序文(こっそりと尾形亀之助に寄せて) 六月。僕がこの小さな詩文集を作製することに、何ら積極的意味もない。殊更にその事を宣伝するつもりもない。そうかと言って消極的な意味合いもない。この集を出すことを言い訳に、死んでしまおうと思っているわけでもない。毎年のことのように梅雨に入ってずいぶん経ったが、今月の初めからなんだか疲れている。身体が重いというのもあるが、覇気がない。それは自分の根源を見つける作業をして、整理すれば何とかなる代物だと知ってはいるが、そういうことはとても疲れるこ
ツイッターに「わかっている。他者にとって私は"本当には"必要でないこと。しかし、私には私が必要なのだ。"生きねばならぬ"ので。」と書いた。 不思議なもので、他人には私は必要ないのだろう。と思った瞬間に、生きやすくなった。 周りに必要とされてないと生きられない。そういう状態は辛い。自分の存在価値を、人任せにしているのだから。どんな些細なことでも「はしごを外された」ように感じる。あなたが私で、私が世界で、世界が私を必要としなくなったら、私は死ぬ。そういう、めちゃくちゃこんがら
寒い。今年一番の寒さだそうだ。 最近、自分を語ることの大切さをますます感じている。自分と向き合い、何を思っているかを見つけ、言葉にして、誰かに伝える。それだけで、多くの思いは昇華される。 ①自分が何を思っているかを見定める。②それを的確な言葉で伝える。③伝えても大丈夫な、安心安全な相手に。 この3つは本当に大切なことなんだと、ますます思う。特に、③は。 昔の私は、相手がどんな人かを見定めずに、自分の苦しみを伝えていた。自分の苦しみを伝えるのに、大切なのは関係性ではない
エーリッヒ・フロム「愛するということ」を読んだ。 自分が今まで悩んできたことは、すべて「愛」についてのことだったかもしれない。親からの愛のないこと。自分を愛せないこと。人を上手に愛せないこと。「すべて一体感を味わいたいがため」というフロムの主張は(詳細は原典を確認していただきたい)、とてもよくわかった。 ――――――――――――――――――――――― 私はうつ(診断はされなかった)で悩んでいたころ、この苦しみと同じようなものを感じている人たちのために、作品を書いておかね