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吉祥寺サバイバル Ⅳ 死滅期(death phase)Ⅳ-6 南極基地20XY年11月
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日本の原子力潜水艦「原竜」は南極に到達した。南半球は夏だったため、氷は少なく、昭和基地の近くまで進めることができた。基地から雪上車で迎えに来てもらい、メンバーに加えてもらった。食料が重要なため、原潜に積んでいた総てを基地まで共に移動させた。日本には昭和基地の他に「みずほ」という基地も存在する。ここは移動拠点のため、そのままにしておくことにした。他国でも同じように潜水艦の乗員を基地に収容した模様である。
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各国の基地間ではL村病の状況などを連絡しあっていた。しばらく経過した時、ある基地内で事件が発生した。女性隊員がレイプされたというのである。緊張が継続する中、我慢できない男性隊員がいても不思議ではない。そこで、日本では次のようなことを始めた。男性隊員は女性隊員と一晩過ごすことができる。もし、女性隊員が認めたのであれば、セックスすることもできる。だたし、妊娠することは許されないので、膣外射精をしてもらう。また、個人的に使用できるセックス器具をオープンにしておき、開いている時は自由に使えるようにしておく。少数だが、女性用もあるという。管理者は口の堅い人である。
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建築的な作業も進める必要があった。ここに棲息するコウテイペンギン、アデリーペンギン、ジェンツーペンギン、アデリーペンギン、ヒゲペンギンなどやそれらの卵を入手するのである。前の2種類はここで繁殖をしている。卵は全く問題ない。ペンギンの肉の味は定かではないが、食べられないことはないだろう。また、アザラシの肉も候補に挙がる。南極に取り残された太郎と次郎の犬2匹はこれらに頼っていた可能性が高いとされている(1961年)。
基地に移動したのは20XY年2月である。3月から5月にかけてL村病は全世界に蔓延した模様である。残念なことに無線に出るところもなくなってしまった。6月も同様な状況だったが、7月になると少し落ち着いたようである。生き残った人が集まってコミュニティーを立ち上げたとのことで、各地からの無線が届くようになった。8月になって有望な情報を得ることができた。病原菌は宿主がいなくなったことに加え、ファージに駆逐されたというのである。
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そうであれば、食料も少なくなってきたので、南極を出ることを検討することになる。まだ、氷が厚い状況だった。各国の砕氷船は自国に戻っていたが、アルゼンチン海軍のアルミランテ・イリサール号に来てもらうことにした。もちろん自国の基地が優先だったが、その後、北側にある基地への道筋をつけることにした。
8月いっぱいかかったが、原竜はまずアルゼンチンで水と食料を調達後、日本に向かうことにした。乗組員の家族はほとんど亡くなっている模様だが、船に関する訓練は積んでいる。日本の復興に役立つに違いない。
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