勝手にチャレンジ1000 0129 近況報告②実家編・伏線回収

 さて、一昨年、実家の両親、いや、母と向き合おう、という気持ちもあり一旦自分の仕事(昆布ジャム製造販売、料理教室、パートのお惣菜製造)をやめガッツリ実家で両親の世話を始めた。この間、自分の生育歴というか、子供の頃からのアレコレを思いだしたり、過ぎてきた日々をたどり直すような心の旅をして一年たったような感じがする。親思いだね、とか、大変だね、とか、内外の声は色々だが、私にとっては、やってよかった一年だったと思う。

 実家で両親といることで色々と思い出したり、追体験したりで、小さい頃の出来事やそのときの自分の感情をたどり直すというのは、そのままアダルトチルドレンを癒す道筋である。人生の伏線回収、答え合わせ。
 小さい私、思春期の私、そして結婚したり、子供を持ったり、随分おばさんになっても母の支配を払拭しきれてなかった私にとって、今度はこちらが助ける側としてではあるが、正面きって相対するのは実はなかなかしんどいものがあった。
 年老いて、口では「済まない」だの、「あんたに悪い」だの言いつつ、母は尚強気である(笑)。いつかのこと、母が気の置けない知り合いに「娘には悪いと思ってるのよ、迷惑かけてねー」等としおらしいことを言ってたので、「そうそう、私の時間を犠牲にしてねー」と、母が日頃あまりにそういうことをから、小声で軽口というか、茶々をいれたところ、きっ!と振り向いて「犠牲になんかしてない!あと五、六年、ちょっとの間頼むね、って言ってるだけでしょ!」と言い放ったのだ。なんだ?その五、六年って。ちょっとの間頼むね、って。とりあえず100まで生きることは織り込み済み、っていうのはいいとして、私の人生をどう思っているのだろう?
 最近わかったことだが、やはり、母は、悪いね、と言いつつ本当に悪いとは思ってなかったらしい。「子供は親を看るのは当たり前、一人っ子だし仕方ないね位に思ってた」らしい(笑)。だいたい私は母が嫌なことを言い出さなくても済むように、端的に言えば、私に対して下手に出ることのないよう気遣うところがあったから、つい、母の都合がいいような提案をしてしまうところがあるのだけど、それにしても当然と思われてたのか、とちょっと驚いた。
 ともあれそうしているうちに、ある日、母が何か私の気遣いをないがしろにするようなことを言ったので、私のなかにも、こんなにしてあげてるのに、とうらめしくおもう気持ちが頭をもたげ、怒りというか何か激しい感情が吹き出して、ママはわたしのきもちがわかってない!と叫んで泣いてしまった。94の母親と60の娘である。変すぎるだろう、と、今では思える。その時、母は「あんたは考えすぎだ。こんな年寄りのいうことなんか知るか!私の言うことを聞いとけ!ってほっちらかしとけばいいじゃないか」といったのだった。
 私はそんなこと思ったことがなかったので、またまた驚いて、呆気にとられて可笑しくなった。
 母は自分の親と同居、と言うか、若い頃から戦後の不如意な生活を送る親の生活を支え、結婚してからも祖母を引き取り、最後も自宅で看取り、父の妻というより、ずっと祖母の娘であったのだが、祖母のことをそんな風におもってたのだろうか。それは、私がそのくらいの気持ちで接しても平気ってことなのだろうか、と、思った。そして、母と私は違う人間である、ということを深く思い知ったのだった。母と私は、違う人間で、人はそれぞれ思いは違うのだ、ということは頭ではわかっていた、が、何か心底得心がいったというか、胸の支えが落ちたというか、腑に落ちるというのはこの事か、というような体験だった。私がモヤモヤするように、母は母で私に対して思うところもあったのだろう。なんだか、スッキリした。ちょっと肩の力が抜けたというか、長年の母への思いが変化を始めた。
 そんなこんなで泣いたり笑ったりしながら一年過ぎて、何となくバランスのとれた関係になっていけてるのではないかと思うようになった。

 母と私は違う。別の人間。と、頭でわかってるつもりでも、二人とも無意識に、母は私を自分の分身のように思い、私も母と自分を同一化しようという気持ちを持っていたような気がする。それもわかっていたことだけど、この一年ではっきり、しっかりと違う人間同士で向き合えるようになった・・・ように思うのは私のことで、母は端から思うようにしていて、これからも思うように過ごすのだろう。私が変わったのだ。
 また、本当に最近になって、母は、自分の友達たちが、夫がなくなったら息子にすぐに施設に行くよういわれたのを見たり、家事が大変なら娘さんに頼めばいいじゃないと言ったら、娘は仕事があるからなにも頼めないしできない、今時家に来て親を看る子供はなかなかないよ、と言われたりして、自分の状況を今時ラッキーなことなのだ、と、感じるようになったらしい。
 親を看る気持ちがないというのではなく、心配しつつも遠くに住んでるとか仕事があるとか、世話したくてもできない子供も多い。そのなかで、私はたまたま近くに住んでいて、家計を支えるほどの仕事でもなくやめても差し障りがない(と母は私の仕事をそう思っていた)仕事だし、娘の夫も気楽な人だし、仕事辞めて実家に泊まって、面倒見てくれるなら頼むよ、という気持ちが大きかったようだ。そして、母はマイルールが多いので、やるからにはちゃんと(母がやるようなやり方で)やれ、と、結構偉そうだったのだけど、愛着障害というか、アダルトチルドレンな私が母のやり方を踏襲しようと一生懸命だったということもあり、上意下達というか、いちいちお伺いをたてるような関係性であったと思う(伺わなくても、ああしろこうしろと母は口に出すので、ハイハイ、ということになるのだけど)。小さいときから、しっかりものの母に追いたてられるような、振り回されるような気がしてきた。実際は私自身も結構思うようにしてきてることも多いのだけど、とにかく自覚としてはそのような心持であった。が、最近では、結果的に母の思うようになっているとしてもやみくもに従っているわけではなく、私のなかで咀嚼してのみ込めているように思うし、母への文句も言ったり、機嫌が悪いとイライラして怒ったりもする。何より、変だなと思っても、やっぱりママは偉いし、頭いいし、考えてるのよね、と、思っていたところが、いや、頭良かったかもしれないけど、これはなんも考えてないよね、と、思うこともしばしばなのだ。老害だな、と思うこともある。私の人生どーなるの?と思うこともある(笑)。
 
 というところで、母が入院した。
(つづく)
 


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