『OMIR(Life)』 by ディマシュ・クダイベルゲン 感想 & 妄想考察 Part.2
「Dearsの動揺と、魂を引き出すライム(韻)&サウンドマジック」
(Part.1からのつづき)
(Dimash No.18)
(7546文字)
(第1稿:2023年5月29日)
動画:『Dimash Qudaibergen - OMIR | MOOD Video』
by Dimash Qudaibereden(公式)
【 とある dears のインスタ投稿文 】
(注: dearsはディマシュのファンの総称です)
私がdearsを心配したのは、MVと歌との不思議なねじれがもたらす対立する感情、そしてこのレベルのサウンドでこの歌詞とメロディとこのボーカルを聴いたら、これほどのクオリティの音楽をディマシュで初めて聞くかもしれない若い彼らは、天地がひっくり返るだろうと思ったからだ。それほど、
この曲のマジックは強力だ。
案の定、彼がこの曲で表現した彼の「恐怖と不安」が、多くのdearsに直接届いてしまった。
私は、えーと、要するに年季が入ってまして、このタイプの雰囲気のバラードはスティングや氷室京介でよく聞いていたので、免疫があってまだ冷静でいられますけども。(それでも泣いたわクソー)
実際に彼らはこの曲を聴いて言葉を失い、川のように泣き、自分は果たして本当に彼のdearになる資格があったのだろうか、などと悩みだすdearまで現れた。
彼らがどれくらい動揺し、心を乱しているか、それをよく書きあらわしている投稿がある。
以下は、彼らのうちのひとり、「di_Ilusion」という女性dearの5月25日のインスタ投稿文だ。
『私はまだ準備ができていませんでした。
彼がこのように私たちに魂をさらけ出すことを決めたという事実が、私を完全に破壊しました。
彼がこの曲に込めたものは、あまりにも正直で、あまりにも誠実で、彼がこれまでずっと私たちと共有してきたものと一致していました。
ただ、あまりにも生々しくて、痛い。
彼はとてももろくて、それが痛い。
私の心はバラバラで、この気持ちをどう扱えばいいのかわかりません。
(中略)
しかし、この日、この曲で、躊躇することなく、彼は自分の内面をすべて私たちに差し出しました。それはあんなにも透明で、裸で、儚さに満ちているのです。
その時の彼の私たちへの信頼は、私には受け止めきれないほどです。
(中略)
この曲は今まで誰もなしえなかったほどの衝撃を私に与えてくれました。』
by di_llusion (https://www.instagram.com/p/CsphT8fy8PH/)
彼女の動揺はよくわかる。ディマシュはいままで、昔のヒット曲か、専門家が彼のために作った曲を歌っていた。自分で作曲した曲もあったが、彼が歌う歌詞は、全て他人の言葉だった。
だが今回の曲は、彼の並外れたボーカルと、即興のような美しいメロディ、そしてメロディと同時に浮かんできたという彼自身の作詞による歌詞、これによって、彼の歌の世界が3拍子揃ってしまった。そしてその状態が、あまりにも常識外れに卓抜していたため、表現者としての彼の魂のありようが、以前よりも格段に強く、しかも正確に伝わってきてしまったのだ。
彼女が言う「今まで誰もなしえなかったほどの衝撃」を、この歌ではなく別の歌だったが、私も同様に味わった。ディマシュの『行かないで』日本語バージョンで、それはカバー曲ではあったが、それでも彼のその卓抜ぶりがわかってしまったから、私はあの曲の最初の単語のひとことでディマシュに降参したのだ。
だから、dears、君たちが彼のdearであることに疑問を持つ必要は全く
ない。彼の歌で心を壊されたのなら、それはdearsなら当然のことだ。彼は
それだけの能力を持ち、それを受け止められる器が君たちの心には備わっていたということだ。
そして、壊れた心が元に戻った時、その経験は「第3の目」として開く
可能性があり、それは君たちの将来に大きな叡智をもたらす能力となる。
むしろ、そんなにも純真で真剣な疑問や思いを持つこと自体が、彼のdearsである証だよね。
【MVの映像 チェスの駒の行方】
では、Dearsが一様に動揺するほど、ディマシュが彼らに助けを求めた
理由は何だろう。
それは、彼に与えられてしまった国宝級の才能と、国家を代表するほどの知名度の獲得によって、彼が背負ってしまった責任のあまりの重さだ。
