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父の命日

間もなく父の命日です。

父のことは何回か過去記事に書いてきましたが、生きていた時にはあまり実感がなかったのですが、亡くなって時間が経つ程に「私はお父さんが好きだったんだなぁ」と気付かされます。

子どもの時は、好きというより、ある意味憧れていた感じでしょうか。

父の部屋には沢山のクラシックレコードと沢山の本があって、読書好きだった私は、中学生の頃から、父のいない平日の昼間、一人でよく父の部屋に入っては、本棚を漁っていました。

ただパラパラとめくっていることが多かったけれど、時には世界の文豪の小説を何冊かこっそりと抜き取って、バレないように隙間が目立たないように本を並べてなおしたりして、暫く借りて読んだりしました。

父のソファに腰掛けて🛋️ルネッサンスの画集を広げてめくってみたりしていたこともよくありました。

絵は特別好きではないし分からなかったけれど、その画集の中にいくつか好きな作品があって、それをじっと眺めていました。

こっそりとやっていたのは、何かいけないことをしている気がしたから。

でも高校生になった辺りから、何かのきっかけでそのことを話すと、父が喜んでいるのが分かりました。

「赤と黒」とか「白鯨」とか、「あの本借りてももいい❓」と訊くと、もうそんな本を読めるのかと、私の成長に驚いていたような感じがしました。

音楽も、小学生の時にどんな経緯だったのか、父の部屋でラベルのボレロを一緒に聞いたことがあって、同じフレーズが延々と繰り返されるのを最後までおとなしく聞いていた私に、「最後まで聞けて偉いな」と言って褒めてくれて、それがとても嬉しかった思い出があります。

日常の会話は殆どなかったけれど、音楽や読書のことで、父と繋がっていたのだと思います。

最近思い出す父の顔は、実際にはあまり見たことのなかった笑顔です。

若くてまだ髪が黒い父が、何がおかしいのか、歯を見せてあまり声を立てずに笑っています。

いや、本当はよく見ていたのだけれど、忘れてしまっていたのかもしれません。

私の奥の方に埋もれていた記憶が、浮かび上がってきたのかな。

色々複雑な家庭だったけれど、父は案外幸せだったのかもしれません。

だったらいいけど。



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