毒出しと涙と
毒出しも5日目??夜になると頭痛が強くなって熱が少し上がるのが続いてる。といってもいまは7度台なので、そこまでしんどくはないのだけど、、
それはそうと、上がっていくときの37度と下がってくるときの37度の違いってすごい!上がっていくときのしんどさよ、、下がってるときは熱に慣れたってのものあるだろうけど。
備忘録的に書いておくと、1日目、37度台、2日目38度台、2日目夜38,5度
3日目同じく、4日目38度台、4日目夜37度台、5日目同じく(一瞬36度台になったけど、いまはまた37度台まで戻ってる)。
よくもまあこまめに測ってますね、と自分で思うけれど、我が家しばらく体温計がなかったので、それまではすべてが感覚で、いまはその感覚とのすり合わせが面白くて測ってる、という感じ。新しいおもちゃの感覚ね。
話は戻して、夜は毒出しの時間なのでまあ上がりますよね、とは思いつつ、まだなにか出し切れていないものがあるのだな、とちょっと落胆する。
今回、頭痛が特にあってそのため熱の温度関係なく起き上がるのが大変で、ミシンもできなくて困ってしまった。他には後半になって喉の痛みが強くなってきて、これはにがりでうがいが効果あったみたい(すごい苦いけど)。
ふと、インスタでピアノを聴いていたらなにか刺激されたみたいで、久しぶりに(いつぶりだろう)号泣した。泣いてたときにいろいろわかったんだけど、出してすっきりしちゃったからか、言語化かできるか怪しいぞ。
でも、このことを書き留めておきたくてnoteを久しぶりに開いたのだから、書いてみよう。
感情からの涙というより、なんだかからっとしたもので、重苦しくもない、ただ自分の道ではないものがわかってさみしかった、のだと思う。
テンプレのようなみんなで何かを作り上げる、とか一体感、とか向かないのに憧れていたもの、そーゆーものがいよいよ違うんだとわかったのがさみしくて。(実際に人と何かをやらない、とかではなくて取り組み方、なのかな)
わたしはつくづくひとりが好きだなと思う一方で寂しがりやの自覚もある。
てんびん座だから?わからないけど。
これは確実に最近読み返してる漫画「異国日記」の影響だけれど、孤独を怖いと思うくせに一方でものすごく孤独に救われている。そのことに気がついたら、もう孤独は怖いものではなくなってしまって、槙生さんのように孤独に愛されているかは全くわからないけれど、たぶんまたひとつわたしはそのままのわたしでいることを許したのだろう。そのことで、誰かといられなくなっても良いのだという覚悟とともに。そこに寂しさを感じて泣いたのだろうか。単純に開放の涙だったのだろうか。いまとなってはどちらでも良いのだけれど、また一歩深くわたしはわたしのしょーもなさを認め愛したんだなぁ。
何が、かは明確にはわからないまま、だけど、確実に泣きながらこのための毒出しか〜と納得してるわたしがいた。
ほんとはどうにか外にお知らせせずにしたかった。けど、タイミング的にどうしてもお客様をお待たせしてしまっていて、お知らせしないという選択はもうなかった(2日目くらいまではいけるかな?とちょっと期待してた、そしてその後はメールすら無理になってた)。そして、この予定より遅れるという(本来は良くない状況)こと、そしてそのことをお知らせすること、も今回の課題だったのかな、と思う。お知らせすることでやっと次の扉が現れたような、そんな感じ。今日やっと個別にご連絡ができて、その後インスタでもお知らせして、、のあとに号泣だもの。
魂のワタシ的には計画どおりなのかしら。
今回のライオンズゲートはなかなかハードだな、、
感情の毒出しから始まって(久しぶりのインチャ案件、これはまた別で書きたい)、疲れ溜まってるな〜と思ったら発熱!いや発熱は待ってたから嬉しいんだけど(体内の消毒にね)、しかし、発熱してみて思うのはわたしの体力的に出せて38.5 度くらいまでなんだな、ということ。40度なんて遠い夢、という感じ。そのへんは身体が良い塩梅にしてくれてるのだろうけど。
できれば39度台くらいまでは出せるようになれたらなぁ。実際に出したいというわけではなくて、出せる身体になりたいってこと。高熱出せるって体力あるってことだとも思うから。まあ場合によってはその熱が命を奪うこともあるだろうから、熱のなんでもかんでも良い!って言いたいわけではないけれど。熱については、「ガンの新しい治療法」という本に詳しく載ってるのでオススメです。病気について、の視点が広がってわたしは良かったです。
さて、書きたいことをつらつらと書いてたら、長くなっちゃった。
毒出しを経て新しくなりました!とかでは全くぜーんぜんないけれど。
なんだか静か。
その静けさは大事だなってことはわかるいま。
さて、寝よう。苦くて嫌だけどにがりうがいしてから。