さだ子さん 4話 53 紗希 2020年5月20日 02:41 そして夜が明けた。新しい一日が始まる。今夜は、いよいよ忘年会だ。僕は薬を飲んでいるから、お酒はずっと辞めていた。けれど今夜くらいは呑もうと思う。予約は18時からだ。30分前にアパートの前で待ち合わせをしている。僕はてっきり大家さんのワゴンで行くのかと勝手に思い込んでいた。訊いたら大家さんはザルと云われる程の、大酒呑みだそうだ。そんなにお酒が大好きな人が呑めないなんて気の毒だ。僕も運転免許は持っていない。移動手段など、何でもいいさ。電車で十分だ。たまには熱燗でも呑もうかなぁ。あ、集合時間だ。行かないと。僕が外に出たら皆さん、もう集まっていた。「遅れてすいません」謝りながら僕が行くと、大家さんが、「では行きますか」そう云って、全員で歩き始めた。あの仲の良い老夫婦にも声をかけたが、温泉旅行に行く予定だそうだ。今夜のさだ子さんは元気そうで、僕は嬉しかった。ただ……。泣き声といい、真剣な表情で海を見ていた横顔といい、僕の脳裏からは離れずにいた。理由を訊くわけにもいかず、僕は歯痒かった。何か僕にも出来ることがあるのではないか?そんな気持ちがあった。僕たちが18時ぴったりに店に着いた時、店内はもう満席だった。お店の人も感じが良くて、僕としてはホッとした。入り口で靴を脱ぎ、渡された袋に入れて、僕たちは案内された部屋に入った。そこは畳の部屋で、テーブルは掘り炬燵風になっている。「なかなか感じのいい部屋じゃないか」「本当、畳なのがいいわ」大家さん夫妻には好評のようだ。そして、さだ子さんは、えっ!さだ子さんは、飲み物と料理のメニューに釘付けだった。食べる気呑む気が満々の集中力。気迫が漲っている。『楽しんで欲しい』僕は心からそう願った。「先に飲み物を決めてください。頼みたい料理がある人は、一緒に注文しますよ」先ずは大家さんが、「俺はハイボールだな」続いて奥さんが、「私はグラスワインの白にするわ。あと焼き鳥の盛り合わせ。みんな食べるでしょう?」「さだ子さんは何にします?」「すいません」「えっ?何がですか」「わたし、焼き鳥は食べないんです。すいません」そう云って下を向いている。「誰にでも好き嫌いは有るんだから、気にしないで。さだ子さんの分は私が、しっかり食べますから」奥さんはそう云って笑った。「奥さん、ありがとうございます」さだ子さんは、申し訳なさそうにしている。「さだ子さんは、鶏肉が嫌いなんですか?」「いえ……好き、だと思います」「では焼き鳥だけはダメなんですか、珍しいですね」「そう……かも知れないです」「健太くん、もういいから、さだ子さんの注文を訊いてあげて」奥さんに促され、僕は自分でもしつこかったな、と反省した。「さだ子さんは飲み物は決まりましたか?」「わたしは三岳をお湯割りで」「おっ、芋焼酎で来ましたか」さだ子さんは、少しだけ恥ずかしそうにしている。「お料理は、串揚げセット、シーザサラダの大盛りに、水餃子の大、ピリ辛手羽先に、ポテトとナスのチーズ焼きをお願いします」す、すごい!すごいです、さだ子さん!「えーと、覚えられなかったので、お店の人には、さだ子さんが注文してもらえますか」僕が、タジタジになりながら、そう云うと、さだ子さんは、にっこり笑って、「はい」と答えた。「僕は何にしようかな。何でも呑めるから迷うんだよな」「だったら、黒霧島!美味しいです、ロックがおすすめです」「さだ子さん詳しいな。じゃあそれと、モロキュウ」お店の人に全部注文し、先に飲み物が来たので、「え〜皆さん、今年も色々あったと思いますが、今夜は心ゆくまで楽しみましょう。大家さん、ありがとう!カンパーイ!」「は〜い、乾杯」「こっちもカンパイだ」次々と料理が運ばれてきた。