ロマンティック美・ハゲ 136 紗希 2020年6月26日 13:31 貴方と暮らし始めて半年が経つ。私が仕事から帰ると、貴方はいつもテーブルでパソコンと向き合っている。貴方の仕事は文筆家だ。私はそっと、背後から近づくと、左右の腕を貴方に絡め、ギュッと抱きしめる。「お帰り小百合」「ただいまダーリン」日々、繰り返されるこの瞬間が、私は大好きで、幸福度はMAXになる。あぁ、私は貴方を、こんなにも愛している。そう思うと、自然に涙が頬をつたう。その涙は貴方が命と同じくらい大切にしている頭部に、ポツリと落ちる。毛が一本も無い彼の頭皮を、丸いままコロコロと流れて行く。そう、早朝の畑の、里芋の葉に朝露が、コロンと光っているように。部屋の灯りを反射して、虹色に輝きながら、その丸くて透明なものは、貴方の頭を伝って肩に落ちる。「小百合、また泣いてるのかい」キーボードを打ちながら貴方は云う。「だって、幸せ過ぎるから……」貴方は無言で、巻き付いている私の腕に、そっと自分の手を重ねる。あぁ、私は自分がこんなにも幸せ者だなんて。ちょっぴり怖くなる。「大丈夫さ。何も悪いことなど、起こらないのだから」私の心の中を見て来たかように、貴方は毎回、そう云うのだ。私は嬉しくて、また泣きそうになる。「小百合、今夜は夕食を作るのを休みにして、何か宅配でも頼もう」私が黙っていると、彼は振り返り、ようやく私に顔を見せた。「な、そうしよう。小百合を、たまには家事から解放してあげたいんだ」優しい瞳をした貴方が、そう云った。私は大きく頷いた。「決まりだね。小百合は何が食べたい?」「私、実はお腹が空いているの。仕事が忙しくて昼食を食べそこねたから」「えっ!お昼ご飯を食べてないのか。それは空腹だろう。何でもいいさ、小百合の食べたい物にしよう」「そしたら……ピザでもいいかしら」「もちろん!僕もピザは好きだし、小百合とは味の好みも合う。好きなピザを何枚でも頼むといい」私は笑いながら、「何枚もなんて食べられないわ。Mサイズのピザを2種類でいいかな。もちろん2人分よ」「OK。生地はクリスピータイプでいいね?」「同然。あのパリパリした食感は大好きだもの」2人でピザ屋のメニューを見て、ミート系のと、マヨネーズで味付けをしたピザに決めた。彼は直ぐに携帯から注文をした。「混んでるらしい。40分くらいだって」「ありがとう。じゃあ着替えてくるわね。あ、貴方はもう、シャワーを浴びたの?」「浴びたよ。小百合が帰宅する15分前に済ませた」「お、お手入れは?」不安気に私は訊いた。貴方は笑顔で、「もちろんまだだよ。だってあれは小百合がやりたいんだろう?」「あ〜良かった〜。着替えを終えたら、直ぐやるから、待っててね」「はいはい、どこにも行かないから安心して着替えておいで」貴方は笑顔でキーボードを打ち始めた。私は急いで着替えをし、貴方の居る、キッチンに戻った。「急がなくていいって云ったのに全く小百合は」貴方は半分、呆れ顔で微笑む。「だってシャワーを浴びてから、あんまり時間が経たないほうがいいと思って。準備は出来てるわ、やりましょう」「じゃあ、宜しく頼みます」と、貴方。「任せてね」私は化粧水の瓶と、コットンを持ってきてある。コットンに、大目に化粧水を染み込ませる。そしていよいよ、貴方の頭皮の、お手入れ開始。トントントンと、貴方の頭をコットンでパッティングをしていく。「気持ちいいなぁ。自分でやるより全然いい気持ちだよ、小百合」「でしょう?こんなにピカピカで、ツヤツヤの美しい頭皮を見ると、どうしても、お手入れがしたくなるの」「そんなものかねぇ」「そうよ。ましてや愛する人の頭だもの。常にキレイでいて欲しいの」「ありがとう小百合。そういえば、話したことがあるかもしれないが、僕が将来ハゲになることは、中学1年の時にはもう決まってたんだ」「どういうこと?」「学校から帰ると、祖父に呼ばれてね。行ってみたら祖父は、いきなり僕の髪の毛を触ったんだ。そして云われたよ、『お前は絶対にハゲる』ってね」「お爺さまが、そんなこと……。ショックだったでしょう?」「ザワザワしたのを感じたよ」「分かるわ、その感じ」私はパッティングを続けながら、そう云った。「いや、ザワザワしたのは僕じゃないんだ」「えっ? じゃあ何がザワザワしたの?」