夢を持たないことの罪悪感
20代まるっと10年間一緒にいたパートナーがいた
彼は、笑顔が可愛く、面倒見も良く、誰にでも優しい人だった
一緒にいて楽しかったし、
彼氏としても
夫になってもきっと”いい人”になったであろう
彼は今思えば”夢組”だった
そして私は、今も昔も”叶え組”だった
(桜林直子さんの言葉です)
20代半ばを超えた頃、
私はカフェで働き、オフの日はカメラにお金と労力ををかけていた。
生いていくにはお金がかかるから、仕事をして、
休みを満喫する生活だった。
そんな頃、彼に”ただのカフェ店員は嫌だ”と言われた。
彼は私に”夢組”になってほしかったのだろう。
夢組同士で切磋琢磨したかったのだろう。
その言葉に少なからず腹を立て、
同時に夢を持たないことへの罪悪感を持たされたように感じていた
その小さな怒りを原動力に動いた、
すぐにカフェをやめ、フォトスタジオ2ヶ所に面接を受けに行った。
特に技術があるわけでもなく、即戦力にもなれるわけでも、
それを補えるほどやる気もなかったので、案の定不採用だった。
建前上、カメラを仕事にする努力をしてみせただけだった
それから少しの時間無職を満喫した。
実家暮らしだったので少ない貯金で遊び呆けいていた。
(こういうところが自分の甘さではある)
その遊び歩いていた場所で仲良くなった人に仕事を紹介してもらい就職した。
小さな会社だけど、いい社長だし、福利厚生もきちんとしていた。
彼が夢で食べられなくても、私が安定していればどうにかなるなと思ったしバックオフィス業務は自分に向いているように感じた。
彼の言葉から半年ほどで
”ただのカフェ店員”から”小さな会社の正社員”になったのだった。
それから1年か2年ほどした後
予想通り、彼に振られることとなる。
(彼はその後、夢組の女性と結婚した。それはまた別の話で書こうかな。)
桜林直子さんの夢組と叶え組という言葉を聞いた時
腑に落ちる感覚だった。
いつも何かコンプレックスのようなものを感じていた。
夢組の友人の隣にいると、
私も夢組だと思われることも多かった。
”あなたは何をする人?”という質問は何度もあった
夢を持たないことはカッコ悪い。
という劣等感は、誰が作り出したものなのだろう。
世の中なのか、悪気なく聞いてくる相手なのか、受け止める私自身なのか。
今のパートナーも夢組だ。
でも彼は夢を強要しないし
真逆な私をリスペクトして、必要としてくれている。(と思う)
諦めなければいけないことに直面した夢組の彼に対して
懇々と”今あるものでどう幸せに生ていくか”を話している。
相手が欲している”私”になるのを、ようやく辞められそうな気がする。
これもまた別の話だな。
色々書きたいな。