おしんのしんは辛抱のしん?
掲載の写真は上毛新聞さんの記事から引用させていただきました。https://www.jomo-news.co.jp/news/domestic/culture/285440
観ながら見ること
先週、「観ながら見る」ことは批判的に物事をとらえることだとお伝えしました。それは「非難」ではありません。プラスもマイナスも両方ひっくるめて、吟味するということです。そして、インターネットというツールによって、「吟味」がしやすくなっています。
おしんのしんは辛抱のしん
で、おしんです。おしんは日本のみならず世界中、特にアジアで熱狂的に受け入れられました。イランでは、80~90%超え(資料によって数字が違いました)の視聴率だったそうです。(日本でも当時の最高視聴率は驚異の62.5%!)
なぜ それほどの人気なのか?
子供のころ「おしんのしんは辛抱のしん」というフレーズを聞きました。どんな逆境にあっても、めげずに正直に頑張り続ける主人公が、私たちの手本になるという意味だったと思います。「辛抱せよ」というメッセージですね。それが人々の共感を誘ったのでしょう。
橋田壽賀子先生の想い
という風に、私も思っておりました。「辛抱が大事だよ」昭和時代の子供はそう育てられたようにも思います。
が、しかし、「観ながら見た」=「吟味した」ところ、驚愕の事実を知りました。
おしんを書いた橋田寿賀子先生は「おしんのしんは辛抱のしん」をきっぱりと否定していたのです。
以下はWikipediaからの引用です
「おしんのしんは辛抱のしん」と辛抱を呼びかける現象までも発生したが、橋田は「あれは辛抱を描いたドラマではありません」と自粛を呼びかけていた。
おしんというネーミングの由来は「信じる、信念、心、辛抱、芯、新、真」などの「しん」とされており、「日本人は豊かになったが、それと引き換えに様々な『しん』を忘れてしまったのではないかと思って名付けた」と橋田は述べている。
おしんの誕生年と昭和天皇の誕生年は同じ明治34年となっている。これは橋田壽賀子の意図的な設定であり、「私は昭和天皇にご覧いただきたくて、このドラマを書いたような気がする。だからおしんの生まれを陛下と同じ明治34年にした」と語っている。
中曽根康弘首相は「おしん、康弘、隆の里」と自らを2名に準えて表現し、混迷する政局を耐え忍ぶ姿を自戒している。「隆の里」とは31歳で第59代横綱に昇進し、新横綱全勝優勝を遂げた力士・隆の里俊英のことで、苦難を越えて昇進した人物像から「おしん横綱」という愛称を持つ。
昭和天皇も連続テレビ小説を視聴し、『おしん』を視聴した際に「ああいう具合に国民が苦しんでいたとは、知らなかった」と感想を述べたという[24]
「観ながら見た」おかげで、新しい視点を手に入れることができました。まさか、おしんの誕生年が昭和天皇の誕生年と同じ設定にされていたとは!そして、実際に天皇陛下もご覧になっていたことや、当時の中曽根首相が政局を乗り切る自分におしんを重ねていたこと等、めちゃ興味深いです。
こういう小さな発見が大好きな私です。事実って何だろう? 自分の立ち位置ってどこだろう?
おしんのしんは「様々なしん」!辛抱のしんだけじゃないよ!皆さんも良い一日を!