吉祥寺サバイバル Ⅳ 死滅期(death phase)Ⅳ-5 銚子移住20XY年11月
翌朝、3人は気持ちよく起床した。朝食を手早く済ました。銚子に行くにあたって準備する必要がある。先ず、ヘリコプターの燃料を満タンにしなければならない。食品が乏しくなっているというので、積めるだけ持っていこう。水は向こうで調達できるから少量でよいだろう。使用してきたパソコンも忘れてはいけない。
道筋は難しくはない。東方向に飛べばよいからである。昼前には準備が完了した。3人とシロを載せて出発である。やがて、銚子の上空に差し掛かった。風力発電は山の上にあるだけでなく、洋上や利根川の向こうの波崎にも認められた。架け替えた銚子大橋や利根川の河口までよく見ることができた。河口は船の航行が難しいところで「銚子川口てんでんしのぎ」と古くから言われてきた。仲間を助けるなどおこがましく、要するに自分の命は自分で守れということなのだ。
打合せ通り、駅前に着陸することにした。日高にとっては懐かしい場所である。この年は帰れなかったが、毎年、特急「しおさい」で東京から帰郷していたのである。通常なら、通学などの人々でにぎわっているのだが、当然のことながら、人は全く見当たらない。やがて、迎えの車が到着した。駅前の料理店に昼食を用意してあるというので、ご厚意に甘えることにした。
漁船を初めて出すことができたということで、ヒラメやビンチョウマグロを獲ることができたという。これらの焼き物や刺身で食卓に並んだ。ずいぶん食べていなかったので、新鮮な魚に舌鼓を打ったものだ。つまとして添えられている大根の線切りまで残さず食べてしまった。シロにとっては初めての魚料理だった。それでも、皆が食べているのを観て、安心して食べているようだった。
日高の実家は本城だった。車を一台用意してもらいヘリコプターに積んできた食料と水を車に積み替えた。実家に着いたが、周辺には誰も見かけない状態だった。鍵の予備を持参していたので、中に入り雨戸をあけた。家の状態を調べると、水道も問題なく使え、プロパンガスも2本存在した。最初に行ったのは大掃除である。室内は冷え切っていたが、灯油ストーブに火をつけた。暖かくなった部屋でお茶にした。
夕食はもらってきた焼き物や刺身を食べ、実家に残っていたビールを明子と楽しんだ。その後、風呂を沸かしてゆったり過ごした。疲れていたので、早めに就寝した。
明日からやるべきことを挙げて一つずつ取り組むことにした。個人の診療所を探して明子が医者としての仕事をできるようにすることも加えておこう。大きな病院もあるが、ひとりで対応するため、使いづらい。真一は勉強を続ける必要がある。釣り具が納屋にあるので、息抜きに利根川で釣りをすることも悪くない。家の近くの利根川でハゼが釣れるだろう。
日高は急務という業務は存在しない。それでも、来年は水田を再開したい。田植え機や刈り取りの為のバインダーも状態を確認する必要がある。種もみを確認し、苗代を作ることになる。その前に田んぼの耕起(田起こし)に続き、畦塗り、基肥、入水、代掻きという流れになる。ただし、いくつかの作業は実際に行っていたわけではないので。調べておく必要がある。秋にはおいしい米をみんなに分けることができるだろう。
明子の為の病院は見つかったが、薬は不十分だった。そこで、大病院に行って調達してきた。コミュニティーのメンバーは10数名存在する。ネットで連絡を取り合っていた。こういう家族が加わったことをPRすることも忘れてはいけない。
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