怒れない理由 1ヶ月毎日疑問を見つけて考える 25日目
今日の疑問は
「怒れない理由」
です。
ここ最近、普通の人なら怒るだろうなってシチュエーションに何度か遭遇しました。
例を3つほどだすと
1つ目:クロネコヤマトの宅配時に「サインかよ」と舌打ちをされる
2つ目:不動産屋に提出する書類での不備を、客である僕のミスとして訂正印を押すよう促してくる
3つ目:不動産屋より13時に電話をかけると伝えられるもかかってこず、14時にこちらから電話をかけると「あれ〜連絡行ってなかったスカ?」と。。そしてかけ直しもせず、その電話で13時に話すはずだった内容を話し始める
といった感じです。
僕自身はここ最近で自分と他人は違う人間であるということを理解したため、そういった対応を咎めるようなことはしませんでした。
おそらく、僕以外のお客様に同じ対応をしたらこっぴどく叱られる可能性があると知っていて言わないのですから、僕は本当に優しくないなと思うんですが。。
こんな気持ちになった時に浮かんだ疑問が「もしかしたら怒れない理由もいろんな角度からみられそうだな」ということでした。
そのため、今回の疑問に取り上げてみたので、自分と他人を分けて考えられなかった自分の考えと今の考えを比較しながらいくつか考えていきます。
それでは、いってみましょ〜
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怒れない理由
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①傷つくのが怖いから
自分の意見を持つことはとても大切です。
同じものを見て、全く同じ感想になるなんてことは絶対にないですからね。
でも、自分の意見を言うことは、もしかしたら相手から否定されるかもしれないというリスクが伴うということでもあります。
今でこそ、そこで生じる話し合いこそ、仲を深めたりお互いを知るために一番大切な部分であることが理解できたんですが、今までの自分はここができていませんでした。
物理的にも精神的にも自分が攻撃された時に、それに耐えうる力が僕には備わってませんでした。
2021年5月26日現在、僕は24年間生きてきましたが、そういった話し合いをできるだけ減らしたり逃げている立ち回りをしてきたなぁと、今年の5ヶ月間で強く感じている次第です。
自分の意見をぶつけて、相手を傷つけてしまわないか、反論で自分が傷つかないか、そればかり気にしてしまって、本気で人と向き合うことから逃げていたのかなと今回の不動産屋さんとのやりとりで思いました。
だから、人に強く怒れない人は、そうしたことで返ってくる反論に対応できる自信がない、すなわち自分が傷つきたくないからなのかなと思います。
②怒る必要がないから
これは今回僕が感じたことです。
今までの僕であればちょっぴり「その対応どうなの?」とあとあと文句をいっていたとは思います。
ただ、今回はものすごく気分を害されたわけではないし、むしろ自分では到達できない思考回路の例を見させてくれたと感じるので、むしろ面白かったんですよね。
いろんな人がいるな〜と。
そして、そんな方々のおかげで、今まで体験できなかったことを猛烈に体験できているんだなと気づけること。
そんな毎日がたまらなく楽しいんです。
そして6月に控えた初めての一人暮らしも、僕一人だけでは新しい家を借りることもできないし、友達がいないと一人暮らしのアドバイスも直接もらうことはできないし。
ネットで買い物をできるのは便利だけど、それらが手元に届くまでの過程に、多くの人が関わっているっていうことも忘れちゃいけません。
すっごく当たり前のことなんですが、今までそこにどれだけ意識できてたかな。。
自分がやりたくないことをお金を払ってやってもらっているだけなんですよね。
だからこそ、そこで生じる不備や不満は、致命的なものでなければ別に咎めていく必要はないのかなと思うんですよね。
そして、そんな経験をしたことで、いろんな人の直前のストーリーを想像する楽しさも感じられました。
「重たい荷物を運ぶ時点で大変なのに雨も降ってるから、そりゃイライラするよな〜」
とか
「慌てた対応から、午前中宅配のところまだ周りきれてないのかな〜」
とか
「少しピリピリしてるのはプライベートで何かあったからなのかな〜」
とか
ちょっぴり生意気ですが、想像の幅を広げるという点では面白いと思います。
5月、この短期間で今までのつながりがものすごく大切なものであることに改めて気づけた、そんな1ヶ月でした。
少しずつ自立心そして責任感と自分の軸というものを固めていきたいと思います。
6月が楽しみです。
③怒ることで失う時間を考慮している
誰かに何かを言うということは、そこから生まれる会話分、時間が必要になります。
それも全て考え方といってしまえば終わりですが。。
その時間をただの無駄な時間として捉えるのか、何かしらの気づきや学びとして捉えるのか、ときめくフレーズに出会えたみたいな新しい発見を得られるのかみたいに。
それでも、やっぱり家に帰ってやりたいことがあったり、次の約束事に間に合いそうになかったりすると、そこで生じる話し合い分の会話は省きたくなりますよね。
本当に世の中を良くしたいと思い行動するのであれば、おそらくお客という視点での「不愉快に感じた部分」という点でクレームを伝えるのが筋だと思います。
本来クレームってその会社が見えていない改善点を浮き彫りにすることですから、とってもありがたいものだと思います。
ですが多くの人は優しくないので、本当に相手のためになることであるとしても、それをしません。
それは、①で述べたように自分が傷つきたくないから出てくる自己防衛からかもしれませんし、単純に③で述べた自分中心的に予定を組み立てているからかもしれません。
まあ自分の人生ですから自由ですけどね(笑)
とにかく、本来伝えにくいことって本人になかなか伝わらないんですよね。
でもみんなが気になっている点、改善すべき点でもあるから、すぐに伝えるべきなんですが。
ここのジレンマがもどかしいですが、こちらが諭そうとするのもおこがましい事でもあるので、何もしないというのも正解の一つであると僕は思います。
まとめ
①傷つくのが怖いから
②怒る必要がないから
③怒ることで失う時間を考慮している
「伝える」ってとっても難しいことですが、やっぱり生きていく上で絶対に何かと向き合わなきゃいけない時はきます。
逆に伝える必要がない時もあります。自分の中で消化できる確信があるのなら。
もし今後いろんな人と関わる上で、あらゆる決断をする上で、自己防衛のために「伝えない」というのは絶対にやめようと思えた時間でした。
本当に今までいろんな人を傷つけてきたかもしれないなと反省しています。
そんな学びの5月。
まだまだ人間性を高められるように毎日丁寧に生きます。
それでは、また明日!