小夏という子
「今日もすごい行列だな」
夫の賢治が呆気に取られた顔で話す。
ここはビルの3階だ。
この行列は1階から外まで出ているだろう。
「その中の一人にケンちゃんも入ってるのよ」
「そうだよな。早く来て良かったよ」
「ホントに。前から人気のスイーツバイキングなのに最近ではマスコミが取り上げるからこの騒ぎ」
「旨いから仕方ないさ。一流のフルーツ店の品が食べ放題だもんな、ん?なにかな」
賢治は下を見ながら、そう云った。
「あゝ、大丈夫だよ、あれも人気があるから必ずあるさ。うん、そうだねママもあれは好きだね」
🍰🍓
「真波、小夏がねストロベリーサンドはあるかなって心配してる」
私は思わず笑顔になった。
「パパのいう通りよ。人気があるから今日もあるよ、ママと食べようね」
「お客様、ご来店ありがとうございます。今から人数を確認させて頂きます」
お店の女性がそう云って、一人一人に尋ねて周る。
そして私たちのところへ。
「お二人で宜しいでしょうか」
「いえ、三人です」
🍰🍓
店員さんが不思議そうな顔をしている。
「もう一人はトイレに行ってます」
真波の言葉に店員さんも笑顔になった。
「三名様ですね。かしこまりました」
その云うと次のお客さんの方へ移った。
「見えなくても居るもの」
真波が小さな声で云った。
賢治は、その肩に手を乗せて、
「そうさ、居るよな。俺たちが、それを知っていれば十分だ」
真波は黙ってしまった。
🍰🍓
見えてるのは夫だけだ。私には見えないし、声も聴こえない。
「ん?あぁ」
「小夏が心配してるぞ、ママ泣いてるの?」って。
真波はハッとして笑顔になり
「ほら、泣いてないよ」そう云った。
お店のドアが開いた。開店時間になったようだ。
「大変お待たせ致しました。前の方から順番に店内へお入りください」
「よっしゃ!窓側の席が取れた」
「ケンちゃん声が大きいよ」
🍰🍓
「大丈夫。誰も気にして無いさ。ほら」
見ると席にいる人は僅かで、皆んなバイキングで食べる物を物色していた。
「真波から食べたい物を取っておいで」
「じゃあ、お先に」
私はお皿を持って、どれにするか考える。
「先ずは小夏も好きな、生クリームと苺のサンドイッチだな。次は……あったこれこれ、クレームブリュレ!」
10分くらいして真波は戻って来た。
🍰🍓
「ただいま〜ケンちゃんどうぞ」
「よし!じゃあ行くぞ!小夏はどうする?」
「ママのを食べる」
「よし、真波、小夏はママのを食べるそうだ。じゃあ行ってくる」
「行ってらっしゃい、ケンちゃん」
「おう!」
「さてさて、小夏はどれから食べる?」
「……」
「ごめんね、ママには小夏のことが見えなくて、声も聴こえないの。好きなものを食べなさいね」
苺と生クリームのサンドイッチが、少し動いた気がする。
🍰🍓
見間違い?でも確かに少し動いたような
「ママは大好きなクレームブリュレにしようっと」
真波は上のパリパリした部分を、スプーンで少しずつ壊していると、ワクワクしてくるのだ。
「ただいま。おっ、早速、苺のサンドイッチだな。旨いか?」
「ん、どうした小夏。食べないのか?」
「どうしたの、ケンちゃん」
「うん、小夏がサンドイッチをジッと見てるだけで食べてないんだ」
🍰🍓
「変ねぇ、あんなに好きなのに」
小夏はサンドイッチの片方のパンを開いた。そして苺と生クリームが乗ってる方のパンをパクっと食べた。
「……」
「どうやって食べたらいいんですか?この食べ方は間違ってますか」