MVを見ていると、音楽好きの赤ん坊だった彼が市内の音楽スタジオのステージに立ち、近隣のコンクールから国際コンクール『スラヴィック・バザール』へ、そして彼の運命を決定づけた中国のTV番組『Singer2017』への出演と、彼がチェスで暗示した「人生ゲーム」は順調に駒を進めていく。
(注:以下は、【ディマシュの苦悩の正体】まで飛ばして読んでもOK)
中国のTV番組に出演した頃には英語がほとんど喋れなかったような田舎の子が、カザフ国内だけでなく南米(チリかもしれない)、フランスでも
ニュースになり、ドイツのDLD国際会議に出席する(メガネの老人はMobilium GlobalのCEOラルフ・サイモン)など、多くのTV番組やイベントで彼の名が呼ばれ、大勢のファンに取り囲まれるようになる。
彼のアイドル、ジャッキー・チェンに招待されて会い、ジャッキー主催のイベントに出演。
念願だったニューヨークでのコンサート。
中国MTV授賞式。(注1)
映画女優ニコール・キッドマンとの記念写真。
中国人の国際的ピアニスト、ラン・ランに招待されての楽屋での面会。
カナダ/ベルギーの歌姫ララ・ファビアンとのデュエット。
子供の頃からコラボを熱望していた、ロシア音楽界の重鎮イーゴル・クルトイとのコラボの実現。
NYタイムズスクエアのビッグ・ヴィジョン。
アンドレア・ボッチェリと楽屋で歌ったべサメ・ムーチョ。
伝説の中国雨天ライブ。
ローマ教皇フランシスコとの面会。
ラスベガスのボクシング国際試合での国歌斉唱。
アメリカ音楽業界の重鎮達とのランチ。
このMVには間に合わなかったが、彼は今年(2023年)5月、中国で開催された「中央アジアサミット」の歓迎晩餐会に出演して歌い、このサミットに参加していたカザフスタン大統領と一緒に大統領専用機で帰国した。
そのようにして彼の駒は着実に歩みを進めて行った。
ほぼわかる自分が嫌だわ(笑)
【彼の心の傷跡と、バダ】
私にとって最も印象的だったのは、ディマシュとライブでコラボの約束をしながら若くして暴漢に襲われて亡くなった、フィギュアスケート男子カザフスタン代表デニス・テン選手が歌っている映像。デニスは実は子供の頃にピアノと合唱を学んでおり、世界合唱大会でカザフ少年合唱団員として2位になっている。亡くなる前にはモスクワのフィルムコンペティションの脚本部門で優勝していた。
そして、ディストーション・ボーカルの時に映った、アメリカのタレント発掘番組『World's Best』。
これは、番組制作側の不誠実さのせいで、彼が準決勝で棄権せざるをえなかったという事件が起きた番組だ。
ディマシュにとってこの2つの事件は、デニスの映像はまだ明るいメロディの場所だったから気持ちはある程度落ち着いているのかもしれないが、
もうひとつのアメリカでの事件の方は、いまだに彼の心に刺さったままで、その傷は血を流しているのだろうな、と思わせるような編集だ。
そして曲の最後のフレーズ、彼の手がバダの形をとったあとに映る、アメリカ大陸(アルゼンチン)から史上初めて、またイエズス会から史上初めて選出された、第266代ローマ教皇フランシスコ。
最後に映る、『マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン』などでグラミー賞を取ったロシア系音楽プロデューサーのウォルター・アファナシェフ、同じくグラミー15回受賞のカナダ系プロデューサー、デヴィッド・フォスター。
この多国籍な人々の並び方は、ディマシュの思いの何かをあらわしているようだ。
【ディマシュの苦悩の正体】
カザフスタンという、世界の田舎の子供だった彼が、わずか6年であっという間にここまで登り詰めてしまった。
とんでもない「幸運」の恵まれ方、積み上がり方だ。
だが、その裏にある彼の苦悩や苦痛は、理解されることはないかもしれない。
「幸運」とは、フラットな人生に起こる特異点であり、そのエネルギ-は「不幸」となんら変わりがない。本人が感じる「幸運」の度合いが大きければ大きいほど、普段の人生との落差に人間の身体や神経は、「不幸」の時と同様に追いついていくことが出来ない。音楽や映画など分野の世界的スター達が薬物に手を出すのは、その幸不幸の落差によって神経を本当に傷めてしまうからだ。
ディマシュは、幼少期からの声の鍛錬によって肉体的、精神的な強靭さを身につけており、彼の音楽的な技術が彼を守ってはいる。
だがそれでも、箸が転んでも可笑しい年代を過ぎ、振り返るだけの足跡が発生してしまった。彼は30歳を目前にして自分の運命の重さとその重圧を、時間を俯瞰することで痛感してしまったのだろう。
