勝手にチャレンジ1000 0126 2024年年末スペシャル 前編・植木屋さんとくりのすけ

 明日植木屋さんが来る、と書いたなら、今日植木屋さんが来たよ、とか、昨日はどうだったよ、とかの報告が要るだろう。

そう思いながら何も書けずに一月半、あっという間に年末だ。いや、別にあっという間でもない。この一月半の間、日々、植木屋さんとくりの顛末を書かねば、あるいは、実家あるあるとか、もっと内省的なこと、軽く小ネタ的気付き等々、あ、これを書けば、と思うことは多々あったのだ。むしろありすぎて書けない、というか、気持ちは激しく動けども時間がなくてそれをまとめる思索と入力が追い付かないのと、実家と自宅の二拠点生活はなかなか肉体的にハードなときもあり、書くより睡眠、となることも多かったのである。そして、そのような日々に、SNS というのはつい、ぼーっと、あるいは熱心に読み続けるということはできるのに、能動的に書くという行為はなかなかできないものなのだな、と、改めて気がついた。それに、読むなら本を読んでもいいはずなのに暇があれば手が出るのはスマホで、長々追いかけるのはネットの記事や投稿、動画だったりする。これは私にとっては由々しきことだ。何しろ積ん読山はそびえ立ち、標高を増すばかりであるし、書きたいこともあるのだから。

 フォローしている方々を始めnote には優れた書き手が大勢いるし、新しい記事が日々産み出されているのだからいくらでも読むものは上がってきて、追っかけてるうちに、よくよく考えれば、似たような話や余裕があれば読んでもいいかも、という話を余裕もないのに読んでいる、という時も多かった。私が好きそうな話や読んだ記事と同じカテゴリー、テーマの記事をnoteが選んですすめてくるのだからずっと追っかけたらそういうことになるのは当たり前なのだ。これは気を付けなければ。
 読みたい人の記事は読む。おすすめ記事や面白そうな記事もできたら読む。でも追っかけすぎない。来年はぼんやりあるいは必死にSNS の記事を追っかけるより、スマホ片手をやめて、スマホを置いてお茶を飲んだり本を読んだり、睡眠と自分の考えをまとめる間をきちんととろう。至極普通の結論であるけれど。

 というわけで植木屋さんとくりである。
 くりは案の定朝から不穏で、植木屋さんのトラックや機械の音、庭の人影を警戒して吠える吠える。でもよく見たら、ぶるぶる震えながら吠えているのである。本当に怖がりで、可哀想になる。午前の休憩、お昼休みを挟んで午後3時過ぎまで、うちのなかで、大丈夫、大丈夫となだめながら過ごし、最後は私と一緒にお兄さんたちの仕事を窓から眺めるくらいにはなった。
 くりに踏み固められたのもあり、庭はいつになく地面が露で、小雨に湿って黒っぽく見え、少し寒々しい。生け垣はすっかりきれいになり、いつお正月が来てもいいという風情だ。
 警戒心が強く、未知のものを異常に怖がるくりのすけ。怖がってぶるぶる震えながら攻撃的に吠える。そんなに怖がることはないのだ。みんなお前を愛してるよ。お前の周りは安心だよ、と思ってほしいのだが、どうしたらいいものか、と、思いつつ、さっぱりした庭に出したら、植木屋さんの匂いが残っているのか、そこら中を嗅ぎ回って、忙しそうなくりだった。

 なんとか無事に植木屋さんが来る日を過ごし、少しずつ経験値があがればいいな、と思ったくりであったが、この数日後、散歩の後で興奮と緊張したことで激昂し、夫と私はまたまた噛まれてしまった。散歩のあとの不機嫌なくりの対処にも、噛まれることにも馴れてしまって、やれやれ、と、その場をスルーしてしまった私たちだったのだが、この数週間後、12月の半ばにちょっと大変なことになったのだ。

あー、大晦日。
31日はおせち大詰め。あさからあれこれすることがあるのだけど、とにかく年内にこの記事を片付けたいので、休憩を挟んで今日中に後半投稿する、つもり。
                 (つづく)


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