Photo by enaena38 虹 27 紗希 2021年6月29日 21:33 「あー!ムズムズする!」寝ていた俺は起き上がり左脚の指を力を込めて握り締める。「クソッ!」言葉を吐き捨て、薬局の袋から錠剤を取り出す。冷蔵庫から半分水の入ったペットボトルを掴むと、何錠もの薬を体に流しこんだ。時計は午前3時を告げている。「勘弁してくれよ。また寝不足のまま仕事になるのか」パソコンのキーボードの上に無造作に置いたタバコを取り、一本加えた。火を付けようとした時、キミの声がした。(啓介、タバコを止めようよ。貴方のレストレスレッグスに、タバコは良くないのよ)ぼんやり宙を見ていたが俺は火をつけた。窓を開ける。冬の冷え切った空気が、待ってましたと部屋に入り込む。余りの冷え込みにベランダに出る気持ちは失せた。口から、うっすら紫がかった煙を吐き出す。何か音がして、そっちを見たら新聞配達の人がポストに朝刊を入れていた。「ごくろうさん」そう、呟くと俺は窓を閉めた。部屋は真冬になっていた。「うう〜さみ〜」タバコを消して、再びベットに入り込む。(足が冷えてる。暖めてあげる)風花はよくそう云って、俺の足を自分の足で器用にさすってくれた。(暖かい?)「ああ、暖かいよ。ありがとう」嬉しそうに彼女は笑顔になった。「……」俺はスマホを取り、弄り始めた。特別見たいものがあるわけじゃない。ただ何となく指が動く。そんなことをしていたら、いつの間にか眠っていた。新しい一日の始まり。ベットから起き上がると、洗面所に行く。顔を洗い、歯を磨き、そして髭を剃る。新しい一日。やることは同じ。インスタントのコーヒーを飲む。(カフェインもよくないんですって。ノンカフェのを今度買って来るね)「俺のは同じレストレスレッグスでも1型の原因不明の方だよ?他の病気も患ってたり、その薬の副作用でなってる【II型】の場合だろう?タバコやカフェインが良くないのは」(それは知ってるけど、原因不明だからって何もしないよりいいと思うから。特にタバコはよくないでしょ)支度を終えて、俺は部屋を出る。鍵をかけると駅に向かう。街中に仕事に向かう人々が無表情で足早に歩いている。そして寿司詰めになって電車に乗り込む。冬は皆んな着膨れをしてるから益々窮屈だ。幾つもの頭の隙間から空が見える。「ひと雨きそうだな」そんな空の色、垂れ込む雲。駅についたらポツポツと降って来た。傘を持って来ない俺はダッシュで会社に向かう。ビルに着いたと思ったら、スコールのような雨になった。「ツイてるな俺」仕事をしていると女子社員が声をあげた。「虹よ!見て、キレイ!」俺は思わず椅子から立ち上がり、窓に近づいた。確かに虹がかかっていた。雨上がりの虹が。(啓介、わたし今日すごいのを見ちゃった)「すごいもの?なに」(虹!それも二重の、ダブルレインボー!)「ふ〜ん」(ダブルレインボーよ?きっと何かいいことがあるんだわ)俺は黙ってテレビを付けた。風花はそんな俺を見て、つまらなそうな顔になった。(ねぇ啓介、啓介の夢は何)「夢?そんなもの無いよ。ただただ定年まで働くのが人生だ、そこには夢なんて入る隙間は無い」(なら、啓介の生き甲斐って何?)「答えは“夢”と同じ」風花はそれ以上、何も云わなかった。いま思えば、生き甲斐だって、夢だって風花だよ、そう答えれば良かったのに。「つくづく馬鹿だな俺は」大学3年から同棲を始めた。最初は古くて狭い部屋に住んだ。二人共、就職してからは、このマンションに越して来た。まだ給料も大したことは無いから、かなり築年数の経つここに決めたのだった。最初は楽しく暮らしていた。最初は……。パンパンだった風船がしぼむ様。正に俺がそうだった。仕事への最初の頃の意気込みは、日に日に失せていった。こんなもんか、働くって。まるで機械と同じゃないか。こんなことの為に、勉強ばかりしてきたのか俺は。一度、白けてしまった気持ちは元には戻らない。俺とは真逆で風花は生き生きとしていた。仕事に家事に。そんな彼女を見ているのは辛かった。小さい男だ、俺は。何かにつけちゃ、風花につっかかった。ダブルレインボーの話しの時もそうだった。(何かいいことがあるかもしれない)「へえ、二重の虹を見て、いいことがあった人を知ってるの?」(……)「どんないいことがあったのか、風花は知ってるの?それなら教えてよ」(……ない)「え?何て云ったのか聴こえないよ」(知らないって云ったの!)「だったら、ただのデマと一緒じゃん」(ねぇ啓介、もしかしたらって思っちゃいけないの?ただの言い伝えだとしても、何か良いことがあるかもしれないって、そう思ったらいけない?)「いけなくはないさ。ただ何もなかったらキミが気の毒だなって思っただけの話しだよ」風花は背中を向けて、自分の部屋に行ってしまった。俺は馬鹿みたいにムキになって、風花の気持ちを否定したんだ。仕事への期待を裏切られた気持ちの自分は、それを風花に八つ当たりした最低な奴だよ。そんな毎日を送っていたら、とうとう風花は自分が住むところを見つけて引っ越してしまった。当然だと思う。いま自分は、会社の窓から雨上がりの虹を見ている。きれいだと思った。何かいいことあるかもしれないと、そんなことも思っていた。荒んだ気持ちだった俺に、虹は……奇跡ってあるのかも。そう思わせていた。風花の気持ちが、やっと分かった気がする。俺は隅に行き、風花に電話をした。明日の土曜日、会いに行っても構わないか。そう訊いた。風花は「うん」と、返事をしてくれた。会ったら風花に伝えよう。俺の生き甲斐は風花だと。俺の夢はキミと一緒に生きていくことだと。そして、俺にとっての“虹”は、風花、キミだと気付いたことを。 (完) ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #短編小説 #虹 #ダブルレインボー #ムズムズ脚症候群 27