どれも旨そうだ。「遠慮しないでどんどん食べて、どんどん呑めよ〜」大家さんは既にハイボールを3杯呑んでいる。ピッチが早いな、大丈夫かな。まぁ居酒屋のは薄いところが多いから平気だろう。しかしこの黒霧島は美味いな。ロックで、と云ったさだ子さんのアドバイスは正解だったな。さだ子さんを見ると、シーザサラダの大盛りを、皿に取り、シャクシャクとウサギのように夢中になって食べている。僕はなんだか安心して、黒霧島のおかわりを注文した。皆さん、楽しんだみたいで良かった。料理もけっこう美味しかったし。予約は二時間だ。そろそろ腰を上げないと。「え〜皆さん、八時になりますので、お開きにしたいと思います」「もうか?早いな。延長は出来ないのか」「この時期は無理ですよ。それに大家さんもだいぶ酔ってるみたいですし」「そうよ、アナタ飲み過ぎよ。帰るわよ」ブツブツ云ってた大家さんも、奥さんに云われて黙るしかない。「さだ子さんも、だいぶ呑んでましたが、大丈夫?立てます?」「……」「さだ子さん?」テーブルに突っ伏しているのは知ってたけど、まさか寝てしまうとは。「さだ子さん、起きてください。帰りますよ」「だめだ、全然、反応がない」「よ〜し!タクシーで帰るぞ〜!」「タクシーですか?高くつきますよ。二台必要になりますから」「構わない構わない、今夜はケチくさいことは言わんぞー」僕はどうしたものかと奥さんを見た。「いいわよ、タクシーで。お店まで来てもらいましょう」「分かりました」僕は壁に貼ってあるタクシー会社に電話をした。「すぐ来るそうです。急がないと」さだ子さんは爆睡中なので、僕が背負うことにした。奥さんが先に会計を済ませている間に、僕たちは外に出てタクシーを待つことにした。相変わらず寒いのだが、呑んでいるので体がポカポカしている。さだ子さんは一向に起きる気配は無かった。「けっこう呑んでたもんな」到着したタクシーに、さだ子さんをそっと乗せた。車の中でもさだ子さんは、スヤスヤと気持ち良さそうに寝ていた。アパートに到着。僕は大家さん夫妻にお礼を云って別れた。さだ子さんを背負い、階段を登るのは結構キツかった。「体力が無くなったな〜、情けない」ようやく部屋の前に着いた。さだ子さんに起きてもらわないと。「さだ子さん、着きました、起きてください」「……」「さだ子さん、鍵が無いと入れないです。起きて、さだ子さん」「……」腕が痺れてきた。僕は強硬手段に出ることにした。ゆっくりとさだ子さんを背中から降ろした。さだ子さんは、やっと目を開けた。「さだ子さん、鍵を貸してください。凍えそうです」さだ子さんは、「かぎ〜かぎ〜」と云いながらバックに手を入れた。ようやく鍵が見つかったので、僕は受け取り、ドアを開けた。僕は、「失礼します」そう云って中に入り、さだ子さんを立たせた。さだ子さんは、目を閉じたまま何かをブツブツ云っている。「ビ、ビール……焼き……」なにか注文しているのか?朦朧としながらも、さだ子さんは靴を脱ぎフラフラとベットまで辿り着くと、倒れ込んだ。ふぅ、良かった。疲れたから僕も帰ろう。「さだ子さん、おやすみなさい」そう云って僕は部屋を出た。「あっそうだ。鍵は外からかけるんだった」僕はまた、さだ子さんの部屋に、そ〜っと入った。そして、ベットで寝ているさだ子さんが握っていた鍵を、何とか手に入れた。「さだ子さん鍵はかけておきます。明日、早目に返しに来ますから、ハッ!」さだ子さんは涙を流していた。小さな、途切れ途切れの声で、「……ール、焼き鳥……」僕は外に出た。鍵をかけると、しばらく廊下の手摺りに寄り掛かっていた。 つづく ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #創作大賞2024 #お仕事小説部門 53