自分が思う自分のイメージにそぐわない「幸運」は、本当に恐怖を呼んでしまうのだ。
そして彼はああ見えて、自分のことを「普通の子」だと思っているのだから。
【耳なし芳一と、エクソシスト】
ひとつ前のMV『Together』の感想文(4月28日にFacebookに投稿したもの)の中で、私は彼の才能について、それは「神の恩恵」ではあるのだが、裏を返せば、それは人間にとって一種の「呪い」でもあると書いた。
だが、まさかディマシュがそれを自分で認識しているとは思わなかった。
なにせこのMV、歌うディマシュの皮膚に彼の書いた詩が(CGで)浮かんでいるのだ。
それはカザフスタン語だが、意味が分からないキリル文字の羅列は、まるで「経文」のようだ。
まるっきり「耳なし芳一」ではないか。(注2)
彼が「耳なし芳一」を知らなくても、もうひとつ、からだに文字が浮かび上がるという描写をしている物語がある。映画『エクソシスト』だ。主人公の少女が悪魔に体を乗っ取られ、自分の声を封じられた彼女は、自分の皮膚に文字を浮かび上がらせる。「助けて」と。
それらのイメージを見る側が知らなくても、ディマシュの皮膚に浮かぶ文字が彼の詩であることは、途中で彼の頬に大きく映る、曲のタイトルをあらわすキリル文字「Өмір」でわかる。
そしてその文字は、彼が愛し、信頼するdearsに「助け」を求める歌詞の文句なのだ。
私は、自分が書く感想文の考察部分がある程度正しいことを願ってはいるが、こんな内容が当たってもちっとも嬉しくない。
彼は20世紀のロックスター達のように自由気ままな気質ではないが、それでも、この職業がもたらす重圧と、度を超した「幸運」がもたらす恐怖、
そして生涯にわたって自分が試される運命にあることにおびえ、恐れおののいている。
【「選ばれしものの恍惚と不安」】
ディマシュのこの苦悩の正体は、「選ばれてあることの恍惚と不安」かもしれない。
これは、太宰治が彼の小説『葉』の冒頭にエピグラフとして引用した、
ヴェルレーヌの詩『智慧 巻の二 その八』からの一節だ。
「選ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」
(堀口大學による訳詞)。(注3)
原作者のヴェルレーヌは、詩人コクトーとの恋愛沙汰から拳銃発砲事件を起こし、投獄された獄中でカトリックに帰依した時にこの詩を書いている。なので、この詩は信仰者として神に選ばれたことに対する彼の恍惚と不安をあらわしているという(研究者の渡部芳紀中大教授による)。
これをディマシュの人間性に照らし合わせれば、この感覚は、自分が音楽の神と同時にdearsに選ばれたことは恍惚となるほどの喜びをもたらすが、
自分のような人間が彼らに選ばれてもいいのだろうかという彼の謙虚さ、
それはある意味まともな感性ではあるのだが、まともな感性だからこそ発生する不安であり、その間で揺れる彼の不安定さをあらわしていると言える。
太宰の方は天才作家としての自分と、大地主で貴族院議員を務める父を持ち、地元で絶大な権力を持った家に生まれた自分との、ふたつの恍惚と不安をヴェルレーヌの詩に託したと言われている。
ディマシュの「不安」は、ヴェルレーヌと太宰、その両方の意味が混ざり合ったものだと思う。
そして、この「不安」の出どころは、自分がいつかみんなの期待を裏切ることになるかもしれないという、将来への漠然とした予感だ。
【ディマシュの運命・土星回帰】
ところで、実は私はどういうわけか、「西洋占星術師」だ。
彼の星回りを見て、ある程度のことはなんとなくわかる。
ディマシュは今年、出生(生まれた時)の土星の「星座」にトランジット(以下、T。現在移動中という意味)の土星が入り、来年には出生の土星とT土星同士が重なって合する「サターン・リターン(土星回帰)」の時期に入る。彼は星の動きに非常に敏感なので(注4)、T土星が今の星座に入る前からその影響を感じていたのだと思う。
「サターン・リターン」とは、これまでにやってきたことが一段落し、新しい課題が出現する時期だと言われている。特に、今まで弱点だと思っていたことや、やってこなかったことに向き合わされることが多く、それをT土星が自分の土星星座に滞在する約2~3年をかけて克服する時期になる。
