Photo by kamiyurine 少年たちの夏 26 紗希 2021年7月31日 06:34 「航!行ったぞ!今度こそキャッチしろよ!」「う、うん」「バックバック!ボールから目を逸らすな!」−お前ら待て!バックって、俺がここで寝転んでるのを分かってるのか?「もっとさがって!怖がるなよ!」−マ、マズイ!このままだと俺とぶつか、、、 [アアアアーーーーーー!]「と、取れた、、、取れた、、おーい!取れたぞーー!」「ナイス!航!出来たじゃん!」「うん!見て見て!」−ち、ちょっと、行くのかよ。俺に一言も無しでか?モロに顔面を踏まれたんだぞ!「航、よくやった」「えへへ」−痛ってえ、原っぱで寝転びながら、うたた寝も出来なくなったのか全く。俺は鼻の周辺をそぉっと触ってみた。やっぱりな……鼻血が出てる。あ〜あ。帰るか。途中、すれ違うJkが俺を見てはクスクス笑う。いや、クスクスならまだいい。俺を指差してキャッキャッと笑う、あれは人として、どうかと思うぞ!「ただいま〜」「圭太、は、鼻血!」妹の瑠花が吹き出す!「俺はお前の兄だぞ!呼び捨てにするな!」「だって鼻血、クックックッ な、何でティッシュとかで拭かないわけ?」「ティッシュを持ってなかったんだよ!鼻血の何がそんなに可笑しいんだ?心配とかしないか?普通。邪魔だからどけ」「心配たって、どうせエロい女の人でも見たんでしょう?しないよ心配なんて」「馬鹿かお前は。そんなんじゃないの!これは小学生に顔を踏まれたから」「顔を踏まれた?小学生に?やっぱ圭太は変だわ」瑠花は腹を抱えて笑ってる。「ふん、好きなだけ笑ってろ」「お袋、ただいま」「おかえ……り、何その鼻血!色っぽい女性にでも会って来たの?」「……今夜の晩飯はなに?」「ぶ、ぶ、ブリ、ブリだ……」「はいはい、ブリ大根ね。部屋に行ってるわ。瑠花と二人で思う存分、俺の鼻血で楽しんでくれ」「ったく、女ってや〜ね〜」俺は部屋に戻ると、本棚から卒業写真を引っ張り出した。高校の時の俺が仲間と笑っている。「いい顔してるよ、皆んなも……俺も」でも本音は違ってた。この笑顔は嘘っぱちで、バリバリの作り笑いだった。俺はクローゼットを開けて、段ボール箱を持ち出した。箱はガムテープで執拗に貼り付けてある。ふたが開かないように。少しの間、俺は箱を見ていた。そして一気にガムテープを剥がし始めた。ビリビリ、ダダダダ、ザー、ザーと音を立ててテープは剥がされた。フゥ、と息を吐くと箱のふたを開けた。中には、野球部のユニフォームや試合で準優勝した時に貰った小さな銀色のカップ。少年野球に入った時のバットなど、古い物たち。自分でも不思議だった。捨てるに捨てられず、だからといって中身を見ることを避けて来たのに。「あの、航って子に顔を踏まれて、頭が変になったのかもな」プロ野球選手になることが、小さな頃からの夢だった。父も野球が大好きで、よくキャッチボールもしたし、バッティングセンターにも連れて行ってくれた。入った高校も、強豪校に入るくらいの強い野球部だった。だが……。[運動はやらないでください]最初、この医者は何を云ってるんだと思った。胸が苦しくなったから病院に来ただけなのに、何だよ“難病”って。心臓の皮が厚く硬くなる病気って。その病気に、何で俺がなるわけ?分からない。理解できない。何でなんだよ!結局、俺は野球部を辞めることになった。仲間たちの同情の眼差しが痛かった。暫くはただボーと毎日を過ごす日々。大好きだったテレビの野球中継も見たくなくなった。それ以上に父に対して申し訳ない気持ちで苦しかった。俺の将来を楽しみしていたのになにをやってんだ俺は!自分を責め続ける日々。そんな時だった。父が何年も前から古い記事を集めているスクラップ帳を見た。父が無言で俺に差し出した物だ。その中で特に衝撃を受けた切り抜きがあった。パッと見ただけでは、球団のマスコットの写真にしか見えない。けれど、この中に入っているのは、元現役の野球選手だと知った。それも巨人からドラフト1位指名された選手だ。島野さんと云うその人は、巨人とオリックスで10年間、野球選手だったが残念ながら目立った活躍は出来なかった。引退後、自分がいた球団であるオリックスのマスコット、ブレービーの着ぐるみの中の人をやり続けた。「すごいな、この人。簡単にできることじゃないぞ」ブレービーが島野さんだと知ると、野次もたくさん飛んだと書いてある。「どうして、そういうことをするかなぁ」読んでいて、悔し涙が出てきた。落ち込み、ガックリしていた島野さんの耳に、子供の話す声が聞こえて来た。「ブレービーが居るから楽しい!」この言葉が再び島野さんにやる気を起こさせた。「オヤジ、俺わかったよ。野球の選手にはなれなかったけど、野球はやっぱり好きなんだってことを」俺はいま、野球選手たちの身体をケアする仕事をしている。選手の体の筋肉の張りをほぐしたり、痛みを緩和させる、そういった仕事に就いた。選手じゃなくても大好きな野球に関わっていられることは、とても幸せだ。島野さんは、齢と共に体力が落ちるまで、重たいグルービーの中で野球を盛り上げた。その後も球団関係の仕事をしたそうだ。「大変だったろうけど、幸せだったろうな。俺はそう思う」休日。原っぱで寝転びながら本を読んでいた。川からの風が心地いい。「あ〜、いい気持ちだなぁ。瞼が自然に……」少し寝よう。「航ー!走れ!走れ!間に合うぞ!」「航、キャッチな!」ん?航って云ったか?まさかな。いや!本物だ!走る音が聞こえる。やばい、近づいて来るぞ!もう顔面はごめんだからな!立つ時間が無い!う、うつ伏せ!うつ伏せに! タタタタ タタタタ [ウウッ!]せ、背中の上を思い切り踏みやがって!「取れたよー!」 何が取れたよーだ[ウッ!]何で背中を踏んで行くんだ!俺は、航という少年を見た。少年は、振り返ると俺を見てニッコリ笑い、仲間たちの方へと走って行った。こ、こいつ、やっぱりそうか!確信犯だ!待て、航!許さんからなーー! (完)⌘ 島野修氏の箇所はノンフィクションです。 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #短編小説 #野球 #少年の夏 #島野修 26