対話の会のもやもや

今日は、とある対話の会に参加してきましたが、私の中ではかなりもやもやの残るものでした。

その対話の会の内容が、「色々失敗したけど、壁を乗り越えた方同士の対話」というもので、中高生・大学生と大人たちがそれぞれがモチベーショングラフを書いて、そのときの出来事や、そこで何を気づき、学びを得たか、を3人程度でシェアするというものでした。

この会の趣旨は個人的に賛同しますし、とても良い会なので時間があれば運営側に回りたいくらいなのですが、もやもやすることがあったのも事実です。

特に最大のもやもやは、この会の性質上仕方ないことなのですが、集まる人が、いわゆる「意識高い系」に偏ってしまう点です。

ここに来る人は「壁を乗り越えて」いるわけですから、今までの人生で落ち込んだとしても今は楽しい人がほとんどです。「目下悩んでます」という人はなかなか来ないのではないでしょうか。

そうすると、何が起こるかというと、
・意識高い発言しか許されないような空気に自然となる
・相手をひたすら褒めまくるしかなくなる
・相手の話を傾聴するよりも自分の人生を語ることに重きを置きがちになる
・相手がどのようなことを考えてきて乗り越えたか、よりも、何をしてきたか、の方に重きを置きがちになる(在り方よりも行動?)
・自然とマウンティングが起こりやすくなる(あからさまではなく、うっすらと)
・人によっては、「相手の経験や考えから何かを学ぶ」という姿勢が欠落してしまう

などです。

これは恐らく、私自身が「意識高い系の中の意識低い系」だからこそ思うことかもしれません。

そして、そんな私なので、そこにいらっしゃっている「意識高い」系の「はっちゃけた」おじさま、おばさま的には「暗い人・覇気のない人」と思われそうです。まあそれは別に良いのですが。

むしろ問題なのは、私の低空飛行の経験談がきっと役立てるとしたら、ここに来ているような、国際交流やボランティア、起業に関心があり、自ら主体的に動ける「意識高い系」の子どもたちではなく、今まさに人間関係や受験で悩んでいる、いわゆる「普通の」子どもたち(敢えて「普通の」という言葉を使いました)なのかなという点です。

私がこの会に何を求めていたかをもう一度考えてみると、「ほらほら、私のように(今思えば)下らないことで真剣に悩んでいて本気で死にたくなった人も、今は人並みに楽しくやってますよ!だから安心して!」というメッセージを伝えたかったのかな(別に説教したいとかではなく、私でも大丈夫だったのだから、あなたは何の問題もない、みたいに励ましたかったのかも…)と思います。

ですので、むしろ私が場違いなだけであって、この会自体に別に文句があるわけではないのです。

ただ、もっと私のような普通の人(しつこいけど敢えて普通と言っています)同士がそれぞれの経験や学びや気づきをシェアし合えるような、そんな会の方がかえって実りあるような気もしますが、どうなんでしょう?

今、何か既定路線から外れていることがカッコいいと勘違いされているご時世で、そこに特化する以外の道もある気がしました。

だいたい、既定路線から外れていなかったとしても、みんなそれぞれに個性的なのであって、そこに着目するのは違うような、とぼんやり考えてしまいました。

最後に念のため申し上げておくと、すべての人がそういうタイプだと言うのではないです。
凄く話を傾聴してくださり、私が話しやすいように水を向けてくださるおじさまもいらっしゃいましたので、人によるのかな、とは思いますが、全体としてそのようなことがあるのかな…とは思いました。

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