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When I've Got You 香港ライブ版・妄想感想/ディマシュin中国7ー2
(Dimash 38)
(15,370文字)
(第1稿:2023年12月30日)
【新曲の概要と歌詞】
2023年12月23日、イブイブの夜に行われたディマシュの香港ライブにて、2曲の新曲が披露された。
今回は、2曲目に歌われた『When I've Got You』を聴いていく。
ていうかもう感想の域を超えちゃって、全部の文字を感嘆符!だけにしたいくらいだ(笑)
規約違反のはずの現地からのライブストリーミングを見てて(スミマセンねえ運営さん)、この曲が始まったとたん、血が逆流しましたハイ。
べつにこういう曲がことさら好きというわけではないのだが、長年洋楽を聴いてきた側からすると、たいして詳しくもないのにアメリカの音楽の歴史がこう、バアアーーーっと脳裏によみがえって来て、その中でこの曲が位置する場所とか、彼があの国で何を吸収したのかとか、バックのサウンドが好みだとか、ディマシュが作曲した曲自体の良さとか、とにかくいろんなものがドババーーーっと、ですね。
以来ずっと、暇さえあれば聴いてるし、朝起きたらこの曲が頭ン中でループしてるし。
はやく公式に曲とMVを発表してくださいねー、ディマシュ君。
以下、2種類のファンカム動画を埋め込んでおく。
音は悪いですよ、なんせファンが携帯電話で録画した代物ですから。
★YouTube動画『Dimash "When I've got you" new song』
by Dimash Iran 2023/12/24
(ライブストリーミングをしたmatza0210のIGから切り抜いた動画)
★YouTube動画『DIMASH 🔥When I've got you🔥 ПЕРЕВОД / НОВАЯ АВТОРСКАЯ ПЕСНЯ ДИМАША』
by Dearsdimash EurasianFanClub 2023/12/26
weibo: scorpio-nina @tulip_daisy_18
・画面に英語の歌詞が出ている動画。
途中から撮影するカメラが変わり、音質が落ちる。
**********
《歌の歌詞と日本語訳》
Lyrics:Candice Kelly & Dmytro Gordon
Music:Dimash Qudaibergen
(日本語訳:yoko-tzm, with Mika-T)
(ヴァース1)
Making my way, way down south to the river.
:俺は道を進んでる、それは南へ下って川へと向かう
Been lost for days, 'cause I'm looking for freedom.
:幾日か見失ってたけれど、それでも自由を探してる
There's nothing but chains around me, but I won't be broken.
:俺のまわりには鎖以外なにもない、でも俺はくじけない
Cause I'm gonna fight this time, Fight every moment.
:今度こそ戦ってやる気でいる、どんな瞬間でも
(プレ・コーラス 1)
Not gonna lie, It hurts this time,‘cause I am feeling alone on this side.
:嘘じゃない、今回はちょっと痛い、俺はこっち側で孤独を感じてる
Not gonna lie, I come back to life, when I've got you.
:でも嘘じゃない、俺は生き返る、おまえさえいれば
(コーラス1)
You are my gateway to heaven, :おまえは俺の天国への入り口
If I ever knew in my life, :俺に分かることがあるとすれば
My love, oh, my baby. :俺の愛、ああ、俺のベイビー
You are the best thing to happen. :おまえは俺に起こった最高の出来事
I've got an angel down here, angel right here,
:俺はここで天使を手に入れた、天使がここにいる
Watching every single thing and every little step that I take.
:俺のことをひとつ残らず、俺の小さな歩みをひとつ残らず見ている
You make it all worth it baby.
:おまえがそのすべてを価値あるものにしてくれる、ベイビー
(ヴァース2)
Finding my place, just a man in a man's world.
:俺の居場所を探してる、男たちの世界の中で男として
Making a name, ain't easy these days.
:名を上げるのは、最近じゃけっこうむずかしい
But when I come home to your sweet love, you're my slice of heaven.
:でもお前の優しい愛に帰ってくれば、おまえは俺のちょっとした天国
I've got my ride or die, in my arms all night.
:俺には忠実な味方がいて、一晩中俺の腕の中
(プレ・コーラス 2)
Not gonna lie, It hurts sometimes, when I am feeling alone on this side.
:正直に言えば、たまに痛い思いをする、こっち側では俺はひとりぼっち
Not gonna lie, I come back to life, when I've got you.
