さだ子さん・あれから (中編)
「林健太さん、見て」
さだ子さんに、そう云われ空を見上げると、入道雲はあるが、秋の空になりつつあるのが分かる。
「秋かぁ」
「秋ですよ。夏が行ってしまいます」
毎年のことなんだけど、あれだけ暑さに参ったのに、行ってしまうとなると、やけにさみしく感じる。
す〜〜っと、トンボが目の前を飛んで行く。
「蝉からキミにバトンタッチか」
「それじゃあそろそろ話し合いますか」
「はい、そうしましょう」
「いつも通り汚い部屋ですが、上がってください」
「お邪魔します」
僕は台所から冷えた麦茶の入ったコップを持って、低くて小さなテーブルに置いた。
✴️✳️
「今年の夏は麦茶にはお世話になりました。たくさん飲みましたから」
「僕もです。ペットボトルを買うと高くつくので、せっせと作ってました」
僕とさだ子さんは、笑顔で乾杯し、麦茶を口にした。
見るともなく、ついてたテレビから、昨今の、お墓事情の情報をやっていた。
「そういえば、さだ子さんの家には、お墓はあるんですか?僕の家は無いんです。
“永代供養”にしたみたいです」
「私の家は、あります。けど……」
僕は聴かなきゃ良かった!と後悔したが、
遅かった。
「両親は入っていないんです。親類の人たちが、海に散骨したそうです」
海……だからか…さだ子さんが海に行く理由は。
さだ子さんは目を瞑り、麦茶を飲み干した。
僕は冷蔵庫から、麦茶の入った入れ物を持って来て、さだ子さんのコップに注いだ。
「ありがとうございます」
僕はテレビのスイッチを切った。
✴️✳️
「ではメニューについて、話しましょう。
さだ子さんは、増やしたいんですね」
「はい、他の屋台と差を付けた方がいいかなと思いまして。その分、仕込みが大変になりますが」
「なるほど」
「2種類、増やしてみたら、どうでしょう」
「いいですね。どんなのにします?」
「焼き鳥の専門店や、テレビで見てると、
アスパラをお肉で巻いたもの。あとミニトマトも同じ感じのが、人気がありました」
「あ、僕も見たことあります。自分の好みはアスパラの方です」
「もう一つは、シソと梅肉を塗ってある焼き鳥でした」
「さっぱりしてて、いいですね」
「アスパラのは私もいいと思いました」
「ではアスパラは決まりということで、あと一品かぁ、難しいな」
「最初だし、アスパラだけにしておきましょうか」
「そうですね。原価と仕込み時間も考えてからにしておきますか」
「原価、そうですよね。野菜は高いからアスパラだと不安ですね」
「それを云えばミニトマトも同じですよ」
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「う〜ん。難しいですね」
「まぁねぇ、でも種類を増やすなら仕方がないですよ」
「林健太さん」
「はい」
「止めましょう」
「は?」
「新メニューは止めましょう」
「でも、それでいいんですか?さだ子さんは」
「商売ですから、売り上げが一番です。
今のままで行きましょう」
「分かりました。新メニューは無しということで」
さだ子さんは頷き、麦茶を飲むと、スックと立ち上がった。
「では会議を終了します。お疲れ様でした。今日も仕込みを頑張りましょう。
麦茶、ご馳走さまでした」
ペコリとお辞儀をして、さだ子さんは帰って行った。
「決断力がすごいな、さだ子さん」
台所で洗い物をしていたら、笑い声が聴こえてきた。
さだ子さんの声だ。
「電話してるのかな」
そう思いながら時計を見て、ハッとした僕はテレビをつけた。
「やっぱり……さだ子さ〜ん」
画面にはコメディドラマの再放送が映っている。
ドラマの主役の俳優が、さだ子さんは大好きなのだ。
「どうりで素早く帰ったはずだ」
「僕より菅田元氣がいいのかよ、チェッ」
✴️✳️
仕込みをする場所を貸してくれてるのは、僕がバイトをしていた店だ。
『一』と書いて、『はじめ』と読む。
大将の名前だ。
60過ぎてるが若く見える。
「しかし、さだ子さんも随分と苦労をしたなぁ」
自分の店の仕込みをしながら大将が云った。
「そう……かもしれません。でも今はいい人たちに囲まれて幸せです」
さだ子さんは串うちをしながら微笑んだ。
「良かったなぁ、これからはどんどん幸せになれるよ、うん」
「はい、ありがとうございます」
「よし!仕込み完了。さだ子さんの方はどうですか」
「私も終わりました」
「大将、そっちを手伝いましょうか」
「それより休んでな。冷蔵庫に飲み物が入ってるから好きなのを飲むといい。さだ子さんもな」
「ありがとうございます」
さっそく僕は冷蔵庫を開けてみた。
「種類が豊富ですね。僕はコーラを頂こう。さだ子さんは何がいいですか」
「オレンジジュースがあれば」
「ありますよ、持ってきますね」
僕はオレンジジュースをさだ子さんに渡し、椅子に座ってコーラのキャップを開けた。
✴️✳️
