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死ぬと決めてから月が綺麗でしかたない

私はこの世を去ることを決めた。
その瞬間、私の人生はなにかを取り戻すかのように急に輝きだした。

ありがちな話だ。
才能がある者は27歳で死ぬらしい。
裏を返せば、それまでに何も残すことができなければ死んだも同然だということだ。

私はというと、これまで死など全く意識せず悠長に構えてきた。
怠惰にまかせ筆をすべらせながら、私の才能がいつかどこかで認められると本気で思っていた。

私は小さい頃から、日常の中に散りばめられた美しさに人一倍目を向けてきた、つもりだった。
特に季節の変わり目には感情を動かした。
そしてそれらをことばにすることが、なによりも好きだった。

新緑が輝きを増す頃には夏のにおいがし始める。
秋が終わると風の冷たさが胸を締め付ける。
どの季節も私の心に深い爪痕を残した。
その傷ともいえる痕跡を、年中撫でていた。

なにも特別なことではない。
きっとこんな感覚は皆味わっている。
それでも、私は「この感覚をことばにできるのは私だけだ」という強い自信を持っていた。
「エモい」の一言では片付けない人間であることを誇りに思っていた。

だからこそ、世界の広さを知って絶望した。
私の五感を揺さぶるような文章に出会った。
自然と涙を流すこともあった。

世界は美しいことばで溢れていた。

それから、パソコンの液晶に向き合う時間は減った。
ペンを握るのが怖くなった。

ようやく、自分が井の中から空を見上げていただけだと知った。

そしていま現実を認識した私は、己の平凡さが信じられずに安直な逃避を選ぼうとしている。

本当に死ぬ勇気などきっとない。
己を殺めるのには思ったよりもエネルギーを使う。
血を見ただけでふらつくような小心者が、死に至るほどの何かをできるわけがない。

それにどんな死に方を選んだにせよ、人様に迷惑をかけないようにするのは難しい。
遺族に多額の賠償請求がくるなんてことを考えたら、軽々しく死ぬなんてできないとも思う。

そしてなにより、私のことを覚えている人がいる限り、そんなことを口にはできない。

それでも死んでやると決めた瞬間、私の肩の荷が消えてなくなったのは事実だった。
それどころか私の視界は明瞭になり、思考も研ぎ澄まされるようになった。
「どうせ死ぬなら」が良い方向に働いたのだろう。
皮肉にも死への恐怖が私の日常を輝かせたのだ。

いま、私には怖いものはない。
といったら嘘になってしまうかもしれないが、少なくとも私のことばを発すことへの恐怖はなくなった。

もうあと数年しかないのなら、美しいことばだけに溺れていたい。
酒に溺れるのと何が違うんだろうか。
毎日毎日きれいなことばを浴びるほど飲みたい。

もうあと数年しかないのなら、ことばを生み出すのを諦めたくはない。
陳腐なことばしか出てこなくてもいい。
私の中にある思いを全てことばとして出し切りたい。

目に触れることば全てが愛おしくなった。
苦手な彼の口から吐き出される愚痴だって輝いて見える。
なんて幸せなんだろう。

薄暗い部屋の角から夜空を見上げる。
月が綺麗でしかたない。
美しさが胸を満たし、やがて頬をつたう。

胸が締め付けられる感覚がとんでもなく心地よい。

私がこの世にいるのはあと数年。
それでいい。

ことばをたくさん吸って、たくさん吐きたい。
これは呼吸だ。

ただの呼吸に価値などない。
それでも生きている実感は得られるだろう。

だから今日も、私はこんな文章を生み出し続ける。
皆にとって愚にもつかないものでも、私にとっては短い生命の中の大切な一欠片だ。

月を見上げて泣くような日々は続かない。
続かないからこそ明日の月はさらに輝く。

今夜は新月。
見えないものにすら思いを馳せ、その美しさを書く。

君はばかばかしい、なんて言うだろうか。

でもこれが傲慢で、安直で、ぬるくて、怠惰な私の答えだ。

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