:でも正直に言えば、俺はちゃんと生き返る、おまえさえいれば
(コーラス2)
You are my gateway to heaven. :お前は俺の天国への入り口だ
If I ever knew in my life, :俺に分かることがあるとすれば
My love, oh, my baby. :俺の愛、ああ、俺のベイビー
You are the best thing to happen. :おまえは俺に起こった最高の出来事だ
I've got an angel down here, angel right here, watching every single thing and every little step that I take.
:俺はここで天使を手に入れて天使がここにいてくれて俺のことをひとつ残らず俺の小さな歩みをひとつ残らず見ていてくれるんだ
You make it all worth it baby.
:そのすべてを価値あるものに変えてくれるのは、愛しいおまえ
**********
【第1のフェイズ:作詞者とファンへの感謝】
聴いた感じ、歌の印象が重層的に聴こえるので、まずは浅いところからやっつけて行こうと思う。
歌詞を書いたのは、ウクライナ出身で現在LA在住らしいドミトロ・ゴードンと、彼のグループのボーカリスト、キャンディス・ケリーという女性。 どちらが主体かはわからないが、全体的に男性目線の歌詞なので、歌詞のあらすじがドミトロ氏で、英語翻訳と手直しがキャンディス氏かもしれない。
★dmytrogordon 12月29日付。
・WIGYとSmokeの作詞者と、米プロデューサーのアファナシェフ氏、ピーター・ゴードン氏との写真。
ドミトロ氏は、自分のインスタで去年のロシア・ウクライナ紛争に関する見解を述べているが、基本的なスタンスは「戦火を広げないこと」だそうだ。ウクライナが陥落すれば、戦火はモルドバ、ジョージア、その次はポーランドとバルト三国に広がるだろうと彼は言う。
このあたりがディマシュと呼応したのかもしれない。ロシアの隣国であるカザフスタンはすでにロシアの「部分動員」を逃れて出国してきた20万人もの人々を受け入れているが、戦火が長引けばディマシュの母国もどうなるかわからないからだ。
それとは別に、この歌詞にはドミトリ氏の音楽活動を支援し見守ってくれるファンへの思いが強く込められていると感じる。ドミトリ氏がインスタを始めたのは、ディマシュが世界に出て行ったのと同じ2017年1月で、プロのキャリアもディマシュとだいたい同じくらいの年月と思われる。
そういうミュージシャンの心情として、自分を発見し、自分の音楽を喜んで聞いてくれた人々に抱く「あなたは私の守護天使」という素朴な感覚が、この歌詞にはとてもよく表わされている。
それはまたディマシュにとっても同じ感覚で、この7年間、彼の歩みを見ていてくれたファンに対して彼が抱いている、本物の気持ちだろうと思う。
コーラスでのあの、何言ってるか全然わかんない早口の箇所。
(英語の発音がわかんないんじゃなくて、早口過ぎて聞き取れないだけです、念のため)
一瞬、気でもふれたのか!?と思ってしまうようなメロディの速さとランのアップダウンから、ディマシュの内側からあふれ出るこの喜びをどうやって表現したらいいかわからないからちょっとおかしくなっちゃった、みたいな心情を感じることが出来る。
【第2のフェイズ:「ride or die」と「to the river」】
《「ride or die」》
英語の言い回しとして、「ride or die(乗るか死ぬか)」は、元は1960年代の「ベトナム戦争批判」を主軸とするカウンター・カルチャー時代のアメリカで、ライダー(バイク乗り)たちがよく使っていた「バイクに乗るか、でなきゃ死ぬか」(バイクに乗れないなら死んでやる、的な)という、文字通りの意味だった。これはもちろん、かつてアメリカのカウボーイが馬をこよなく愛したのと同じ感覚だと思われる。
現在では「my ride or die」の成句で、「呼べばすぐに来てくれる忠実な友」という意味になっているそうだ。特にヒップホップ系の歌の歌詞によく見られるようになったという。
ライダーたちにとっては何があっても自分の味方をしてくれるのがバイクというマシンだったが、その感覚が年月を経て自分の味方をしてくれる人間に敷衍されていったのだろう。
そういう存在が身近にいること、いつでもそこにいて、何を置いても自分のもとに馳せ参じてくれる友人に、人はどれほど勇気づけられるか、という意味だ。
翻って、身一つで舞台に立つシンガーからすれば、ファンとはそういう存在だという話でもある。
