気が狂うほどの挑戦者
高校生の頃の自分であれば、「人生とは何か?」と聞かれたら僕は迷いなく挑戦と答えた。いつの間にか自分を見失っていた。今の自分は「人生とは何か?」と聞かれたら何と答えるだろうか。成功?失敗しないこと?くだらない幻想にとらわれていた。
今日、偉大な先輩と初めて会って話してきた。彼女が進めているプロジェクト、完成した作品はすべてが目新しかった。すべてが新しいことへの挑戦だった。その先輩の話は聞いているだけでワクワクしてきた。挑戦を失った自分からすれば挑戦をする人は魅力的に見えたのかもしれない。
大学に入り新しい環境、新しい人間関係ができ、気づかぬうちに保守的になってしまった。それは自分の根幹を覆すほどには強烈だったらしい。
僕が考えるに自分を保守的にしてしまう原因として周りの目というものがある。自分は気にしいなので周りの目をよく気にしてしまう。特に新しい環境で一人も知り合いがいないとなればなおさら気にしてしまう。そんな環境の中で自分のマインドは「挑戦したい」から「成功したい」に変化していた。そしてそのマインドが強くなればなるほど自分の動きは遅くなり、行動も少なくなっていった。「成功したい」は一見するとネガティブ要素がないのでとてもたちが悪い。アクセルを踏んでいるつもりがブレーキだった感覚だ。
思い返せば、ここ数か月ずっと退屈でそれは挑戦していなかったからかもしれない。比較的好きなことをやれていたのだがそれは自分が成功できる範囲でのチャレンジ(チャレンジとは呼べないかもしれない)で刺激があまりなかった。何か面白いことないかなと思いつつも自分ができることの中から物事を探していた。自分が探しているものがはっきりとせず「面白いこと」だとぼんやりと思っていたが本当に探していたのは成功でも楽しいことでもなく挑戦だった。極論、楽しくなくていいし、幸せでなくていい。僕はただ挑戦がしたいのだと思った。
人生とは挑戦だ。それはこの先どんな状況に陥ろうとも持ち続けたい信念だ。ありふれた言葉だが、自分にとってはコンパスとなる二字熟語である。
どんなに辛かろうと、苦しかろうと僕は気の狂った挑戦者でありたい。苦痛に耐えきれず死んだらそれでいい。挑戦しない人生は死んだも同然なのだから。