「幸や不幸はもういい どちらにも等しく価値がある 人生には明らかに意味がある」
少し前にこの言葉に出会って、私の心は震えた。手帳に書いて何度も読み返して言葉を噛みしめた。
この言葉は四コマ漫画「自虐の詩」に出てくる言葉だ。
幸江という女がイサオという元ヤクザの無職のヒモ男と同棲している話だ。
イサオはご飯が口に合わない、気に入らない事があるとちゃぶ台をひっくり返す最低野郎。
幸江が食堂で働いたお金でスナックに行き、競馬もする。
だが幸江はかいがいしくイサオの世話を焼き惚れ込んでいる。
物語は過去の子供の頃の幸江と大人になってからのイサオとの幸江の生活が交互に進んでいく。
過去の幸江もたいがい不幸だ。
親は父子家庭で借金まみれで幸江は新聞配達をして働き家事をし、借金取りから父を庇うような生活。給食費の未納を先生に言われるとストレスで嘔吐してしまうなどの展開。
子供の頃は親に搾取され大人になっても男に搾取される。
読んでいて辛くなってくる。読むの辞めようかな?と何度も思う。
私は、「幸や不幸はもういい~」の言葉に先に出会っていたのでどういう意味でその言葉が書かれているのか、作者は何を伝えたくてその言葉を書いたのか知りたい一心で我慢して読んだ。
ラスト近くなると、何故幸江はイサオをそこまで大切に思うのかがわかってくる。そして幸江の妊娠。
中学時代の親友が東京駅に幸江に逢いにくる。臨月の大きいお腹で息を切らして階段を上って親友に逢いに行く幸江。親友の幼少期もたいがい不幸だが、親友は結婚し夫と子供を連れて東京駅で幸江を待っている。
そこでその言葉が出てくる。
「幸や不幸はもういい どちらにも等しく価値がある 人生には明らかに意味がある」
ラストで私は号泣してしまった。素晴らしいエンディング。
出自や幼い頃の貧困、病気、死別など自分ではどうにも出来ない境遇、辛さ、「なぜ自分が」と思ってしまう出来事は誰しも大なり小なりあると思う。
人生に行き詰まると誰しも生きてる意味を考えてしまうと思う。
だが作者は不幸も幸と同等に明らかに価値があり人生には意味があると言い切る。
私が長年抱いていた気持ち「何故私が?」の答えがそこにあると思った。
事柄には幸も不幸もなく、あるのは目の前の事実だけ。
振り返った時あるのは、自分の積み上げた価値ある経験。
そんなふうに私は捉えた。
作者がこの物語の構想を初めから考えて作品を描いてたとしたら、恐ろしく天才なんじゃないかと思った作品でした。
オススメです。
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