大切な時間 25 紗希 2023年5月18日 10:20 放課後になると、私は急いで学食へと向かう。門が閉まるギリギリの時間。食堂はとっくに閉まっている。私が通っていた高校は、他では訊いたことのない、珍しくて、とっても嬉しいことが、1つだけあった。ソフトクリーム屋さんが店を開いているのだ。今でも不思議に思う。昼休みに買いに行くこともあったけど、放課後だけの楽しみが待っている。その店のおじさんが、放課後になると、ただでソフトクリームをくれるのだ。機械の中に残った材料を使い切る為に、私たち生徒に無料で配ってくれる。あまり知られていないので、行けば必ず食べることが出来た。[校内に残っている生徒は、急いで帰宅してください]放送部の、このアナウンスが流れる為に、ゆっくり出来ないのだけは残念だったが。おじさんは、私たちにソフトクリームを渡すと、「早く食べないと門が閉まるよ」いつもそう云って笑う。私は慌てて食べ終えると「今日もご馳走様でした」と云うが早いか靴箱まで走り出す。「気をつけてな。また明日」おじさんは、笑顔で手を上げるのだった。正門では、当番の生徒がムスッとしながらあちこちから走って来る生徒たちを見ている。全校生徒が門を出るまで自分たちも帰れないからだ。急いで走って来る生徒の中に、彼もいた。同じクラスの加山君だ。この高校は、1年毎にクラス変えになるのだが、加山君とは1年から3年まで同じクラスになった。そのことを、たまに生徒たちに茶化された。彼は特別かっこいいわけではない。背も低かったし、顔も普通だ。成績も、クラスの真ん中辺りにいる生徒。けれど加山君は人気者で、それはきっと彼の気さくでユーモラスなところを、皆んなが好感を持ったのだろう。私も加山君のことが好きだった。コミュニケーションをとることが苦手な私にも、彼は極自然に話しかけてくれる。分け隔てなく話しをする加山君に私はいつも感謝の気持ちでいっぱいだった。 ーー感謝だけ?ーー体育の時間、腹筋を、50回してから持久走をしたことがあった。腹筋が苦手な私は、なかなか終わらない。腹筋を終えた生徒たちが、走り始めた。お腹が痛くなり、うんうん唸りながら腹筋をする私。その時、持久走に移った加山君が、何を思ったか、枯葉を拾うと私のお腹に乗せたのだ。「頑張れ」そう云って彼は走って行った。私はお腹の枯葉を見つめた。これは一体、どういう意味があるのだろうと。周りで腹筋している生徒たちが、クスクス笑ってる。深い意味など無いのだろう。でも加山君が励ましてくれたのは判った。私たちは受験生なのである。そのことは、嫌と云うほど理解している。それは模擬テストや、先生との進路相談があるからではなかった。私の父だ。顔を合わせる度に、「勉強はしてるんだろうな」「国立を落ちても、私立には行かせないからな」「死ぬ気でやれ」「死んでも第一志望に絶対に合格しろ」何かにつけて「死ぬ死ぬ」父は云う。国立だろうが私立だろうが、死んだら通えないでしょうが。そう思っても、決して口には出せない。父には冗談が通じないからだ。学校の空気もピリピリ感がピークに達した年の瀬。当時は携帯電話などなく、皆んな、せっせと年賀状を書く。私も面倒くさいと思いながらも、書いていた。さつまいもや蓮根で、スタンプを作り、年賀状に押したりもしたが、あれって何だったのだろう。もらった人は嬉しかったのだろか。その前に、ちゃんと観てくれてたのかが疑問だ。中には、惚れ惚れする、完成度の高い作品もあった。これくらいの出来栄えなら、貰った人も嬉しいだろう。私は年賀状の一枚一枚に、「受験、頑張ってね」と書いて送った。加山君にも送った。1月の4日か5日に加山君から年賀状が届く。それに書かれていた文章に、私は穴があったら入りたい気持ちになってしまった。【受験頑張れって、自分こそ頑張れ】と書かれていたのだ。正にその通りだ。そして何故が、1円玉がセロテープで貼ってある。目立たない字で、『お年玉』と書かれていた。私は嬉しかった。天にも昇る気持ちになった。そして自分は加山君が好きなことに気づく。いや、知ってたんだ。けれど、認めてはいけないと自分に言い聞かせていたのだ。だって加山君はモテたし、2年生の彼女がいるらしいとも訊いていたから。恋心なんて持ってはいけない。ずっと自分に言い続けて来たのだ。この1円玉にも深い意味など無いのだろう。腹筋している私のお腹に枯葉を乗せたのと同じで。それでもやっぱり嬉しい。この1円玉は宝物にしようと思った。年が明けた。いよいよ受験も幕開けだ。その日の放課後、私は学食でソフトクリームを食べていた。すると、加山君がやって来た。彼もこのソフトクリームのことを知っていんだ。「悪いなぁ。バニラとチョコは品切れだ。ストロベリーでも構わないなら作るが」遠慮がちにおじさんは話す。加山君は、ニコッと笑顔になり、「ストロベリー、十分です。ただで食べさせてもらってるんだ。文句なんか無いですよ、おじさん」おじさんは嬉しそうな顔で、ストロベリーソフトを作ると、加山君に渡した。「最後はストロベリーだったか」その言葉に私も加山君もおじさんを見た。「今日が最後なんだ。ここでソフトクリームを作るのは」「え、どうしてですか」思わず訊いてしまった。「契約更新にならなかったんだ。学校側にも事情があるのだろう」「……なんか、ショックです」加山君の言葉に、私も頷いた。「ありがとう。楽しい時間を過ごせて、幸せだったよ」放課後のソフトクリームは、これでお終いになった。おじさんは最後まで、笑顔だった。入学試験があちこちで始まり、次々と結果が出て来た。私は国立に落ちた。私立には行かせないと、そう云ってた父だが、浪人よりはいいと思ったのか、私は大学生になれた。本当は、一年浪人させてもらいたかったけれど。加山君は、第一志望に受かったと訊いた。クラスの真ん中辺りだった成績は、彼の頑張りてグングン伸びたらしい。大学生活が始まった。私は父から、死ぬ気で勉強に励み、首席で卒業しろ。そう云われている。半年が過ぎた頃、駅のホームで電車を待っていたら、後ろから声をかけられた。振り向くと、背が高くなった加山君がいた。顔も髪型も変わっていなかった。だが身長だけは大きく違っていた。少しだけ、雑談してたら急行電車が入って来た。私は乗ったが、加山君の最寄り駅には止まらないので、見送りになった。電車が動き出し、私たちは手を振った。この日以来、加山君に会うことはなかった。卒業後、彼はテレビ局に就職したらしい。私は小さな会社で働いている。たまにソフトクリームを見かけると、あの放課後の大切な時間を思い出す。忘れることはないだろう。最後の時間を加山君と過ごせて幸せだった。今でも1円玉のお守りは、自分で作った小さな茶巾袋の中に入れ、毎日一緒にいる。 了 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #短編小説 #ソフトクリーム #ありがとうございました #放課後 #密かな恋心 25