いつかその内
6時か……
壁の時計に目をやり俺は呟く。
「さぁさ、時間よ。今日はノー残業ディだから仕事はそこまでにしてください」
最近係長になった越田女史が、甲高い声をあげる。
あちこちで片付ける音が訊こえて来る。
ほとんど仕まう物がない俺は、数秒で終了。
真っ直ぐ帰るのもつまらない気がした。
「映画でも観て行くか」
急にそう思った。
「お疲れ、西野は直帰するのか」
そう声をかけてきたのは柴田だ。
「いや、寄り道を考えてるが」
「まだ確定してなければ、やってかないか」
柴田は飲むジェスチャーをした。
「悪い、映画を観て行こうと思ってるんだ」
「へえ、映画か。何か観たいのがあるのか」
「いや決まってない。その場で決めようと思ってる」
「ふ〜ん、西野が映画ね。たまにはいいかもな。じゃあまたな」
「悪いな、お疲れ」
僕は鞄を持つと部屋を出た。
エレベーターの前にはかなり人が待っている。
俺は階段で降りることにした。
外へ出たはいいが観る映画が決まっていないので、どこかで軽く腹に入れながら決めることにした。
近くにチェーン店の喫茶店がある。
俺はその店に決めた。
入ってみると、案外混んでいるので
俺は二階に行き、席を確保出来た。
「いらっしゃいませ」
「アイスコーヒーと、ナポリタンを」
「かしこまりました」
この店の椅子が気に入っている。
程よくふかふかで座り心地がいい。
早速スマホで上映中の映画を調べた。
近場の映画館にしたい。
新作映画には今一、そそられる作品がない。
そんな中、[懐かしの名作映画特集]の文字が目についた。
“未知との遭遇”“スタンドバイミー”
“エクソシスト”“シザーハンズ”
“ニューシネマパラダイス”
「エクソシスト以外は観たな。全部良かった」
「あ・と・は、“オードリーヘップバーン特集”か。そういえば彼女の映画は観たことが無いな」
「お待たせしました。アイスコーヒーとナポリタンです」
「どうも」
「う〜ん、どの映画に、アッ!これをやってるのか」
“フィールドオブドリームス”
「大好きな映画だ。決まり」
俺は急いで食べると、映画館に向かった。
実はこの映画のDVDを持っている。
けれどスクリーンで観るのが最高なんだよな。
上映している映画館は電車で二駅先にある。
「こういう時に定期はありがたい」
電車に揺られ、最寄駅に到着。
駅前にある映画館でチケットを買い館内に入る。
次の上映まで、あと20分だ。
ロビーで待つことにする。
目の前に映画のポスターが貼ってある。
俺は複雑な気持ちで見ていた。
この映画を以前に観たとき、俺は一人ではなかった。
当時、交際していた彼女と二人で観たんだ。
リバイバル上映だった。
俺も彼女も最初から引き込まれて
最後は感動して二人で泣いていた。
けれど今日は俺一人。
彼女が去って行ったから。
俺が不甲斐ないせいで……。
映画を観終えた俺は1ルームのマンションに帰った。
何故だかすごく疲れた。
「シャワーを浴びてさっさと寝よう」
時刻は午前0時を回っていた。
[皆さん西野くんに着てない洋服があれば学校に持って来て欲しいの]
[お母さんに訊いて、タオルとか毛布があれば……]
[西野くんを励ましてあげてね]
ウ……
ハァ ハァ
先生もうやめてくれ
惨めで死にそうだよ
[缶詰などの日持ちがする食糧]
「やめてくれって云ってるだろう!」
ハァ ハァ
「夢か、フーー、暫く見なかったのに……喉が渇いた」
俺は水道の蛇口を捻り、コップに注いだ水を一気に飲んだ。
いつまでこんな想いを引きずらなきゃいけないんだ。
小学生の時の出来事だ、30年前のことなのに。
いい加減、解放して欲しい。
翌日、会社帰りに俺と柴田は屋台のおでん屋にいた。
俺の方から誘ったんだ。
夜中の悪夢が生々しくて誰かに訊いて欲しかった。
「まだ夢に出て来るのか。強烈な体験だったのは判るが」
「俺のせいで家が火事になったからな。寝ぼけてストーブを倒したのに気付かなかったなんて大馬鹿だよ」
「火事は誰にとってもトラウマになりそうな体験だもんな。それをまだ小学生の西野が目の当たりにしたんだ。ショックどころじゃなかったろう。大将、冷酒おかわり」
「はいよ」
「俺は自分を許せずにいるんだ、今も」
「わざとじゃないんだ。もう自分を追い詰めるのは止めたらどうだ」
「……半狂乱になってる母親、座り込んだまま立てなくなってる父親。
焼き付いてるんだ、ずっと」
「西野の苦しい気持ちはオレにも判るよ、全部じゃなくても。でもそれらを少しずつ手離していく時が来たんだ」
俺は黙って冷酒を煽った。
「その内な。今はまだ無理だ」
「……いつかいつかと思っていると、いつかはやって来る」
「?」
「いつかいつかと思っていると、いつかはやって来ない」
「なに、急に」
「沢木耕太郎の『一瞬の夏』に出て来る言葉だよ。オレの大好きなノンフィクションなんだ」
「ふ〜ん。で、どっちが正解なんだ」
「西野も読むといい。正解は果たしてあるのかオレにも、判らない」
「いつか、か……」
「西野に一つだけ伝えたいことがある」
「伝えたいこと?」
「西野のことを本当に心配してくれてる人には、心を開いてもいいじゃないか、ということだ。西野が一人で抱え込み、苦しんでいるのを知って、何か自分にも出来ることはないかと真剣に思ってる人もいるんだよ」
「誰のことを云ってるの?」
「自分は西野の辛さを少しでも減らしてあげたいと思ってたけど、無理だった。そう云って去って行った彼女もそうだよ」
「あ!」
「西野は自分が許せないというが、その西野のことを本気で大切に想ってる人だっているんだよ」
「……」
「そういった人間は、大事だと思わないか」
「……そうだな」
「因みにオレもその一人だ」
「ありがとう、柴田」
「だからここは西野の奢りな」
「もちろん」
俺たちは笑い、冷酒を飲み干し別れた。
その晩、彼女に電話をかけた。
キミの気持ちにやっと気づいたよ、そう伝えると、彼女は電話の向こうで泣いた。
僕らは次の休みに会う約束をして電話を切った。
いつか、ではなく俺が生きてるのは、今なんだと、そんな当たり前のことを、この夜、俺は知った。
了
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