名もなき文章、残す爪痕
おはようございます。
「夜川うそ」といいます。
私は副業として時々、WEBメディアさん等で文章を書いています。
お金が欲しいというのももちろんありますが、それ以上に「がむしゃらに書く」ということがしたくなる時にちょうどいいので、何気に続いています。
そんなに自分の意見は求められず、機械的にどんどん書けるので。
WEBメディアの記事は基本的にどこかから情報を集め、かみ砕いて読者に分かりやすく提供するものです。
だからと言ってはなんですが、記事にオリジナリティは要求されません。
むしろ個性を消したフラットな文章が好まれます。
実際、案件ごとにライターを募集しているというのは、誤解を恐れずに言えば「ある程度記事が書ければ誰でもいい」ということなのです。
私はそこに不満を抱いているというわけではありません。そういう仕事を好んでしているのです。
そんな私ですが、時折「こんなに書いたのだから少しは爪痕を残したい」と思うことがあります。
良くないことです。名の残らない仕事だと割り切って文章を書かせていただいているのに、そんな思いを抱いてしまうなんて。
でも、そんな思いが胸にたちこめてしまうのは事実です。
そんな時、私は「爪痕」を残してしまいます。
突然オリジナリティ全開の記事を書くようなことはしません。
言葉の端に、表現の癖に、私が書いたのだという叫びを込めるのです。
きっと誰も気づかないでしょう。
私でさえ、そのうち忘れていくと思います。
それでも、どこかのWEBサイトの一記事に私の爪痕が残っていると思うと、今日も少しだけ心が満たされるのです。
これはある種の承認欲求なのかもしれません。
いつかインターネットの大海の中から私が書いた名もなき記事を見つけ、「これは誰が書いたんだ」と私の事を探してくれるような人が現れないかと日々願っています。
きっとこうしてnoteに記事を投稿しているのも、そうした欲求を満たすためと言われればそうなのかもしれませんが、私の中では少し違います。
WEBライターの「誰か」が書いた記事だからこそ、少しでも足跡を残したくなるのです。
誰にも気づかれなくても。
ネットの海の底に沈んでいってしまっても。
そこに文章を綴る私の姿を重ね、ただ「生き続けてほしい」と願ってしまうのです。
いつかあなたに気づいてもらえたら、そんなことを考えながら今日もキーボードをなぞります。
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