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「あなたは私の誇りです」義父の言葉を思い返して涙する日
8月16日は義父の命日。8年たった今でも、義父が残してくれたいくつもの言葉が私の背中を押してくれています。
商店街で床屋を営んでいた義父母のお店は、いつも常連さんたちとの笑い声であふれていました。義父は常に自分より他人のことを思い、じっとしていられない人。その場の空気を和ませる名人でした。
◇
そんな義父との会話でいちばん心に残っているのは、私がまだ会社員時代のこと。
仕事と育児、家事に追われ、心の余裕を失っていたときでした。
「頑張りすぎないで。困った時はいつでも頼ってね。あんなに素直でかわいい孫に育ててくれてありがとう。あなたの力になれることが私の誇りだよ。」
ああ、完敗だ。この人には絶対に勝てない。
人に頼ることが苦手な私に遠まわしに伝えてくれた、最高級のホメ言葉。
思いがけず盛大なエールをもらい、まじまじと義父の顔を見つめてしまいました。そこにはあふれんばかりの笑顔。義父のように惜しみなく与える存在になりたいと強く感じました。
◇
もうひとつ、忘れられないのが最期の日に発した言葉。
8年前の夏、あの日も同じように暑い朝でした。
ガンを患い、自宅療養を選んだ義父は8月に入りほぼ寝たきりの状態。朝7時すぎ、姉から「様子がおかしい」との連絡が入り、慌てて義父母宅に駆けつけました。
私たちの到着に気づいたのか、
「チクショー。こんなんじゃ治ねえよ!」
と力を振り絞る姿。まだまだ終わるものか、生きてやる。人のためではなく自分のために。魂のこもった声にただただ見守ることしかできない悔しさに胸が熱くなりました。
孫娘の花嫁姿を見るまではとがんばっていた義父でしたが、残念ながらこれが最期の言葉になりました。
呼吸が浅くなっていくにつれ、義母は混乱し、義姉は別の部屋で祈り、夫は何かできることはないかと家の中を歩き回るだけ。
そんな家族を見て、私は冷静でいることを心に決めました。
普段おとなしい私が
「救急車呼びますよ!!!」
と大声を張り上げたのは、義父にもう一度目を覚ましてほしかったから。
今度は私が励ます番なのに。
救急車で病院へ搬送後、9時25分、夫からの通知が届きました。
「ダメだった」とひと言。途方もない喪失感。
と同時に、こんなにもあたたかいハートを持つ人と家族になれて本当によかった、という感謝の気持ちでいっぱいになったことは今でもはっきりと覚えています。
◇
この日を境に私は「言葉」の力で人の心に光を灯し、前向きな力を与えるライターになろうと決意しました。これも義父のおかげです。
もし、もう一度会って話ができるのなら、
「出会ってくれてありがとう。今度は私が家族を笑顔にする番です」
と伝えます。