愛を歌う「小鳥たち」は、実は彼らこそが愛に飢えているのだ。
《「to the river」》
また、ヴァース1の「way down south to the river(南へ下って川へと向かう)」は、アメリカのゴールドラッシュを連想させる。
1848年8月、「ニューヨーク・ヘラルド」紙がカリフォルニアにゴールドラッシュが発生したことをアメリカ東海岸に報道し、それがきっかけで世界中から一攫千金をもくろむ大量の移民が侵入し、西海岸に大きな都市群を作り上げた。今に残る「カリフォルニア・ドリーム」だ。
歌の主人公は、ゴールドのように光り輝く何かを手に入れようと旅をしているという風に読める。
また、それとは別に「川を目指す」という言い回しには、「川についていけば海に出る」「大海へ出る」という意味がある。そのため、歌の主人公は今よりももっと広大などこかを目指しているという意味にも取れる。
それはLAでこの歌を作曲した(のかもしれない)ディマシュの願いでもあろうと思う。
彼はカザフスタンを出て、大きな世界を目指し始めた。
だが、故郷のカザフスタンに帰れば、いつでも自分を迎えてくれる家族、そして同胞たちがそこにいるという感覚も、歌の中には盛り込まれていると思う。
【第3のフェイズ:サウンドのアレンジ】
《今回の「バンドメンバー総とっかえ」》
今回の「ストレンジャー香港ライブ」は、バックバンドやコーラス隊がいつものメンツではなく、全員中国人で固められていた。
理由は定かではないが、ライブの全体的なサウンドのアレンジが少々ハードなブルースロック系、それもこの新曲『When I've Got You』のアレンジをメインにしたような印象があった。そうなると、いつものメンツでこのサウンドを演奏するには、リハーサルの時間が間に合わない日程だっただろうし、そもそも無理ではなかったかと思う。
いつものメンツはもう少しリズムが軽く、アンビエントな雰囲気が混ざった、技術的に物凄くレベルの高い上品なフュージョン系のサウンドだ。そういうメンツで、それとは真反対のような荒々しいブルースロック調にするのはかなり難しい。ミュージシャンたちには彼ら個人の得意分野があり、そう簡単に個人のサウンドのジャンルや音や手癖を変えることは出来ないからだ。
今回は、ディマシュが会場に来てリハーサルを開始するまでに、ライブ全体や各曲のサウンドのアレンジを組み立て直しておく必要があったはずだ。だったら事前に中国のミュージシャンたちに集まってもらって、彼らに任せた方がスムーズだっただろうと思う。
今回のバンドは、バンドリーダーのギタリストが結構な凄腕のようで、私個人は、かなり理想的な「ロック系ソロ・シンガーのリード・ギター」だなと思った。
《ベース》
この新曲『When I've Got You』は、超低音のベースが非常に気持ち良い。
ファンカムの動画なのでバンドが画面にほとんど映らず確認ができないが、もしかしたら5弦ベースかもしれない。いつものメンツのベースマンが5弦ベース持ちなので、各曲のアレンジが5弦ベースの音域で構成されているはずだからだ。
(追記:第1稿の校正中にスタッフが投稿した動画でベースを確認、5弦ベースでした)
しかもヘヴィなベースなのに、わりと濁りの無い綺麗な音で、とてもメロディアスだ。
この曲のベースの音を聴いていると、南部アメリカの乾いた砂漠で足を引きずって歩く男のイメージが浮かんでくる。
《ドラムス》
ドラムスは、ちょっと張りの強い軽めのバスドラと、特にくっきり聞こえるスネアがコード(和音)を、それも例の「完全5度」にチューニングされているように聴こえ、コードをバーンと叩き付けるような音なので、私的には耳に非常にわかりやすい。
老齢の私の耳😂にこれだけ聴こえるのだから、若いディマシュにとっても、全力で歌っている時に自分の声が頭にガンガン反響している状態でも、良く聴こえていただろう。
かなりノリやすかったんじゃないかと思う。
このドラミングからは、足を引きずりながらも、ゆっくりと一定の速度で着実に進み続ける男のイメージを感じる。
《ギター》
で、ギターは実はこの曲ではソロがほとんどない。
なにせギターソロのフレーズは、コーラスのあの何言ってるかわかんないディマシュの早口が担当しちゃってるからね(笑)
ギターは「レスポール」特有の甘くて太い音、それにディストーションをかけて、この曲のプレ・コーラス1からインしてくる。
それまでの重い足取りに、インしてきたギターによって何らかのエネルギーが加わり、男がふいに顔を上げて周囲を見回し、空を見上げて目的を思い出し、そこへと向かって行くような推進力をギターの音が作っているように聴こえる。