普段はジュースを飲まなので、久しぶりのコーラは美味しく感じた。
「林健太さん、缶ビールも売ることにしたらどうかしら」
「それね、僕も考えたことがあるんですが、酒販店や、他にも資格を取る必要があります。それはいいとしても缶ビールをそのまま出す場合と紙コップに入れて渡すのとで、また扱いが違ってたりと結構面倒なので……」
「へえ、うるさいんだな、キッチンカーで酒を売るのは」
「大将、そうなんです」
「だったら焼き鳥だけで今は十分ですね」
さだ子さんがオレンジジュースを飲みながら、そう云った。
「まずは1年、今のままで行った方がいいかもしれないです」
✴️✳️
夕方になり、《焼き鳥 さだちゃん》はオープンした。
夏祭りの殺人的な忙しさを経験したせいか、多少の行列なら楽に感じる。
二人共、テキパキと仕事をこなした。
そうしてる内に9時になった。
閉店の時間だ。
片付けを終え二人は車に乗った。
「さだ子さん」
「はい、なんでしょう」
「次に海に行く時は僕も行っていいですか」
「ありがとうございます。両親も喜ぶと思います」
「良かった。では帰りましょう」
《焼き鳥 さだちゃん》はアパートに向かって出発した。
翌朝の早い時間に、さだ子さんに届け物が来た。
さだ子さんは、どこか緊張した面持ちでダンボールを開けた。
何かが新聞紙に包まれている。
✴️✳️
さだ子さんが新聞紙を取ると、中には“位牌”が二柱入っていた。
驚くことに位牌は白木の物だ。
49日までに本物の位牌にするのが通常である。
ただ、さだ子さんは覚悟をしていたようだ。
落ち着いている。
「お父さん、お母さん、お帰りなさい。今日から一緒に暮らしましょう。家族全員で」
さだ子さんは中に入っていた手紙を読んだ。
読みたくはなかったが、仕方がない。
内容は思った通り、両親に対する怒りが綴られていた。
やはりマスコミは親類の家まで押しかけていた。
どんなに迷惑だったか。
近所の目がキツくなった。
白木の位牌でも、あるだけマシだと思いなさい。
想像していたとはいえ、胸が苦しくなる。
さだ子さんは、ちゃんとした位牌を作ってもらうには、どうしたらいいか、調べることにした。
今は金銭的に無理だけど、必ず仏壇も買う決意はしている。
調べている内に涙が流れた。
父も母も、何故ここまで叩かれなければならないのか。
悲しみや悔しさ、色んな感情の混ざった涙だった。
その日、車で仕込みに向かうさだ子さんの様子が、いつもと違うことが健太は気になった。
車が途中のパーキングで止まり、さだ子さんは驚いて健太を見た。
健太はハンドルを握り、前を向いたままで、さだ子さんに話しかけた。
「さだ子さん、僕にだけは何でも話して欲しいんです。一人で抱え込まずに」
さだ子さんは黙って俯いた。
「ご両親のことでしょう?さだ子さんの元気が無いのは」
健太はそう云うと、さだ子さんを見た。
さだ子さんは目を閉じたまま、ゆっくり頷いた。
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そして午前中にあったことを全て健太に話した。
健太は静かに訊いていた。
そして、「さだ子さん、そんな人たちは、親類でも何でもない、赤の他人です。血の繋がりなんか関係ない」
「僕も調べてみます。位牌のこと。値段も高くない、でもいい品物を扱っている店は必ずあります。だから、そんな人たちのせいで、さだ子さんが傷付いたりしないでください。大丈夫、僕がどんな時も付いていますから」
そう云うとアクセルを踏んだ。
その日も黙々と仕込みをして、その後サカエヤの駐車場に車を止めた。
開店の準備をしていたら、子供たちが数人、さだ子さんの傍に寄ってきた。
「え、どうかしたの?」
さだ子さんが訊くと、子供たちは照れた様子で、
「お姉さんと、クルクルがしたい」
そう云った。
さだ子さんが戸惑っていると健太が云った。
「いいじゃない、やってあげたら、さだ子さん」
「う、うん。それでは皆んなで回るわよ〜」
ハーーイ!
クルクル〜クルクル〜
一人の子が尻もちを着いた。
「大丈夫?」さだ子さんが、駆け寄った。
「えへへ、目がまわったの」
他の子供たちが笑った。
「お姉ちゃん、クルクル楽しいね」
「楽しい?良かったなぁ」
見ると、さだ子さんは、泣いていた。
色々なことを思い出したのだろう。
「さあ、お店の準備をするから、君たちまたな」健太が云うと、子供たちは、一斉に
バイバーイ!というと、駆けて行った。
「さだ子さん、キッチンカーに乗りましょう」
健太に抱き抱えられるように、さだ子さんはキッチンカーに乗った。
「開店までまだ時間があります。好きなだけ泣くといいですよ」
さだ子さんは、声を上げて泣いた。
初めて見るさだ子さんの姿だった。
健太は汗を拭くように見せて涙を拭った。
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