wonder ワンダー君は太陽
Amazonプライムを駆使しまして、今年初映画。
**wonder **
ワンダー君は太陽
を鑑賞しました。
その考察を書きたいと思います。
主人公のオギーは遺伝子疾患により人とは異なる顔で生まれてきた。
家庭学習を続け10歳ではじめて学校へ行く。
簡単にまとめれば
1人の少年が、顔に対するコンプレックスを乗り越える話。
しかし、この歳になってみると色んな視点から見ることができました。
まずはそのまま。①オギーの視点
オギーという少年が周りを巻き込みながら、正義を通して仲間を作っていく。
いじめっ子に対しての復讐の仕方など。
オギーという人間そのものの魅力が伝わりました。
②親の視点
周りが結婚する歳になり、子どもも生まれている友人もたくさんいる。
語弊を恐れずに言えば、
普通に生まれて、普通に育つこと。
このすごさを感じます。
当たり前に好きなことをさせてもらい、当たり前に大学まで行かせてもらった。
そんなことが普通だと思ったていた自分の小ささを感じます。
そんな中で特に母親の気持ちは計り知れません。
出産ということの大きさ。
もし産んだ子に何か障がいがあれば、
もし産んだ子に何かあれば。
誰の責任でもない。
でも母親は自分を責め続けるだろう。
初めて学校へ行くときの母親の気持ち。
自分の子どもがいじめられて帰ってきたときの気持ち。
そのせいて家庭内のバランスが崩れていく。
このスパイラルだと思います。
③姉の視点
両親の関心、心配事は常にオギー。自分は二の次。
世界一手のかからない子と自分でも言っていた。でも自分の方を向いてなんて言えない。素直になれない。そこで出会う演劇。自分を表現し、自分を認めてくれる人に出会う。
こういう“兄弟‘’という視点で見ても面白いです。
④友人という視点
典型的ないじめっ子が最後は学校を辞めていく。
そのいじめっ子に話を合わせていたことがオギーを苦しめていたりする。
そんな中でもサマーという少女は行動する。
ペスト菌扱いする女の子のグループを抜けてオギーと友達になる。そこからはオギーとずっと一緒にいる。この行動がオギーを救い、いじめっ子が居づらい環境になったと思う。
⑤差別、人権という視点
これはこの映画を見る上では欠かせないと思います。
人はお互いに補い合い、支え合う生き物。
だから完全な人間なんていないし、お互いに欠点は必ずある。
言葉にすれば簡単。
視線とか、ふとした目線、表情に非常に敏感だと思う。
それだけで心に深い傷がつく。
思春期の心の傷は生きていく上で大きなものになる。
⑥教育の視点
アメリカの学校制度にも非常に興味を持ちました。
停学にできる制度があった。
これは非常に大きいと思います。一目でわかる。
駄目なことをすれば学習する権利すら与えられない。
日本では権利がってすごく言われます。
でもこれぐらい学校は権力を持ってもいいんじゃないかと思います。
見ている最中はもっといろんな視点で見れていたのですが、書き始めると思い出せません。
これが僕の力ですね。
最初も力がこもっていますが途中から失速。
文の力が一切ない。
これも僕の力です。
このnoteを通してこの力をつけていきたいです。
ぜひ興味あればご覧あれ、