コーラスでは、ギターの音が男の胸に満ちてくる希望と幸福感をあらわしているようだ。
そして間奏部。レスポールの甘さを抑え気味にした、ハードで歪んだ音で繰り返されるリフは、酒の苦みや、人生の苦み、男が時折感じている痛み、食いしばった歯の軋みのような音だ。
《コーラス、その他》
全体的に音の組み合わせやアレンジがそういう明確なイメージを持って聴こえてくるので、何回聴いても飽きなし、第一カッコいい。
また、ヴァース2でオクターブ下を歌うコーラスの男性の声が、けっこう良い効果を作っている。リアクション動画では皆さんこの声をディマシュのプレ録音を流していると言ってたけど、ディマシュの声とは周波数が全然違うから、他人の声だと思うよ。モンゴルのホーミーみたいな感じかな。
惜しむらくは、コーラスの女性にひとり、ディマシュの声とかぶる声質でしかも声量のある人がいて、プレ・コーラス部分でディマシュの声が消えてしまうことかな。
でも、もしかしたら正式なレコーディングでも、この箇所でディマシュの声がコーラスに埋もれて消失し、コーラス直前で再び出て来た時にあの高音リフが際立つようにアレンジしてある可能性もある。そこはまあ、曲の正式発表を待ちましょうかね。
それに何といっても、なにせ動画はスマホ録音の音だからね。ディマシュの声はスマホのマイクでは拾いにくいと思うんだな。
【第4のフェイズ:「生きた憑依霊」ブルース・ロック/ヴァース~プレ・コーラス】
《ブルースロックからの連想》
この歌のリアクション動画を見ていると、皆さんそれぞれに自分が知っている音楽やバンドとの共通点を指摘しているが、それらが誰ひとり、なにひとつ重複しないのが面白かった。
なので私も、思い浮かんだまま連想したものを書こう。
ヴァースはコテコテのジャズブルースで始まって、ゴスペル調のコーラスへと変化する。
前半のブルース調の部分は、3連符4拍子のブルース・ロックなのでついゲイリー・ムーアの超有名曲『Still Got The Blues』を思い出した。この人のギターも、今回のバンドリーダーと同じレスポールだ。
★YouTube動画『Gary Moore - Still Got The Blues』by genesio rocca 2010/11/01
・LIVE AT MONTREUX 1995
ゲイリー・ムーアが誰かは、フィギュアスケート男子の羽生結弦が最初の金メダルを取った1994年ソチ・オリンピックのショートプログラムで使ったインストルメンタル曲『パリの散歩道』、あの曲の演奏者だといえば、わかるかもしれない。
でも、実際にゲイリー・ムーアを聞いてみたら、もしかしたらもっと古いスタイルかもしれないなと思った。
そこで、試しにブルースロックの名曲で検索して、最初に出て来たプレイリストの動画を再生したら、のっけから「おおこれじゃん!」的な曲が。
やはり非常に古い型のブルースがこの曲のイメージのもとになっているのではないかと思う。
ただし曲の雰囲気が似ているのは、決して真似をしたというワケではなく、ブルースというジャンル自体に構成上のルールが非常に多く、そのルールにのっとって作曲すれば、おのずとどの曲も共通した曲調になってしまうのがその理由だ。なので、ブルースはミュージシャン同士が初対面だったり曲が初見だったりしてもジャムセッション出来るようになっている。
★YouTube動画『リラックスできるジャズ ブルース音楽 | 史上最高の曲ジャズ ブルース | ジャズ ブルース/ロック ベスト オブ プレイリスト #12』
by ブルースの歌 2021/06/11
《「女唄」の印象からの連想》
最初にライブストリーミングで聴いていた時、ディマシュが歌うこの曲は、男性が歌うブルースじゃない気がする、と思った。
「女唄」のようだ。
どことなく「女の不幸」の味がする、というか。
それは、なんとなくだが、ジャニス・ジョプリンやスティーヴィ―・ニックス(フリートウッド・マック)ら、団塊世代の最初の女性ロックシンガーたちに感じる、アメリカ南部あたりの女性が持つ不幸の味のようだ。
(ジャニスはテキサス州、スティーヴィーはアリゾナ州出身)
ブルースは男の絶望を、カントリーは女の絶望を歌うと言われる。
男たちは自分が生まれつき一攫千金から外れている不運と、社会不適合者であることに絶望し、毎夜街角のバーで仲間たちと酒を飲み、ピンボールで遊び、ケンカをして家に帰ってくる。
男たちは自分の恨みを仲間とつるんで憂さ晴らしが出来る。
