて。だから1年経ったら、インドから帰国した体で、何らかの形で瑠夏には連絡しようとも考えた。けど、俺の勝手な考えで、別れたのに、連絡したら迷惑だろうとも思ったんだ」 ピカッドーン!ガラガラガラガラ「雷だ。いま、近くに落ちたよね」「うん。今日は、雷男て雷女かな」テーブルに、豚の生姜焼き定食と、ジャガイモとほうれん草のグラタンが運ばれた。「え、これ」私はママさんの顔を見た。「私の奢り。遠慮なく食べて、ね。それにしても司くん、たくましくなっね。ガリガリだったのに」ようやく、いつものママさんに戻っていた。「真逆になりたくて、鍛えることに、したんです。嬉しいなぁ。実は、腹ペコだったんです。ご馳走になります!」そう云うと司はパクパク食べ始めた。私は、そんな司を見ながら、思っていた。私はまた、この人と付き合って行くのだろか。赦す、赦せないではなく、何だか自分の中で、納得していないのが判る。「瑠夏ちゃんも、ほら食べて。熱い内に」私はママさんの、グラタンを食べながら、急いで答えを出すことは、ないんだ。そう思うことにした。 ピカッ「あ、また来る」ドーーン メリメリメリ私の人生、今は第何章だろうか。雷が、幕開けを告げる。 了 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #短編小説 #インド #雨女 #読んくれてありがとうございます 26