歌人 平忠度(たいらのただのり)と右腕(その3 全3回)
忠度はね、薄らいでいく意識の中ではて西はこちらかやと体の向きを変えるとね、こうして静かに念仏を唱え始めたんだ。忠度の白い顔は青ざめていったんだよ。
忠澄はね、勢いあってこそ撃てる首も念仏を唱えられるとね。やりずらかったよ。
「名のある大将軍に違いあるまい。」
忠澄はね、首を撃つとその体を調べてみたんだよ。するとね、箙に結びつけられた短冊があったんだ。箙とはね、矢を入れて背中に背負っておく細長い入れ物のことを言うんだよ。
「行き暮れて 木の下陰を 宿とせば 花やこよひの 主ならまし」 忠度
『温かくなったから 木の下に眠っている僕の所に今夜もきれいな花が遊びに来てくれたんだね』
忠澄は何度も何度も読み直していたよ。
「敵とはいえこのような歌人をも手にかけてしまった。懇ろに葬ってやらねば」
忠澄はペタリと地面に座り込んだまま短冊を眺めていたんだ。
今、野田町8丁目に『平忠度の胴塚』っていうのがあるんだ。そして、駒ヶ林町4丁目には切り落とされた忠度の右腕をうめたという『腕塚』があるんだって。
忠度はね、この戦いに来る時、途中で引き返して都のトシナリの所に作った歌100首を書いたひと巻きを預けて来たというんだよ。千載和歌集に載っている忠度の歌だよ。
「さざ波や しがの都は荒れにしを
昔ながらの 山桜かな」
『都は戦いで荒れているけれど、
こんなことは知ってか知らずか、
琵琶湖のさざ波は静かであろうなあ。
山桜は昔のようにきれいに咲いていることであろうなあ。
ああ、もう一度見てみたいものよ』
歌人・平忠度の歌だよ。
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#日本史 #平安時代 #平忠度