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魔性の子 レビュー

☆note初投稿にあたり他のサイトにアップしたのを試しにこちらへ。要はテストですww☆

このシリーズの醍醐味を味わう一助に読む順番が影響してるかもしれないことに気付き、本書を読み終えた直後の私は戸惑ってしまっていた。

そもそも図書館で借りる時に「0巻ですけど宜しいですか?」と司書さんに言われたことからして十二国記初心者を気遣ってるようで、配慮を示唆してるではないか。

文学少女がそのまま大人になったような若くて知的そうな、その司書さんは、いかにも十二国記の続編を待ち焦がれてた経験がありそうで、刊行されるや早々と読破しそうな熱烈な人に思えてもくる。

そんな親切な心遣いなど露程も知らないその時の私はそう言われて、ただ無愛想に頷いただけで、もしも「エピソード番号順に読めばいいんですよね?」と聞いていれば「実はオススメの順番がありまして…」と相手がのり出して、あわよくば読む前に蘊蓄を聞けたかも知れない。それから判断しても良かったわけだ。と、ここ迄はいつもの妄想。でも「0巻ですけど…」と確認されたのはホントの話で、ある意味その言葉は「十二国記へようこそ」と迎えられたような気がするのだ。

読了後に他の皆さんのレビューを眺めてるとシリーズ中で本書をどのタイミングで読んだかに関する記述を見つけ、そこで初めて十二国記の一筋縄ではいかない物語の奥深さの一端を感じた。先述の戸惑いの発端はそこにある。試しに「十二国記 読む順番」で検索すると出るわ出るわ、猛者達による十二国記への熱い思い入れがブログというかたちで連なってあった。読破するのに参考になることもあるだろう、有難いことである。

前置きが半端なく長くなってしまったが所感を…。本書を端的に表す箇所として、9章の後藤と広瀬の会話を挙げたい。教育実習生として母校にて不思議な少年・高里と出会う広瀬。在学中の頃から広瀬を温かく見守ってきた後藤。二人の立場が直截に反映されたのか、後藤は広瀬に高里との違いを指摘する。この世界は自分達が居るべき世界ではない。戻るべき世界が有るんだという認識で高里と繋がってると勘違いする広瀬。

思春期の特に男子には、麻疹にかかるように頭を過る自己アイデンティティの通過儀礼の様なものがある。環境や人間関係からくる気疲れや孤独、クラスでうまく振る舞えない自分への想いやらが攻めかかってくることもあるだろう。一先ず防御するために編み出されたのが中二病と呼ばれる症例の様なもの。

Wikiによると某タレントが90年代末にラジオでの言及が初なのでは?とあるから本書刊行年を考えると著者の先見性というか少年性を知悉してることに感銘した。問題は広瀬の場合。要は少年の頃の蟠りが、中二病の邪気眼の様なもので導かれて孤独感と折り合いがつかず、そのまま大学生となってしまい、高里と親交を重ねる内に益々感化されていった。彼はこの後どうなるのか?あるいはなったのか?

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