「あっイヤ、好きに食べていいけど、さっきから何でそんな風に話すのかな。丁寧すぎて寂しいよ」
「ごめんなさい」
🍰🍓
「小夏……」
「ねえ、どうかしたの?ケンちゃん」
「いや、いつもの小夏と感じが違う気がしただけさ。俺の勘違いだよ」
「……小夏、ママのパイナップルのパイを食べてみない?」
小夏は小さく頷いた。
「食べるそうだ」
「食べる……小夏がそう云ったの?」
「云ったわけじゃないけど、頷いたよ」
「……ケンちゃん、小夏はどんな髪型をしてる?」
🍰🍓
「髪型?何でそんなことを訊くの?」
「長い、短い」
「おかっぱみたいな感じ」
「……こ、声はどう、小夏の声は」
「いや、声は聴こえないよ。なんていうか、言葉だけが頭に入ってくる感じなんだ」
真波は黙ってパイナップルのパイをケンちゃんの隣に置いた。
小夏は、珍しそうに眺めて、そしていきなり手で掴むと口に持っていった。
「小夏、手掴みで……」
「美味しい!」
🍰🍓
「美味しいって云ってるよ」
「パイナップルは嫌いなの、小夏」
「えっ!だっていま」
「それに髪は長いのが好きだから、おかっぱにはしたことは無いわ」
真波と賢治は顔を見合わせた。
「俺もこの髪型は、小夏らしく無いなって思ったんだけど、あのころ俺は目が見えなくなってたからね、病気で」
「ええ、心因性の病気になってた時ね」
「うん、だから小夏が髪型を変えてみたのかな、って簡単に思ってた」
🍰🍓
「お嬢ちゃん、あなたは誰かな」
真波の問いに、その子はドキッとしたようだ。
「ママ、ごめんなさい!この子は悪くないの。わたしがいけないんだ」
「小夏が来た。自分が悪い、この子は悪くない、そう云ってる。あっポニーテールだったのか」
「小夏、聴こえる?いったい何があったの?」
「小夏が天国に向かっている時にこの子に出会ったの。話をしたら可哀想になって、それで今日のバイキングなら、美味しい物を食べられるから、だからわたしの代わりに、この子を連れて来たの」
🍰🍓
「美味しい物……お嬢ちゃん、お名前を教えてくれるかな」
「綾乃……」
「綾乃ちゃんか、綺麗なお名前ね。綾乃ちゃんは何故、天国に行くことになったの?」
「ママ、綾乃ちゃんは食べる物も飲む物も、何ももらえなかったんだよ。ずっとだよ」
「ネグレクトか……」賢治が呟いた。
「綾乃ちゃん、辛かったね」
私は泣きそうなのを我慢していた。
🍰🍓
「綾乃ちゃん、今日は好きなものを、好きなだけ食べていいのよ、小夏もね」
「良かったね、綾乃ちゃん」
「うん!ありがとう小夏ちゃんのママ、パパ」
「いいんだよ、綾乃ちゃんが喜んでくれて、俺も嬉しいよ」
「苺のサンドイッチ、食べた?」
「あのね、食べ方が分からなかったの。サンドイッチって食べたことなかったから」
🍰🍓
「サンドイッチはね、あのまま食べればいいんだよ。」
「そっか、そうなんだ」
二人が楽しそうに話しているのを見て、賢治も涙ぐんでいた。
小夏は、強風で落下した工事中の鉄板の下敷きになってしまったのだ。
警察からの連絡を訊いても、信じられなかった。
嘘だろ、それしか浮かばなかった。
🍰🍓
「あっ」
私は声をあげてしまった。
「どうした」
「見えるの、小夏が。私にも見える」
「ママ、大丈夫?わたしを見ても泣かない?ママは絶対に泣いちゃうと思って、神様にお願いして、見えないようにして貰ってたの」
「小夏ったら。ママは寂しかったのよ。パパには小夏が見えるのにって」
「パパは少し前から、病気で目が見えなくなってたでしょう?それとパパは意外と鈍感だから見えても平気だと思って」
🍰🍓