勝手にチャレンジ1000 0123 ネオちゃん再び、そして過ぎ行く日々。
夕方過ぎて降り始めた雨は、夜が更けて激しくなった。
くりのすけが吠え続ける。おしっこなのか?遊びたいのか?と、もう何度も庭に出るが、雨もひどくなるし、くりも出たがるくせに、すぐ内に入ろうとする。明日は月曜日だしそろそろ寝なくては。
「もうお外にはでないよ」
と声かけて、鳴くのを無視してお休みの準備をする。牛乳飲んで、少しおやつを食べて、電気を消したら、はい、お休み、と、寝るのはそんなに手のかからないくり。それが、ちょっと気もそぞろな感じで吠え続ける。寝くじというのか、眠くなってきてギャン泣きする幼児のように、突然大きな声で吠えて、唸って、マットやタオルに飛びかかって一暴れしてバタッと寝てしまうこともあるが、そういう鳴きかたとも違う。
何かあるの?懐中電灯で夜の庭を照らす。
光の輪の中には激しい雨に打たれる落ち葉や濡れたサンダルが浮かび上がる。
なにもいないよ。
その時、ある疑念がチラッと頭を掠めた。
まさかね。
ネオがいないのだ。
夕方、エサをやってから姿を見ない。くりがうるさいのを嫌って、別の部屋にいってることはよくあるので気にしていなかったが、くりを寝かせるときにネオにもちょこっとおやつをやるので、金属のお皿にカラカラとおやつの粒を落とすとどこからかやってくるのに出てこない。使ってない奥の部屋、ベッドの下机の下、押し入れの中、めぼしいとこを覗いてみたがどこにもいない。
***************
と、ここまで書いて22日もたったらしい。
ネオはその後すぐに見つかった。
案の定、またまた出窓の下のがらくたの中に座っていたのだ。前回、心臓が縮む思いをして、ずっと気をつけていたつもりなのに、いつの間に外に出たのやら。そして、やはり、そこにいてくれて良かった。
ネオは外に出たい、と言うより、その出窓の下に行きたいので外に出るのかもしれない。ならばいなくなっても大丈夫なのでは?と言う家族もいたが、それは違うと思う。出窓の下に行きたくて出てるのかどうかはわからないし、一旦外に出たネコが、ふと、旅情に駆られてどこかに旅に出たり、何かに驚いて駆け出してそのまま駆け続けて行方不明とか、帰るつもりでも帰れなくなることもあるだろう。既に初老に差し掛かった、一度も家からはなれたことのないポッチャリネオにサバイバルを期待するのは酷と言うもの。いや、もちろん、できるかもしれない。しかし、買ってでも苦労をさせよ、と言う若い時期はやはり過ぎてしまった、と思うべきだろう。また、人間の子供ならまだしも、ネコに苦労をさせる必要はない。
というわけで、改めて、リビングのサッシの開閉には注意するように、と、自らを戒めたのであった。
noteを書かなかった22日間で、季節は巡り一気に秋になった。庭も様変わりで、暴れ柳のように繁っていた青シソもおびただしい穂をつけ、既にそれらも取らぬまま枯れはじめている。
夏草が一気に萎れてくりと私と夫で踏みしめて出来上がった庭の通り道道が広がって、土が見えている。獣道、とか、犬地図とかの言葉を思い浮かべるが、それについて書くことはできずにいる。その他書いて記憶にとどめておこうと、掬い上げようと思う事どもが、砂のようにこぼれ落ち、流れ去っていく。
ともかく生活の中で、まず、書く環境、時間を持つことに腐心せねばならぬ日々なのである。
「時間なんか自分で作るものでしょ、時間なんて自分の工夫次第だと思うよ」と、先日パート先の先輩にいわれたが、素直にそうですね、とは言えない私なのであった。
ぐじぐじしている。