無価値感

今日から数日旅に出るという朝、はぁ???(怒り)という出来事があって衝撃を受けたのですけど、最近読んでる、由左美加子さんの お金の不安と恐れから自由になる! という本を参考に自分の内側に何が起きてるのか感じてみました。

衝撃と共にたくさんのいろんな感情が出てくる。それは自分の感じた、はぁ???を正しいこととするための生存本能からだなぁというエゴの声。もちろんそれもわたしの中から生じた大事な感情なので全部含める。ただジャッジしない。こーゆー気持ちがあってこれだけ嫌な思いをしてるから相手が悪い!とはしない。わたし怒りたいんだ、とは思ったけど。
良い悪いではなく、わたしの中に何があるのかただ見る。自分の怒りを正当化したい自分、怒りそのもの、怒りの先にあるもの、全部含める。
今まであまりやったことがないことで、(自ら不快も感じてオッケーて生存本能的にかなり無理があるから)最初は何から感じて良いのかわからないくらいだったけど(しばらく怒りで頭がいっぱいだったしね)出てきた感情ひとつひとつを順にわたしの中にあって良いんだ、としていくと何か解けていくような感覚があった。それでも感じ切れたかはわからないけど。それくらい普段から不快を感じないように生存本能ががんばってるんだな、、
いまのわたしなりに感じていったら、奥底に悲しさがあって、聴こえてきたのは「嫌われてるという設定、もういらない」という声でした。
あ、あ〜!!となるわたし。

数日前にふと思い出した、幼い頃の記憶。もう本当にあったかどうかも怪しい朧げな記憶だけど、わたしの深いところにこびりついているもの。
それは引っ越したばかりのマンションで初めて同じマンションの子たちと遊んで仲間外れにされたという記憶なんだけど、それはおそらく、ともだち、というものに関する最初の方の記憶で、仲間外れが衝撃でびっくりして何もできなかったし、何が起きてるのか理解も追いついてなくて、たぶんなんとか状況を受け入れるために、わたしが嫌われてる(わたしが悪い子だから)、という今思えばよくわからない設定をセットしてしまった気がしてる。何か理由を設けないと突然の仲間外れという状況をとても良しとできなくて(いま思えば良しとする必要は全くないし、当時怒ったって良いし、むしろ自分のためにその子たちと遊ぶのをやめれば良かったんだけど)、当時のわたしは子どもながらになんとか状況を受け入れるためにそんな理不尽な設定をしたんだなぁと、涙
そんな訳で、ともだち=嫌われる、みたいな設定が入ってたのでは?というのが少し前の気づき。
今日の朝の出来事は最初こそ怒ってたけど、怒りの先にあったのは、ああやっぱりわたしは仲間に入れてもらえない、という嫌われるという設定から来てるもので何度も繰り返してるパターン。実際には何も起きてなくてただ1人悲しんでるてパターンがほぼなのでわたしの頭の中でだけ繰り返されてる、苦笑
ちなみに今回の出来事も勝手にわたしが仲間外れに感じただけであって何も出来事としては起きてないのだけど。
何か募集するときに、自分のところに人が来るイメージが全く持てないのだけど、(なのに企画はする、、自ら傷をえぐりにいってるような気さえするわ)それもこれも根底の設定が「わたしは嫌われてる、そんなわたしの企画に人が来てくれるはずがない」だから…!!く〜!!!涙

魂的にこの設定にもう飽きたのかも。
いまわかるのは、自分で作った設定だしいつでも手放して良いし、幻想だな、ということ。
嫌われることもギフトのひとつだよって友達に聞いて、なるほどー!と思ったけど、嫌われたとしてわたしの価値は全く変わらないのよね。
そうそう!!
嫌われてる子=ダメな子
こう思ってずっと自分を罰してきたんだなぁ
そりゃ、人と関わるの怖いよね。
関わるたび嫌われるかもという恐怖があってその先にダメな子って思ってたら、、!!!
どれだけ自分で自分に矢を刺してきたのかしら、涙
と自分なりに紐解いてったら、朝の出来事に対する感情は全部含めて消化されたみたいでスッキリあっさり。ただ自分に気づくために見せてくれた出来事だったな、という認識に変わってた。
ひとつひとつ自分の中にあるものを含めるたび、じわーんと胸が温かくほっとする感覚があって、そのたびなかったことにしてる気持ちがまだまだあるんだな、と気づいた次第です。
さて、またひとつ軽くなって、旅に行ってきます!

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