感情を感じきる、とは。
ちょっと気づきがあったので、ふりかえりはお休みして、先にこちらの記事を
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!!となるような嬉しいことがあったのだけど、
浮足立ちそうな自分を、まあまあ、本当に喜んでよいことかい?そんなに浮かれることかい?
と、冷静に落ち着かせようとしている自分もいて。
はた、と気がついた。
これって、嬉しい感情を感じきる前に止めてない?と。
いろんな本や人の言葉で出会う、
感情をかんじきって。
という言葉。私自身、人に言ったことがある気がする。
私の場合、何か嫌なことが起きたときに感情を感じきろうと思ってた。
誰かに対して嫌だなと思ってしまうと、子どもの頃から「人を悪く言ってはいけない」的な教えが無条件に反応してしまって、嫌だと思ったことを止めてしまい、結果その気持ちは未消化で残ってしまう。
嫌な気持ちは消えない、悪く思ってはいけない、からどうにもできない。気持ちが宙ぶらりんなこんなの繰り返してたら、いろんな未消化物で重くて重くて、心地よい自分からはどんどん遠ざかってしまう。
そんなの嫌だ!!
だから嫌だとか怒ってるとか悲しいとか気がすむまで感じきる。
「人を悪く言ってはいけない」のは確かかもしれないけど、「思う」のは自由だから。そこの罪悪感は放り投げて。
自分が感じる自由は間違いなく誰にでもあるのだから。
そして、感じ切った先にその感情が沸いた自分をケアできる。という流れ。
そう、ケア、だから、悪いことにしか適用してなかった。
嬉しいことは、嬉しさを感じ切ったら、手放せば良いだけなのだ。
喜んでいるとき、嬉しいとき、落ち着こうとするクセを持ってる自分に気がついた。
「喜んではダメ」などと言われたことはないのに。
このクセは、わたしがとーっても調子に乗りやすいことを自覚してるから、かもしれない。
今まで散々調子に乗っては恥ずかしい思いをしたり、ハブられたり?したから防衛本能なのか、
嬉しい→喜ぶ→調子に乗って良くないことが起きるだろう→そうなる前に落ち着け!喜びを隠せ!
みたいな思考グセがあるんではなかろーか。
なんともったいない。
調子に乗るのが自分なら乗ってみたら良いのだ。
外ばかり見て、他人からの評価が=自分への評価だったのはもう過去のこと。
今のわたしは調子に乗っても一瞬かもしれないし、調子に乗った先に新しいわたしが出てくるかもしれない。
どんどん出会っていこうじゃないか。
ああ、
今のわたしはお調子もののわたしも愛おしいのだ。
これからは存分に喜んで嬉しさを感じ切って、そのあと手放そう。
喜怒哀楽、どの感情も同じように感じきって手放せば良いのだ。
地球にいるからこそできること。
そうして、どんどん軽やかなわたしになる。