「小百合がいま、お手入れをしてくれてるところ」「は?私が?だって、それは……」「僕の頭皮の毛穴たちさ。僕には何を話しているのかが、よく伝わってきたから」「……毛穴、たちの話しが分かったと云うこと?そもそも毛穴って話すの?」「話す。僕もこの時に分かったことだけど」「何て云ってたの?その……貴方の毛穴」「色々だよ。とにかく大騒ぎしてた。ある毛穴は、『えー!こいつ、将来ハゲるって?』『せっかくこんなに健康な毛穴に生まれたのに。ハゲるんじゃ働ける時間が短いってことだろう?やだな〜オレ』 悔しそうに、そう云ってたよ」「なんて言えばいいのか」「小百合が気にすることはないよ。その晩は、毛穴たちが、ずっと喋ってるからオレは眠れなかったよ」「そうだったの、パッティング終了したわよ」「あぁ、ありがとう。気持ち良かったよ」「お喋りの内容を訊いてもいい?」「いいよ。とにかくよく話してたな」『毛穴人生、今回は負け組かよ』とか、『その勝ち組み、負け組っていいかた、オレは大嫌いだ』そう、怒る毛穴もいたしね」私は何も言葉が浮かばない。ただ、訊いているのが面白かった。貴方には悪いけど。「そして毛穴たちは、相談を始めたんだ」「相談?」貴方はゆっくり頷いた。『いつ頃からハゲさせたらいいんだ』『順番というものがあるだろう』『そうだな。先ずは毛根に頑張らないように伝えないと』ハア〜〜〜毛根がタメ息をつくのが聞こえた。『毛根、分かるよキミの気持ち』毛穴が優しくそう云った。『ありがとう毛穴。俺さ、過去に何度も毛根としての道を歩いて来た。そこには、毛根としての意地と気合いが常にあったんだ。少しでも永く、太くて強い毛を生み出すぞ!ってね』毛穴たちは黙って聴いている。時々、すすり泣く声も混ざっていた。『なのに……こんな日が来るとはな。細くて弱々しい毛を生えさせるわけだ、直ぐに抜け落ちるように』そう云って、毛根はまた、タメ息をついた。毛穴が云った。『俺たちも元気でいるわけには、いかない。段々と縮んで、毛を生えにくくしないとな』『ちょっと待ってくれ。コイツはまだ中学1年だ。今からハゲさせるわけにはいかないだろ?いつ頃を予定しておく?』『そうだな、せめて学生時代は可哀想だから、社会人になってからだな』『そうだな、そう思っておこう』「あっそう云えば」「どうした、小百合」「以前に貴方は自分の大学時代の写真を見せてくれたわよね?」「そんなこともあったな」「あの時の貴方の髪、すごい量だった。なんていうか、爆発しているみたいに私には見えたわ。ベートーベンみたいだった」「……葉加瀬太郎を意識したんだが、ベートーベンではなく」「ご、ごめんなさい」「いや、いいんだ。確かにあの頃の髪の毛の量は凄かったな。僕はくせ毛だから、小百合の云う通り爆発してたな」「あの時……僕は彼等の会話を聴いていた。毛穴たちの話しをね」「なんて云ってたの?」『よっしゃーー!最後に一花咲かせるぞ!みんな、いいか』『もちろんだ!毛穴の熱い思いを全部出すぞ!』『オレたち毛根も、先に旅立った仲間たちの想いも込めて、ありったけのパワーを出して、最高の髪質のを、生むからな!』『オーーーー!』私は貴方の頭皮を優しく撫でた。「ステキよ、あなたたち」そう云うと、頭皮に、たくさんのキスをした。ありがとうの感謝を込めて。また、涙が出てしまった。同じように、コロコロと貴方の頭皮を転がって行った。貴方は椅子から立ち上がり、力を入れて、私をハグした。「僕はもうすぐ還暦になる。こんな初老の男でも良かったら、結婚してくれないか」「私も来年には40になるのよ。でも……嬉しい!ずっとずっと一緒に暮らせるなんて夢のようよ」その時、貴方と私に光がキラキラと降り注いだ。神さまが、祝福してくださっているのを、私は感じた。貴方の頭にも、光が眩しく輝いている。ありがとう、毛穴ありがとう、毛根ありがとう、愛する貴方そして、ありがとう、最後まで読んでくださった人よ。あなたにも、愛と光が注がれますように。 了㊗️お陰様で【ハゲ賞】を受賞しました🎉 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #短編小説 #創作大賞2024 #オールカテゴリ部門 136