だが、女たちは男たちのように仲間で遊びに行くことはない。家で彼らの帰りを待っている専業主婦だからだ。女たちは子供を育てるためにどこにも行けないでひとりで家にいるか、偏屈な老人となった義理の両親と暮らしている。自由の国アメリカにあって、南部は強烈に保守的な場所だった。
ステレオタイプ的に言うと、まあそんな感じかな。
《ジャニス・ジョプリン》
ジャニス・ジョプリン(1943~1970)は、歴史上最初の女性ロック・シンガーと言われ、27歳の若さで亡くなった。
★YouTube動画『Janis Joplin - Ball & Chain - Monterey Pop』
by criterioncollection 2012/06/19
・『Ball & Chain』1967年6月18日、モントレー・ポップフェス(米カリフォルニア州)
・バンド名は「Big Brother & The Holding Company」
・途中、客席で聴いていた「ママス&パパス」の女性ボーカル、ママ・キャスことキャス・エリオットが口をあんぐりしたまま聴き、最後に「めっちゃヘヴィだわ」と言っている様子が映る。
彼女の不幸は、こういう話だ。
自分の容姿にコンプレックスがあり、学校でいじめに遭っていた孤独な少女がブルースと出会い、何万人もの観衆の前で史上初の女性ロックスターとして歌い、身近な男たちとつかの間の恋をする。だが家に帰るとまた孤独なひとりに戻ってしまう。死の1カ月前には高校の同窓会に出席したというが、保守的な田舎で何が起こったかは推して知るべしだ。
後年彼女のボーイフレンドたちが集まって座談会をするというTV番組があったが、出席した4人のうち2人は、人生には音楽以外に大事なものがあり、ジャニスはそれを理解できなかったと言っていて、どちらの男性も家庭を持ち、孫もいた。ジャニスの人生を模した映画『ローズ』(ベット・ミドラー主演、1979)で最後の恋人として描かれた男性は、彼らに反論し、自分がそばにいればと長く後悔したと言うのだが、彼もジャニスにとって音楽がどれほど重要かを理解することは出来なかった。
ジャニスは結局、完全な男社会だったロック界での女性の位置と、音楽の世界にいながら周囲の誰からも彼女にとっての音楽の大切さを理解されず、埋まらない孤独に押しつぶされた形になってしまった。
★YouTube動画『【ジャニス・ジョプリン】ロンドンでのインタビュー 1969年【関西弁吹替え】』
By トミーのガラスのタマネギTV 2023/05/01
・初稿を書いたあと、YouTubeのお勧めにこれが出て来て、マジそのまんまだったのでここに乗せておく。関西弁の吹き替えがいい味出している)
《ステーヴィー・ニックス》
スティーヴィー・ニックス(1948~)は、1970年代以降のアメリカを代表するロックバンド「フリートウッド・マック」のメンバーで、「ロックの歌姫」と称される女性ロック・ボーカリストだ。
このバンドは、元々は1967年にイギリスで結成された「ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック」というブリティッシュ・ブルースロック・バンドだった。グリーンのギターはやはりレスポール。
この時期の彼らの曲『ブラック・マジック・ウーマン』はのちにサンタナがカヴァーして大ヒットした。
その後2回のメンバーチェンジを経て、男女混合のロック・バンドへと変貌する。
2回目の新メンバーとして加わったスティーヴィー・ニックスは、祖父がカントリー歌手、両親がバーの経営者という家庭に生まれ、4才頃から両親の店で歌っていたという。高校時代にリンジー・バッキンガム(シンガー&ギタリスト)と出会い、デュオを結成してデビュー。のちにふたりともフリートウッド・マックに加入、大成功を収めた。
だが最も売れたアルバムの『噂』(1977)には、ふたりの破局を物語る曲がいくつもあり、その後のアルバムにも明らかに誰に宛てたかが分かるような歌をお互いに作り、しかもこのふたりはライブでそういった歌をデュエット状態で歌うのだ。バンドにはもう一組、破局しながらもメンバーを続けた男女がいて、見てる方が気まずくなるようなバンド内のゴシップ的関係性だったが、それがこのバンドの不思議な魅力となっていた。
彼女の不幸は、自分を振り向かない男を想い続ける女の悲劇だが、これもまた女性のある種の人生の構図に見える。
★YouTube動画『Fleetwood Mac- Mirage Tour 1982』
by Lee Salinger 2013/08/19 /Opening number for their Mirage Tour show at the LA Forum in October of 1982.
