【人間探求note】「聖書」と「リアトラ」と「意識」と「信仰」
時々自分が書いた過去記事を読み直すと、あの頃はこんな事を考えていたんだなぁ…と自分を振り返るのに役に立ちます。
今回は、「聖書」を発端にして、今私が考えていることをここに記録として残すために記事を書いています。
この先考えが変わるかもしれないし、もちろん今の私の考えが正しいかどうかもわかりませんけれども、「聖書」を発端にして、海外からの発信から分かることも含めて、今世界で起きていることを考えてみました。
あくまでもYOKOの個人の視点で書いていますので、宗教観や世界観の違いなど受け入れられる方のみお読みください。
私の背景としては、まず私はクリスチャンではないし、無宗教です。
大学がキリスト教系で英米文学を専攻していましたが、新約聖書を授業で英語を読まされたり(読みたかった訳ではなく必修でした)、牧師さんが教授の宗教学の授業があったり、また、30代の時にママ友にクリスチャンの人がいて、誘われて聖書の勉強会に参加していたことがあります。
また、外国人の知り合いの方にクリスチャンがいて、その方たちの考え方も聞いています。
ですから、ノンクリスチャンの日本人にしては、聖書に少しはご縁がある…という程度です。
それでも、それも偶然ではなくて、私はそっち系からメッセージを受け取りやすくなっているのだと思います。
意識の探求で、神道とか仏教にご縁のある方、宗教以外のルートから繋がる方、色々あると思います。
どちら方面から来ても、最終的には同じことになるはずです。
⚫︎クリスチャンである英会話の先生の言う「聖書」とは
先週の英会話のレッスンで、話題が聖書に及びました。
先生は日本人と結婚して、日本に30年以上住んで英語教育に携わっています。
カトリックのクリスチャンです。
先生は聖書についてこんなことを言っていました。
「聖書のことを歴史や予言の書物だと思っている人たちがいるけれどと、そうではない。
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