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STORY OF 教興寺の戦い 8.5

三好家を世の中に広めるために頑張って書いた漫画その117

そうだ、説明していなかったのですが、基本小数点をつけたり、いわゆるマイナスとかそういう表記は割とギャク寄りにしています。
ブラックジョークもたまに含むかもしれませんけど、基本はそういうブラックな感じで笑いを取ることはあまり好きではないだけなんですけどね。

高屋城を奪い返したのち、阿波三好重臣であった一族:三好康長が入ることになります。三好康長について知りたいって方は、無料配布の冊子を適当にご覧ください(説明ぇ…)

ゆっくりしていってね!

三日月茶壷にはいくつか説があり信長公記、山上宗二記など説はあるのですが、最も有名なのは「割れて千利休が繋ぎ直した」こと。
で、一回割れたとはいえ、大名物には代わりないだろ!ってことでそうなっているかと思います。最も、割れた理由が戦乱にあってという時点で色々考えたのですが、実休の逸話といえば茶匙を追って出陣するという逸話があります。
茶人で、そばに潜ませ自らのこだわり抜き、自分が思う量を調節できる茶匙。
そんな茶匙を折ってまで、戦いに向かう三好実休の覚悟。
…いやあ…ほんと、三好実休ってかっこいいですよねー!(個人的感想)
で、そんな実休が持っていた名物、茶壷・三日月。
瘤があって、傾くようになっていてそれが三日月と呼ばれる所以です。

個人的に、三好康長から太子屋に一時的に質に入れられたか?と思いましたが、それを買い戻し、康長が織田信長に降伏した時に献上、その後、本能寺などの茶会で使われる予定だっただ、明智光秀の本能寺の変により焼失。という流れを選んでいます。より、三好康長を魅力的なキャラにするために。
例えばですが、実休が使用したとされる「実休光忠」という太刀があるのですが、それも結果、畠山高政が、織田信長に献上後、本能寺の変で焼失という流れがあります。
のちに久米田の戦いの漫画でも描こうと思いますが、実休が討ち取られた際、反対していた畠山高政がいます。その時に高政が実休光忠を持っていき、のちに足利義昭が織田信長と上洛すると、高政は幕府に出仕するわけですが、この時に信長との交渉に際し、献上したのかなー?と想像しつつ信長の手に渡るわけです。
長慶が、かの戦国文化人No.1選手権では常にトップ独走の細川藤孝が長慶の所作を見習ったり、三好宗渭に刀剣のことを伝授してもらったり。
三好は何かと、文化人の排出には、目を見張るものがありますよね!

三好康長については、小一時間くらい色々な人と話をして、何か面白そうな情報を掴みたいと思うこの頃

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