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いつも夕焼けを見ていた
(おーい、未來ー)
仕事を終えて、電車に乗って、最寄り駅で下車をした。
(そこで待ってて。一緒に帰ろう)
改札を出たら、駅前のスーパーで
夕食の買い物をする。
この店が、街で一番安いからだ。
けれど品質は決して悪くはない。
(フゥ〜、やっと追い付いた。歩くのが早くなってない?)
店内に入り、カゴを持つ。
「これだけ物価が高騰してるのに、
このお店だけは、値上げ幅が小さいのよね」
買う物は、野菜からと決めている。
「買う側としては、ありがたいけど、
売る側は大丈夫なのかな。心配になって来る。もう少し値上げしても
いいから、潰れたりしないで。お願いだから」
疲れ気味なので、ニラをカゴに入れる。
レバーは苦手だから、それ以外の豚肉を買って、炒め物にしよう。
乳製品のコーナーで、私は立ち止まり、少しの間、そこにいた。
(今日の晩飯はなに?作るのは、休んでからにしなね。未來だって働いてるんだから)
「やっぱり卵は、高いなぁ。あの店ですら、265円したものね。たいして品数は買ってないのに、払う時に驚くのよね」
(今日も、夕焼けがきれいだな)
スーパーを出て、歩道を歩いていると、真っ正面に夕焼けが広がっている。
この街の夕焼けが、私はとても好きだ。
今日も無事に過ごせたんだと、しみじみ思う。
(この信号は、赤が長いよな)
「いつも、この横断歩道で、待たされるのよ。結構、交通量が多いから、仕方がないけど、何とかならないものかしらね」
(あ、変わったよ。渡ろう)
やれやれ、ようやく青になった。
渡り終えると、急勾配の坂道が、
待っている。
運動にはなるけど。
特に、ふくらはぎが。
(荷物は僕が持つから、かしてみ)
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「やっと着いた」
こじんまりしたマンション。
その一階に私は住んでいる。
同居人は、居ない。
「ただいま〜」
「お帰り。お疲れ様、わたし」
(お帰り未來。お疲れ)
鍵は、所定の場所に置くようにしている。
パンプスを脱ぐと、それだけで、
開放感に浸れる。
「脚がパンパン。今日一日、課長と外回りだったからだ。外反母趾が、酷くなった気がする。やだなぁ」
(大丈夫か?)
誕生日に、友達がハーブティーをプレゼントしてくれた。
色々と種類がある。
「どれにしよう。ミント?いや違うな。ハイビスカス、これだ」
透明な、ガラスのティーカップに、
ハイビスカスの、少し黄色がかった赤色が映える。
酸っぱいこの味が、私は好きだ。
「いかにも、ビタミン豊富な感じがして、元気になる気がする」
(相変わらず単純だな、未来は。
でもそれは、キミの長所だよ)
ソファに座り、ハイビスカスの甘酸っぱい香りのハーブティーを飲みながら、部屋を見回す。
「一人で住むには、2LDKは広過ぎるよね、やっぱり」
郊外にあるマンションだから、今まで、何とか家賃を払って来たけど、
正直、ボーナスのほとんどが家賃で消えていた。
「次のボーナスが出たら、引っ越そう。決めた!」
リビングにある、アンティーク調のチェイサー。
その上に置かれた、すずらんのような形をした、これもアンティーク風のテーブルランプ。
この2点が部屋から、完全に浮いてる。
「どうして買ったんだろう。取り立てて、趣味じゃないのに」
広い会場で、家具の展示会があった。
私は気分が舞い上がってしまい、その流れで買った物だった。
止めてくれる人がいたのに。
そのチェイサーの上には、写真立てもある。
私と……岳の写真。
2年前まで、2人でここに住んでいた。
そろそろ結婚の話しが出る頃だった。
そんな時、岳の親友から電話が来た。
北海道で、父親と一緒に酪農を経営している人だった。
[もう、続けていくのは無理になった。親父の持病も、悪化してしまったし。辞めるしかないんだ]
岳は、親友と話しながら泣いていた。
たぶん電話の向こうでも……。
それから数日後。
「未来、僕は北海道に行こうと思う」
岳は、私にそう告げた。
「親友のところへ?」
「勝手を云って、本当にすまない」
私たちは、付き合ってから10年。
一緒に暮らすようになって、6年が過ぎていた。
「今の酪農の状況だと、立て直すのは、無理かもしれない。だけど、
祖父の代から酪農に携わってきたアイツと、僕がさんざん世話になった親父さんのことを思うと……」
「行っていいよ」
「……」
「これだけ長く、一緒に過ごしていれば、岳の性格は、把握してるもの。それから、引き止めることが出来ない自分のことも……」
あの日、二人で泣き続けた。
どうにかなりそうな程、泣いた。
ううん、どうにかなっていたから、あれほど泣いたんだ。
「いつ、戻れるのか僕にも、判らない。だから」
「待つな。でしょう?」
「未来、ごめんな」
「待たないよ、もちろん。ただ岳の荷物は、どうしたらいい?」
「捨てていい。全部。かかった費用は、僕の実家に手紙で知らせてくれないか。一旦、親に立て替えて貰う。未来の住所に書き留めで送るように話しておくから」
「判った。それじゃあ、気をつけて行ってらっしゃい、岳」
「ありがとう。行って来ます。未来」
そして今日、私はこのマンションを出る。
荷物は全部、先に運んでもらった。
新しい住まいは、1LDK。
それでも広過ぎるかもしれないけど。
「部屋の掃除は終わったし、鍵は駅前の不動産屋に返せば、全て完了だ。さて、行きますか未来さん」
外に出て、鍵をかける。
そして、私はマンションを後にした。
振り返りはせずに。だけど、
泣くのは……我慢しなかった。
「いい運動になった、この坂道とも、お別れだね」
坂を降り、目の前の信号を見た。
珍しく青だ。
「よし、行くぞ!」
私は、大きな歩幅で横断歩道を渡った。
そして、空を見上げた。
いつもの見慣れた夕焼けが、今日も空に広がっていた。
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