・2分32秒からのコーラス2で、メインVoのリンジーを睨みながら歌うサイドVoのスティーヴィーが映る。バンドのファンが、彼らはこの箇所で口喧嘩をしているようだ、と評していた。
ジャニスとスティーヴィーのどちらも、当時は完全な男の世界だったロック・ミュージック界に参入した、初期の女性ミュージシャンの不幸でもある。まあ、この項目は私が知っている数少ない例を鑑みただけの話だが。
《「生きた憑依霊」》
ディマシュが歌ったこの新曲の歌詞のうち、ヴァース1の「今度こそ戦ってやる気でいる」というフレーズは、ジャニスが生前最後に家族あての手紙に書いたという「でもこの機会に賭けたいの、今度こそうまくやるわ」という一文を思い出させる。
またヴァース2「男たちの世界の中で男として」というフレーズも、史上初の女性ツイン・ボーカルを擁するフリートウッド・マックというバンドを成功させるため、イーグルスのドン・ヘンリーとの子供を中絶までして活動を続けたというスティーヴィーの人生を連想してしまう。
ライブでこの歌を歌うディマシュを見ながら、私は彼が、ブルースを歌いながらアメリカの地霊となった遠い過去の女性たちの魂に憑依したのではないかと感じていた。
歌詞は初見で聴いても男性が主役なのはわかるのに、なぜか「女唄」だと思ったのは、その感覚が非常に強かったからだ。
ディマシュの「歌の主人公になりきる」能力の高さはよくわかっていたはずだったのに、まさかアメリカの土地に刻まれた恨み辛み、流された涙、歴史の闇までも、こんなに深く正確に表現できるとは思っていなかった。
もしかしてディマシュ、君は「生きた憑依霊」なのか?
【第5のフェイズ:「ゴスペル」天使の降臨という事件/コーラス】
だが、コーラスに入ると世界は一変する。
それまではFメジャーのブルーノートの中にいた音階が、ここからはA♭メジャー・ペンタトニックになる(たぶん…😅)。
そして突然、エルビス・プレスリー的な「ゴスペル」が混ざって、前半のヘヴィさとはまた全然違う、ヘヴィではあるのだが、空を覆っていた重苦しい雲が少し晴れたような、希望と愛情が漂う世界になる。
エルビス・プレスリーは、私が洋楽を聴き始めてすぐに亡くなったので、音楽的な接点はなかったが、なんだかんだで歌はよく知っている。さすがはキング・オブ・ロックンロールなのだ。
だが、いつだったか、何の気なしに見た動画かTV番組で、プレスリーがリハーサル中かな?自分のコーラス隊といっしょに輪になってゴスペルを歌っているのを見て、非常に心を動かされたことがあった。あまりにも楽しそうだったからだ。
その後プレスリーの音楽的ルーツが実はゴスペルにあり、彼のグラミー賞受賞はすべてゴスペル曲だったことを知った。
また、以前のNOTE記事で紹介した、LAでのディマシュのヴォーカル・プロデューサー、スティービー・マッケイ氏もゴスペルがルーツの人物だった。彼が歌っていたゴスペルも、喜びと共感の感覚にあふれた素晴らしい歌と声だった。ディマシュがこの人物からゴスペルを吸収しただろうことは想像に難くない。
だが、それだけだろうか?とも思う。
コーラスの歌詞を読むと、自分の味方をしてくれる「天使」として男性が望む、ものすごーくステレオタイプな女性性への夢や願望を単純に歌っているように見える。
だが、曲の前半との対比で、私にはむしろ「不幸に生きた女性の心を慰めるため」に、あえて彼女たちの「天使らしさ」を呼び覚まそうとしているように聴こえる。
なぜなら、ただ一人の男の天使になることは、女性の「夢」でもあるからだ。
コーラス途中の「happen」という単語を発音する時、ディマシュははっきりと「ハッッップン」と言っている。それは、この薄暗い雲に覆われた世界で鎖を巻き付けられて歩く自分の目の前に、ポップコーンがはじけるように突如ふりかかった事件、突然ふってわいた幸運、いきなり目の前に別次元が出現したことをあらわす擬音のようで、とても耳に残る。
それが、「おまえ」という「天使の降臨」の瞬間だったのだ、と。
