【小説】裸になる。シャッターを切る。私は生きる。
相反するものの境界は時に曖昧だ。
オマージュと剽窃だったり、崇拝と嫉みだったり。
私はその見えない境界の間を行ったり来たりしている。
ヌード写真家と露出狂。
いま、社会的に見れば私は後者だろう。
深夜の公園に出かけては人の気配がない場所を選び、裸体を晒す。
他人に見られたいという願望は無い。むしろそれは避けたい。
見られたく無いと思いつつ、脱ぐのだ。
かまって欲しいと言いながら世に背を向ける少女のような矛盾だ。
私の向いている方向は真逆だけれど。
脱いだワンピースや下着はきれいに畳み、揃えた靴の上にそっと重ねる。
そして古びたカメラを地面に置く。
ぺたぺたとカメラから遠ざかる。
足裏で感じる土の感触は、しっとりでひんやり。
10歩ほどで歩みを止め、ふっと振り返る。
小さなレンズが自らの裸体に向いている。
このあたりだろう。「よし」と呟き、小走りでカメラの元に戻る。
一寸前の私の姿を客観的に想像し、ピントを合わせる。
その位置に私が身を置けば、焦点が合うはず。
なんだか待ち合わせみたいだ。
レバーを倒し、セルフタイマーをオンにする。
じりじりと音を立てて始まる10秒間。
私とカメラが決めた場所へ急ぐ。
高鳴る鼓動と足音だけが、身体中で響く。
雑音が、一切聞こえなくなる。
地面に腰を下ろすと、膝を抱えてその時をじっと待った。
心臓が大きくなってどうしようもない。たった数秒が、何時間にも思える。
私が唯一「生きている」瞬間。
ガシャ、ジーーー。
シャッター音が木々の間に響き、フラッシュの白い閃光に目が眩む。
フィルムを巻く音で私はまた、現実に引き戻される。
まだ生き続けたい。
素っ裸のままカメラに駆け寄り、再びセルフタイマーをセットする。
また10秒間。胸が高鳴る。
ガシャ、ジーーー。
私の一糸まとわぬ姿が、フィルムに焼きつけられていく。
撮影残数のカウンターが減る。
私の寿命が減る。
それでも撮り続ける。
この瞬間だけは純粋でいられる。
ガシャ、ジーーー。
飽きずに何度も何度もセットして、撮る。
その徒労は、さながらマッチ売りの少女のようだった。
撮影残数がゼロになるとフィルムは自動で巻き戻される。
現代の電子機器には無い、どこかあたたかいノイズ。
その音はゆっくり私を現実世界へと引き戻してゆく。
音が鳴り止んだら、服を着よう。
草木が風に揺れる音、遠くを車が通り過ぎる音。
日常の音がふっと戻ってくる。
花火をしたあと少ししけた顔で片付けをする、ぬるい夜のようだ。
角まで丁寧に畳まれた下着をゆっくりとほどいて身につけ、純白のワンピースを纏う。
窮屈だ。戻ってきた息苦しさに、世界が霞んで見えた。
薄暗いワンルームの灯りは国道の街灯だ。
モノと思い出が散乱した部屋はうっすらオレンジ色に染まっている。
手元の小さな画面には私の世界がうつっている。
ここでは私は「写真家」になる。
賞賛や応援、非難に嫉妬。たくさんのメッセージがこの小さな箱に集まる。
私のなすことには全て意味があり、失敗作にすら評価がつく。
初めは出来心で投稿した私の裸体の写真だったが、いつしか「ヌード作品」として値がつくまでになった。
こんなものが金に変わるのか。
私が「生きた」その残骸に、そんなに価値があるのか。
私はただ、服を脱ぎ捨てて息をしたいだけだ。
そこに他意はない。
ましてや認められたいなんて感情はまったく。
世の中は不思議だ。
そして生きづらい。
私の身体だけが社会に受け入れられていく。
心はこの狭い部屋に置き去りにされている。
心を成仏させるために、私は外へと出かける。
人里離れた冬の湖を目指し、車を走らせた。
草木が茂る隘路を抜けると、突然世界の青さと白さだけを取り出したような景色が視界いっぱいに広がった。
雪国の容赦ない寒さは、湖水を鋭く澄ませたようだった。
ひとたび触れれば私の指先から全身が蝕まれてしまいそうなほど、水は青く美しかった。
後部座席で、私の身をうざったいほどに包み込んでいる衣服を脱ぐ。
細く開いた窓から入り込む二月の寒さが私を襲う。
でもこんなものに縛られているよりも数段楽だ。
次々に脱いだ服たちを丁寧に畳み、シートに並べた。
すぅー。はぁー。
冷気を大きく吸い込み、吐き出す。
私はもうすぐ、生き返る。
ドアを開き、足元に広がる銀世界にゆっくりと脚を下ろす。
私は白鷺だ。
ほっそりと伸びる脚は、雪の白さに負けぬほど強く、純潔な白を保っている。
ぎゅっ、ぎゅっ。
後ろ手にドアを閉める。
左手にカメラを携え、雪を踏みしめながら水際へと歩を進める。
迷いはない。
指の隙間に冷たさが入り込むが、気にならない。
足取りは軽かった。
今度は雪上を駆け回る白うさぎになった。
数歩跳ねたうさぎは気づけば波一つ立たない湖のほとりに立っていた。
この先には冷たく美しい世界が広がっている。
足が止まった。
足先を静かに水面に重ねる。
時に刃となりうる正義のような冷たさは、もはや痛みとなって私を突き刺す。
私もこの純粋さに染まりたい。
この中で生きたい。
思い切って腰を下ろす。
私の半分が、水に浸かる。
全身に立った鳥肌は私に血が通っている証だ。
よし、今だ。
震える手でセルフタイマーをセットし、水際ギリギリにそっとカメラを置いた。
始まるカウント。
高鳴る鼓動。
私はこの瞬間のために生まれてきた。
もうなにも聞こえない。
青と白に支配され、染まっていく。
さぞかしいい写真が撮れることだろう。
でもそんなことには全く興味がない。
私という存在が写真家であるか、露出狂であるかなど、どうでも良いように。
境界が消え去っていく。
身体の輪郭がなくなり、私も純粋な湖の一部になる。
ガシャ、ジーーー。
遠くへ響くシャッター音だけが淡々と、私の生存を証明していた。
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