この時期、彼は土星の影響で結果を求められる重圧に苦しみ(ただし実際に結果を求めているのは彼自身だが)、周りからはどんなに順調そうに見えても、以前と同じ順調さであれば、彼はそれを「停滞」だと感じるだろう。彼がそれを周りの期待に応えられない「裏切り」だと感じるなら、それは確かにそうかもしれない。だが新しい道が出現する前は、得てしてそういうものだ。よく言われるように、人はジャンプをする前にはしっかり屈まなければならない。『The Story of One Sky』の時には、彼は外的要因によって否応なく屈みこまされた。今度は自分で屈みこむ時期が来たのだ。
彼のこの不安は、彼をまた一段階成長させ、彼の音楽世界をさらに大きくしていくだろう。その時には、その「裏切り」はむしろ「称賛」に変わる。
このT土星が該当星座に滞在する「最終日」はなんと、2025年の彼の誕生日だ。しかも来年2024年の誕生日明けから、2025年の誕生日明け2週間までの約1年間は、彼にとって12年に一度の幸運期でもある。
【不安の先の成長へ】
心配はいらないと思う。この曲が発表されたということは、彼はこの曲を作ることで自分の気持ちをある程度整理し終わり、自分が進むべき方向に
もう歩き出しているということだ。
MVの一番最後、砂時計のあと、暗がりで過去の映像を見ていた彼の顔には明るく輝く瞳があり、目を閉じて微笑む表情には希望の色がうかがえる。
Dearsの多くは、この歌でディマシュのことをもっと好きにならざるを
得ないと言っていた。
先に引用した「di_llusion」は、彼女の投稿の最後あたりに「彼は本当に
勇敢で、私は彼をとても誇りに思います」と書いてさえいる。
彼が見せた、人間としての魂の柔らかさと壊れやすさ、この人生に立ち向かう彼の恐怖と不安。
それらはむしろ、彼の持つ「歌う魂の癒し手」という属性と、それをもたらす彼の心の「優しさ」、そして精神の「気高さ」をこそ、際立たせている。
Dearsは、それを感じ取ったのだ。
何故なら彼らも、ディマシュの歌に心を震わせるほど、彼とよく似た魂の持ち主達だからだ。
そうして、若いdearsはこれから彼と一緒に成長していくのだ。
(終了)
(第1稿:2023年5月29日)
(最終推敲・校正:6月6日)
【注解】
(注1)
4月13日、ディマシュはインスタに投稿した記事に、中国の『MTV Asian Music Gala』授賞式での観客席の写真を載せていた。それは、客席の大勢の彼のファンの中で、ひとりの女の子が両手で自分の両耳をふさいでいる瞬間の写真で、ディマシュはこれに「僕の音楽は万人受けしないんだなあ」と独り言を書き込んでいた。そして即座にdearsから「それ、あなたの歌の時の観客席じゃないから!」「それ、授賞式のスピーチの時に客席のファンの声援がデカすぎて、その子は耳をふさいだだけ!」と,よってたかって慰められていた。本人はジョークのつもりかも、だけど(個人的にはジョークを装った本音だと思ってるけど)。
その投稿を見た時、なんでまた彼はこんな場面を発見したんだろうと思ってたら、この曲のMVを編集するために素材の動画を見てたんですね.
(注2)
「耳なし芳一」は、小泉八雲の『怪談』(1904)に所収されている「耳無芳一の話」で広く知られるようになった怪談話。
芳一は目の見えない琵琶法師で、「平家物語」の「壇ノ浦」の段を得意としていた。ある日見知らぬ武者に請われて貴人たちの集まりで「壇ノ浦」を歌う。だがそこは平家の墓地で、しかも彼らと運命を共にした幼い「安徳天皇」の墓の前だった。心配した寺の住職は、お経を書いた体は透明になることから(こ、光学迷彩経文バージョン?)、彼を怨霊から助けるため、芳一の身体に「般若心経」をびっしりと書き込むことにした。
その後の話はご自分でお確かめください。
『耳なし芳一』Wikipediaより
(注3)
「『叡智』ヴェルレーヌ」 by ゴドーを待ちながら 夜空
・『叡智』第2部の全文。
「訳 / 河上 徹太郎」なので、使われる単語が少し違います。
(注4)
ディマシュの星の動きに対する敏感さについては、例えば、彼がLAで
「ブラームスの子守歌」を歌ったその時間には、彼の出生の惑星複数と
T惑星複数が特殊な形を作っていた、などがあります。
ディマシュの公式YouTube Dimash Qudaibergen - YouTube
ディマシュのインスタグラム
ディマシュ公式サイトDimashNews
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