そして、男性も女性も、お互いがお互いの「天使=味方であること」が、愛だと言っているように、ディマシュの声は聴こえてくる。
この世は、人間は、そうであってほしいという彼の「希望と祈り」でもあるようだ。
これは大変な「鎮魂歌」だと思った。
なぜゴスペルに聴こえるのか。
それはこのためなのか。
★t.edison_immanuelzdm 12月27日付 👆
【第6のフェイズ:「両性具有」と「巡礼の旅」】
公式のライブ動画や、観客が撮影したファンカム映像には、いつも客席に非常に多くの男性客が見える。
今回は、とあるリアクション動画主、今年ディマシュの歌に出会い、大量の花束をもらうディマシュを見て大喜びしていた男性がこのライブに参加して、自分でディマシュにバラの花を渡していた。
普通、見た目がこんなに童顔で可愛らしいアイドル的な男性シンガーには、男性ファンはなかなかつかないものだ。
なのに、ディマシュにはすっかり彼のファンと化してしまい、自分をディマシュファイドされたdearだと言ってはばからない男性リアクション動画主が非常に多くいる。それは人によっては、彼の音楽的な歌唱の技術力だけでファンになっているとはとても思えないほどの心酔の深さだ。
今回のあの銀色に光るメタリックなスーツ、白い文様筋の入ったカウボーイブーツを模したような黒い革靴、オールバックにひとふさ垂らしたプレスリー的なヘアスタイル。
どれも男性のセクシュアリティや官能性を強調するスタイルだ。
なのに、ディマシュの両性具有的な雰囲気の方が逆に強調されてしまい、それで余計に「女性に憑依している」ように見える。
そして、ディマシュがこの歌で見せる「所作」。
ポーズを取る、見えを切る、練り歩く、歯をむき出して唸る、襟をはだける、肩肌脱ぐ。
なんというか、男でも女でもどっちでもあるようで、どっちでもないような、一連の不思議な所作。
日本人の眼には、歌舞伎役者が男性キャラクターに扮して、大仰に見えを切ったり練り歩いたりする「傾(かぶ)く」感じに見える。
が、その一方で、フランスの「ムーランルージュ」や、アメリカのラスベガス・ショー、日本のSKD(松竹歌劇団)などに代表されるような、レヴューを踊る女性ダンサーたちの所作にも時々見える。
特にアメリカに限定すると、ジュディ・ガーランドの娘ライザ・ミネリが主演し、アカデミー賞8部門を受賞したミュージカル映画『キャバレー』(米1972)の中で歌い踊る主役の女性シンガーを連想した。かといって実際にその主役がこういう所作をしているわけではないのだが。
ディマシュは、彼がもともと持っている「童児元型」的な面だけでなく、「両性具有」的な感性を持つ人物であるとも私は感じていて、それがマレーシア・ライブ後に表面化した彼の大人の男への変貌から、よりはっきりとわかるようになったと思っている。
(もちろん本人さんが「女子大生」に、溶けかけのアイスクリームみたいにデレデレになるような典型的なヘテロだということも知ってるけどね😅)
ディマシュは、声楽的に6種類の声で男声と女声を歌い分けるだけでなく、音に潜む感情的な意味をほとんどすべての音階で表現してしまい、その結果、ひとりの人間の精神に両方とも備わっている男性性と女性性のどちらにも働きかけてしまう。
なにせ私自身が、ディマシュの歌を聴いて自分の女性の面が満足するだけでなく、隠れた男性的な面もまた彼の歌に満足しているのが分かるからだ。
その理由が、彼の「両性具有」的な感性にあると思うのだ。
彼は、音楽的にも心理学的にもオールラウンドな満足感を聴衆に与えてしまうという、稀有なシンガーだと常々感じている。
だからこそ、個人の魂に宿る「両性」を慰める歌が、彼には歌えるのだろうと思う。
彼が現在行っているのは、おそらく「音楽の巡礼の旅」だ。
世界の辺境で音楽家の家庭に生まれ、音楽に生きる人生を運命づけられた彼が、カザフスタンという辺境を出て、現在行っている一連のライブのタイトルでもある「ストレンジャー」として、世界を旅して回る。
そして、たどり着いたその土地の古い音楽や地霊を探し出し、自分の中にその土地の音楽的なルーツや民族の魂を受け入れ、歌い、慰撫し、祈りを捧げ、鎮魂する。
