西行(さいぎょう)の戻り橋 その1(全3回)


今日はね、平安時代終り頃の西行(さいぎょう)というお坊さんのお話だよ。西行は和歌山県、紀伊の国の人で超有名な歌人さ。1118年生まれで1190年に亡くなった人なんだよ。本名は佐藤義清(のりきよ)といってね、鳥羽上皇(とばじょうこう)に仕えていた武士だったんだ。この頃はちょうど平清盛(たいらのきよもり)の一族が優雅な暮らしをしていた頃だね。そして、1180年に源頼朝(みなもとのよりとも)たち源氏の人たちが西の方へと平家軍をやっつけにいく時代が始まるんだったね。そんな頃に紀伊の国、和歌山県那賀郡(ながぐん)で生まれた西行の家はね、広~い荘園(しょうえん)と言われる田んぼや畑を持っていて、鳥羽上皇に仕えている武士だったんだよ。西行が18歳の時には、官職(かんしょく)についていたというからね。官職とは国の仕事をするお役人のこと。そうさ、お金持ちだったのさ。しかも、西行はイケメンでかっこよくて武術にも優れていたし、和歌を作ることもとても上手だったんだ。和歌というには五七五七七とたった31文字だけで作る分のことだよね。そうさ、健康でお仕事もちゃんとしていたし、お嫁さんや4歳のお嬢さんもいたとっても裕福で恵まれた生活をしていた人だったんだよ。

なのに、どうしてだかなんでだか、何があったのか、何がそうさせたのかは分からないんだけれどね。西行が23歳の時に世捨て人になってしまったんだ。出家(しゅっけ)したんだよ。今は違うけれど、この時代ではね、世捨て人になるとは出家することを言うんだ。出家とはね、家を出て旅をしながら仏教のことを勉強したり考えたりするお坊さんのことをいうんだよ。家を出ちゃうんだから、お仕事も辞めちゃうし、お嫁さんも子供ともお別れをしていかなきゃなんない。お腹が空いたときにはね、やさしい人から食べるものやお水を分けてもらわなきゃならない。寝る所だって決まってないから、どこかの屋根の下で寝たり、木に寄りかかって眠ることだってあるのさ。雨や雪の日は辛いよね。西行はね、和歌を作ることも大好きだったから、その勉強もしたかったんだ。家を出て行く時のことだよ。4歳になる娘が、
「お父上、どこにも行ってくださるな」
と西行の足に取り縋(とりすが)ったんだって。だけど、それを振り切って旅に出て行ってしまったんだ。

今日はここまで、
読んでくれて、ありがとう。
また明日。ポン!

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