【ぼくがどんなちょっとした行動で、マサラタウンから抜け出せたのか? 「挑戦・失敗を怖がってしまって、停滞してしまっているな」と感じているあなたへ贈る、4041文字。】
今記事をご覧いただいているみなさん、ありがとうございます😌
改めて、「とも」と申します!(Twitter→@yokko_coach )
今回は僕の自己紹介として
・どんな人生を歩んできたの?
・これまでの人生で悩んだことから生まれた、これからやっていきたいこと
・やりたいことの裏にある僕の「想い」
を書きます。
「こんな方には、ぜひ読んでいただきたいな」と思うのは、
・挑戦・失敗を怖がって、中々一歩を踏み出せずモヤモヤしている
・社会の「こうあるべき論」に縛られ、苦しめられている
(「良い大学を目指すべき」、「大手企業に入るべき」etc・・・)
・今の自分に対して、全く自信を持てない
・日々、何か頑張れていない感覚があるけど、中々努力できない
といったようなイメージに、少しでも心当たりのある方です。
今少しでも社会に息苦しさを感じてたり、モヤモヤを抱えている方、
「大丈夫、あなたにもきっと楽しい未来を築く力があるよ」と後押しできるような内容になっています😌
(というこの言葉を「偽善だ」と少しでも思ったら、読んでほしいです。
僕もつい最近まで、そう思っていた人間なので・・・(笑))
ぜひ2,3分ほど、お付き合いください・・・!
「僕が自分の可能性を信じられなくなった」=「マサラタウンに閉じこもるようになってしまった」背景とは・・・?
僕の経歴は以下の通りです。
中高一貫の中堅進学校
→東京大学文科3類
→東京大学文学部 行動文化学科社会学専修
→大手素材メーカー(営業)
→ITメガベンチャー(営業)
一見輝かしい経歴に見えると思います。
「すごいじゃん、誇らしいじゃん」と、普通なら言われるかもしれません。
でも、ぼくはこの道を歩む中で、ずっと苦しんできました。
自分が歩んできた道のりを、誇れていはいないんです。
そんな僕の誇れない人生は、親に小学校から受験勉強を強いられ、試験の成績で席順が決まったり、クラスが降格したりするような完全な競争社会に入ったことから全てが始まりました。
そんな環境の中で、ぼくは勉強は「嫌々するもの」「やらなきゃ生きていけないからやるもの」「やらなきゃ評価されない、存在価値がないとされるからやるもの」と捉えて、大学まで過ごしてきました。
その結果、東大に合格はできました。
でも大学生になると「なにをすればいいのか」全く分からなくなってしまい、主体性も好奇心も何もかも消えてしまったんです。
東大合格が目的になってしまっていたわけで、それが達成されてしまったら、途端に今まで敷かれていたレールが消えて、「自由に社会に出ていきなさい」と言われる。
でも勉強しかしてこなかった僕は、社会人になっていくことを見据えて何かをすることはめちゃくちゃ怖いことでした。
勉強以外できることなんてない。でも社会でそれがどう役に立つのかわからない。なら、なにが自分に向いているのか考えるために、社会経験を積むしかない。そう思いながらも、そこで失敗するのが怖くて、一歩も踏み出せずに大学生活を終えていきます。
そんな状態で行った就活は、もちろん最悪でした。
「東大生」というステータスを活かして、「安定した大企業に入って、挑戦しなくていい・波風立たない人生を歩んでいければいいかな」と完全に自分の可能性に蓋をした状態で、就活していました。
自分の可能性を、1ミリも信じることができていなかったんです。
そして入社しても結局「自分が何をしたら良いのか」分からず、モヤモヤしながら過ごす事になっていきました。
「自分の存在価値はないかも」と思い悩みながら過ごす、そんな不幸せな状態でした。
こんな状態を生む一因になっていたのが、今の「良い大学に行かせようとする」ことばかりを主眼に置いた、親や学校の教育だと思っています。
良い大学に入ったから幸せになれるのかというと、人生そんな簡単なわけがなくて。。。
本当に大事なのは「その先で自分が何を考え、何をするか」です。
でも、「良い大学に受かった後のこと」を考えて受験に挑めている学生さんなんて、ごく少数だと思います。
考えることができていたとしても、視野がめちゃくちゃ狭い中でしか考えられていない。
親御さんや学校は、中々その視野を提供できないからです。
ゴールは少しでも良い学校。そこに入れば、きっと良い会社に入ることができて、良い人生を歩める。
そんな思考停止の価値観がマジョリティーになってしまっている現状があるわけです。。。
おとなは子どもに対して、どのように接していくとよいのだろう?
ぼくは、親御さんや教師の方々に対して、「子供の可能性・主体性・好奇心を潰さないような関わり方をしていきませんか?」というご提案をしていきたいです。
「『私のほうが人生経験は長いんだから、言うこと聞きなさい』という態度は、避けてみませんか?」というお誘いでもあります。
僕はこども一人ひとりを一個人として尊重しないような、画一的に扱うような大人の姿勢が、子供の可能性を潰してしまう一因だと思っています。
もちろん「個人個人の勝手な思い込みが悪い」という側面もあるかもしれませんが、環境が思い込みを助長している事実もあると思っています。
良く「親や教師はガチャだよね」という話を聴きますが、おかしな話だと思います。
子供との向き合い方一つで、その子の未来は本当に大きく変わるんです。
それを「運が悪かったね」で片付けて良いのでしょうか・・・?
