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カーテン越しの朝日

貴方は朝日がレースのカーテン越しに、この部屋に差し込む光景に、
いつも心を奪われていたね。

「なんて美しいんだろ。キミはどう思う」

正直に云えば、朝日に特別な感情はなかった。

けれど、目を細めて日差しを見つめる宗を見ていると、たぶんそうなのだろうと私は納得する。


感受性の豊かな宗の意見は、鈍い自分には常に正解だからだ。

50代の宗と30代の私。

年齢差以上に、私は宗を尊敬している。

“自信”を持ち合わせている宗とは真逆の自分。
生まれてくる時に、自信を母のお腹に忘れてきたのかもしれない。


私は宗のことは何も知らない。
宗自ら話さないことを、私から訊くことはない。


それくらい宗という人間は、自分の人生の全てになっている。
私は宗の目を通して、世界を観るようになっていた。

ホテルのラウンジで、紅茶を飲みながらピアノの演奏に聴き入っていた私に、宗は話しかけて来た。

演奏されているピアノ曲について、宗は詳しく説明をした。


たったそれだけのことで、私は既に宗を尊敬し、彼に反論することなど、考えられなくなっていた。

そしてその日の内に、彼は私のマンションで暮らすようになった。

仕事は何をしているのか。
家族は居るのか。
どこに住んでいるのか。


私は、何も知らないまま宗と暮らして半年になる。
朝、私が仕事に行く時も、彼はまだ部屋で寛いでいる。


日中、宗が何をしているのか。

どうでもいいことだ。
いつの間にか、彼の洋服や靴が少しだけ増えているので、取りに行く場所があるのだろう。


月始めになると、宗は何も書かれていない、真っ白な封筒を私に手渡す。

中には30万入っている。

多過ぎるからと云って、返そうとするのだが、宗は絶対に受け取らない。
それが判った今は、黙って受け取るようになった。


私には家族が居ない。
居るのかもしれないが会ったことが無い。

施設で育った私は、周りの大人に自分の両親のことを訊いたけれど、誰も教えてはくれなかった。
そういう決まりなのだろうか。

そして施設を出るまで、私に会いに来た人は、1人も居なかった。

最初は寂しかった。最初は。

だが、段々とその気持ちは薄れていった。
自分が、どこの誰なのか。
それが判らなくても成長していく自分がいることに気付いてからは。


施設の人たちは優しかったが、家族と呼ぶことには無理があった。
ずっと宙ぶらりんな感覚の毎日の中で私は大人になっていた。

だから、宗がどこの誰でもいい。
私の人生はきっと、宙ぶらりんなのだろう。


「僕には持病があってね」

だから……すまない。


私を抱けない理由を、宗はそう告げた。

私はただその言葉を受け入れるだけだ。

それに私自身、どこかでホッとしていた。

彼を愛しているのに。

安堵する自分が、そこには居た。

……愛してるのだろうか私は彼を。


宗はホテルのラウンジでピアノ曲に詳しかったように、何に関しても博学な人で、色々なことを私に話して訊かせる。


まるで私の脳に知識を埋め込もうとしているかのように。
ゆっくりと優しく、何よりも判りやすく、噛み砕いて話してくれる宗を、疎ましいと感じたことは無い。


2人で暮らすようになり、1年が経った。
ある日、帰宅した私に宗は話しがあるんだと云った。


「僕はここを出ていかなければ、
いけなくなった」

宗がそう云っても、直ぐには理解出来なかった。

出て行く。それは、私の前から居なくなること。
この2つが同じことを表していると云うことが判るまで、時間がかかった。


いつもの私なら、宗が云うのなら、そうなのだろうでお終いだった。

けれどこの時の私は違った。

「何故、出て行くのか教えて欲しい。私は待っていてもいいの?」

初めて質問をした。

宗は私を抱きしめると、何度も
頭を撫でた。
質問には答えないまま。


「貴子、幸せになりなさい」

宗はこの日、初めて私を名前で呼んだ。


そして彼は私の前から姿を消した。


ある休みの日、少しだけ寝坊をした私はテレビを着けた。
そのままキッチンへ行って、簡単な食事を作ろうと考えていた。

【テレビからは、あるニュースが流れていた】


「サンドイッチが食べたいな。よし、作ることにしよう」

冷蔵庫を開けると、スライスチーズもハムもある。


【2年前に、現役を退いた政治家が
収賄の容疑で、取り調べを受けている】


  私は冷蔵庫の野菜室を
  覗いた。

  「レタスしかない。でも十分よ

  これで作ろう」


【代々政治家の家系で大臣も務めたことがあり……】


  「バターと、私の好きなマスタ
  ードを塗って」


【まもなく逮捕の模様】


    「飲み物は何にしよう」


【宗の顔が映っている】


出来上がったサンドイッチと100%のオレンジジュースをトレーに乗せた私は、キッチンから出ると、テーブルに置き、自分も座った。


窓から心地よい風が、私のところまでそよいで来た。

宗の好きな朝日が、カーテン越しに差し込んでいる。


それを見ていた私に、何故だか赤ちゃんの姿が見えた。

日差しを受けながら、キャッキャと笑う赤ん坊がいる。


男女が幸せそうに微笑んでいた。


その幻を見た私は手にしたコップをテーブルに置いた。

涙が止まらなかった。

寂しさは、施設で慣れたはずだったのに。
そう自分に言い聞かせて、ここまで生きてきたのに。


テレビから天気予報が流れてくる。

もうすぐ梅雨明けだと、

そう伝えていた。


      了


















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