それはまるで、日本の琵琶法師や、各地を読経して歩く禅僧のようだ。
彼は、アメリカの土地においてはアメリカにふさわしい歌を歌う。
それは、この世界に祈りを捧げる彼の、音楽家としての魂の旅に必要な「手続き」なのだ。
【第7のフェイズ:天使に出会うことを夢見るのは誰か】
ディマシュが歌うこの歌を聴きながら、私はそういったちょっとマニアックなアメリカ音楽の歴史をさかのぼって思い出したり、脳裏にちらつくイメージを特定しようとしたりしていた。
そして、この歌に潜んでいる、ディマシュが現在感じているらしい想いもまた、なんとなく伝わってくるような気がしていた。
ヴァース1と2で歌の中の男が苦しんでいる殺伐とした「こっちの世界」を歩く困難さ。
それはとりもなおさず、30代になるディマシュがこれから先に歩むのかもしれない道の不確実さや見通しの悪さ、この道が正しいかどうかは川に巡りあってみないとわからないという困難さだ。
そのような世界を自分が歩いていることを知ってしまった彼は、もしかしたら今まで意識したこともなかったかもしれない「自分の本当の味方」を、平和で穏やかな世界に住む「天使」のように優しい愛情を持つ人物像を求め、夢見ているかのように聴こえる。
やっぱりアメリカで寂しかったんだろうな、という気がちょっとする。
そして、この歌を聴き終わったあとに残る最後の印象。
まるで香水のラストノートのように残るそれは、
「ディマシュ……、君こそが、君の歌を聴く我々の"天使"なんだがな」
という苦笑いだ。
自分には「天使の降臨」が実現(happen)してしまったんだがな、と。
そう、この歌をそっくりそのままディマシュに歌い返したい衝動に、私は駆られてしまうのだ。
私個人は、今の老境をひとりで過ごすことに何の不自由も寂しさも感じないが、この世が生きるに値する世界であることを確認するための「天使」は必要だ。
それがたまたま、いや必然かもしれないが、ディマシュだったのだ。
そして、同じように「天使」のような彼にも、「天使」は必要だ。
彼の聴衆に「ディマシュ」が必要なのと同じく、ディマシュにも「ディマシュ」のような存在が必要なのだ。
でも彼はディマシュ本人なんだもんな。どうするよ?
そして、どうやら「ディマシュ」のような人間は、今のところ、この世に彼ひとりしかいないらしい。ますます、どうするよ?
それがディマシュの生きる道の困難さのひとつだろうな、などと思ったりする。
彼からしたら、大きなお世話だろうけどね。
時々私は、こうして彼の歌を聴くことぐらいしか出来ない「アーティストとリスナーの関係性」の中に、全くの赤の他人の人生を見守るということの難しさ、ある種のもどかしさを感じたりもする。
しかも、1月2日の投稿で紹介した「dimash_dears_downunder」というオーストラリアのFCが書いたように、彼はこの世界で「唯一無二の道」を歩いている。
これほどユニークな道を歩く若者を、古くなった自分の既成概念を黙らせながら見守る難しさもまた、「唯一無二」の難しさなのかもしれない。
それでも私は、そして彼のファンであるdearsは、これからも彼を手放すことはないだろうという気がする。
彼のファンの多くは、ディマシュが頻繁に見せる天然の愛らしさ、一種の可憐さに、彼の歌と同じくらいの価値を見出してしまっているからだ。
彼のあの資質は、天から与えられた「歌う能力」というギフトを活かすために困難な道を歩まざるを得ない彼を、その天自身が憐れに思って彼に与えた「エクストラ・ギフト」だろうと、個人的には考えている。
あの不思議な愛らしさ、地上の天使のような彼のあの天真爛漫な可愛らしさは、「唯一無二の道」という困難を生きる彼を見守るという、これまた「唯一無二」の困難に遭遇してしまった彼の心酔者の魂を鎮めるために与えられた、天からのギフトなのだろうな、と思うのだ。
★moon.kudaibergen_2 12月28日付
「That's all.」(きゅるりんと振り返るディマシュ、可愛すぎ💕)
(終了)