僕のように、他人の考えに支配されて、自分の人生のハンドルを握れなくなってしまう子どもたちは、少なくないと思っています。
一人ひとりの個性を尊重しない、画一的な思考・画一的な価値観の中に子どもを閉じ込めようとしてしまう大人のエゴは、問題だと思っています。
これから僕がやっていきたいこと=「自分の可能性を捉え直す機会の提供」
ここから、「今ぼくが、これからどんな事をしていきたいと思っているのか」お話していきます。
結論、僕の願いは「頑張りたい気持ちはある、でも自分の可能性を信じきれずに動けていない人に寄り添い、一歩踏み出すサポートをしたい」というものです。
僕もつい最近までそうでしたが、自分の可能性を信じられていない人は少なくないと思っています。
「本当は大きな可能性をそれぞれが持っているのに」です。
別にその可能性を追いかけるかどうかは、個人それぞれが決めることです。
その選択を強制するなんて、おこがましい想いはもってません。
でも、「本当は自分の可能性を追いかけたい、夢を追いかけたいのに、
『それはできない』と思いこまされてしまっている人」がもいらっしゃるのではないでしょうか?
僕はまさに、そのうちの一人でした。
何かやっていきたい想いはあるのに、「いやでも自分なんかにはきっとできないよな・・・」と想いに蓋をしてしまっていました。
この状態の何が良くないかかというと、日々生きることが楽しくなくなってしまうんです。
僕はつい2021年1月まで、なにか焦燥感や消化不良感にずっと悩んできました。
そりゃそうです。他人の言葉・社会の固定観念に囚われて、自分の意思で物事を決められていない状態で人生を歩んでも、そこに納得感が出ることはないんです。
つまり、「他人がこういうから」「社会ではこれが良いとされてるから」で決めることは、僕は不幸せの始まりだと思っています。
でも、自分の可能性を信じ始めることができた今、僕は本当「毎秒を生きるのが楽しい」です。原動力が心からどんどん湧いてきています。
人にはきっと何かしら「願い」があって、その実現をサポートできる世の中が素敵だと思いませんか?
それを今の教育・社会は、果たしてサポートできているでしょうか?
阻害してしまっていることのほうが、圧倒的に多いのではないでしょうか?
①自分に可能性があることを認識した上で、その可能性を追いかけるかどうか意思決定をする
②本当は自分に可能性はあるのに、「可能性が無いと社会に思い込まされている状態で」、自分の人生の判断をしていく
①と②は全く異なることが、分かっていただけると思います。
僕は①ができる状態をサポートしたいし、それができる社会になっていってほしいと願っています。
そのアプローチは色々あると思っていて、今考えているのは大きく2つ。
①自分の感じてきた悩みを活かし、当時の自分に伝えたい想いを発信する。
自分自身、自分の可能性を信じられていなかった状態から「変化していっている」ところをTwitter・noteで発信する。
そこで皆さんが感じられているモヤモヤを明確化したり、停滞している状態から一歩踏み出す勇気を生むきっかけになれたら嬉しいなと感じています。
②心地の良い、安心して自己開示しながら、自分と向き合って考えられる場を提供する。
基本僕は、あなたのお話をゆったり聴かせていただきます。
僕が何か自分の経験から、「こうしたほうが良いんじゃない?」とアドバイスして、答えを提示する場ではありません。
なので、「わたしはすぐに、なるべく早く、答え・成果がほしいんだ」という思いが強過ぎる方は、お断りさせていただきたいです。
結局、自分で考えて導き出した答えに従って、行動していくこと。
「こうあるべき論」に縛られているように感じたら、そこから抜け出せるよう
どんどん考えをほぐしたり、整理したり、深めたり、広げたりをしていく場所を作ります。
大きくはこの2つをやっていこうと考えています。
もちろん、「何をすべきか」は刻々と変わっていくものなので、考え続けます。「他にもっと良い方法があるかも?」という思考は、忘れないで進みます。
最後に:「ぼくがマサラタウンから抜け出すためにやってみた、ちょっとしたこととは?」
僕は今、ようやく
ポケモンで言うと「マサラタウンから抜け出せた」状態
に来ることができたんだなと感じています。
ずっと自分のことを信じられずに、「マサラタウンの外には世界はない、踏み出してはいけないところなんだ」と、可能性に蓋をし続けてきました。
でもそんなことはなかったんです。
別に失敗したっていい、それでも自分の想いに正直に、少しでも良いから一歩踏み出してみる。
想いなんてなくても、少し好奇心が惹かれるところに挑戦してみる。
僕はその小さな挑戦の積み重ねと、周囲の方の後押しの力で、マサラタウンから抜け出すことができました。
・Twitterで自己発信
・仕事でモヤモヤしてたことを、チームメンバーに伝えてみる
・何か自己投資してみる
(コーチングを受けたり、学ぶことは本当オススメです。)
・会社とは別のコミュニティーに入ってみる
これらは僕がやってみてよかったことですが、何でもいいと思います。
少しでも興味がある、でもなんとなく一歩踏み出せていないことでいいんです。
ぜひ「少しでいいので」、勇気を出して踏み込んでみてください!
一人で決断するのが難しい方には、僕が伴走としてお手伝いさせていただけたらなと思っています😌
これからもTwitter,noteでの意見発信がんばりますので、フォローと応援いただけたら嬉しいです・・・!