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嵐の前の静けさ
私は今、毎日家で過ごしている。それは当たり前だと言われるかもしれないけど、こんなに毎日家で過ごす事は、人生を振り返っても本当に初めてのことだと思う。
幼少時から、私の父親は外に遊びに行くことが大好きだったように思う。最近訳あって、家族の写真アルバムをひっくり返して整理と処分をしていた。その写真たちは、常にどこかに出かけている家族の思い出が溢れていた。その後思春期に入り家族での外出が少なくなってからも、私は部活や遊びで忙しく外に出かける事が多くなり、もはやなるべく家に帰らない方法を考えていたように思う。
これが、外交的な父親の遺伝なのか、もしくは年々悪くなる家族の関係が故なのか。最終的には日本からも出たくなり、大学に入りバックパッカーでの旅を始め、果てしない地平線を見ては一人の世界に浸ったり、たくさんの知らない文化の人と会って話すことが好きだった。
そんな時代の私を知っている友人からは、最近変わったねとも言われることが多い。それはほぼ間違いなく、結婚と妊娠が大きい理由だと思う。社会人になって約4年間過ごしたインドネシアで、お付き合いする人と出会い昨年の末にプロポーズをされ、その2ヶ月後に妊娠し、翌月に日本に帰ってきた。それから半年経つ今、自身の気持ちを整理するために筆を取った次第である。
タイトルの「嵐の前の静けさ」とは、単刀直入に言いたい。ズバリ赤ちゃんが産まれる前の静けさという意味である。初産を迎える人にとって赤ちゃんを迎えることがどのように自分の生活に影響するか、はっきり分かることは難しい。なのでこの場合の「嵐」は、自分の気持ちも含んでいるのかもしれない。
今までの人生、嵐のように過ごしてきた。引越しの数は15回くらい。転校生、帰国子女、という肩書きで形成された子供時代は時に周囲と馴染みづらく、しかし次第に新しい人との距離の詰め方を覚えた。思春期の頃は家族が荒れに荒れて、人並みに自殺願望の行動や家出もした。大学受験や社会人になってからの仕事は、そんな状況で生まれた自分の中の燃える炎に従って、それこそ必死に生きてきた。
今、そんな私に静けさが来ている。それも、長く、深い静けさに思う。
最後の大きい嵐は、昨年の父親の死だった。人が死ぬと言う事は、どこかの世界で起こっている事ではない。一人の人生が終わるという事は、この世界から、周りの人を残して居なくなるという事だ。(私はカトリックだから、父親は神様のもとに昇天したと思っている。)
その時は突然にやってきて、私の心に凄まじい嵐を巻き起こした。その日は、私の26歳の誕生日だったんだ。2日後に、日本に帰って会いに行く予定だった。
それから半年かけて、仕事と実家の整理をしてきた。自分をリセットして、改めて向き合おうと思った。そして、心は自然に新しい家族が欲しくなった。
一年半経った今、結婚して、新しい赤ちゃんを迎えようとしている。
今、私に静けさがやってきた。今までの嵐があった分、遠い世界に居るように思える。落ち着いた毎日、安全で安静な家、静かに支えてくれている夫と周りの人たち。
時の流れが違うような、周りの音がちょっと離れていてるような。色は少し穏やかで、光はサラリとして柔らかい。風が吹けば、葉っぱの音と鳥のさえずりにふと気付く。
この間に何か考えるべきか、考えないべきか。それは自由だ。人は、何もしなくていいときにどうなるのか。何かやらなければと焦る時もあれば、何もやらなくていいとグータラする時もある。人間が生きることの意味とは、人として与えられた命の謳歌、周りの命との共存、社会への貢献、後継への繋がり、どこにあるのだろう。それは、毎日の忙しさから解放された時に根底から沸き起こってくる永遠の疑問だ。その答えは無い。
しかし、私が最近見えてきた新しい感覚がある。お腹の中に命が宿った。最初は母体の違和感、そして小さな心音、鼓動の確認。小さな生き物は成長して、今や母体のお腹の中を動き回り、暴れ、時に眠る。母体は栄養を吸い取られ、骨盤を緩ませて赤子を産み、母乳を与える。
これほどまでに、まさしく生物を感じることは非日常だった。それは父親が亡くなった時みたいに、かろうじて思考は追いつくまでも、抗うことの出来ない遥かに大きい力が牽引しているような感覚。1人の人間が生きて終わったように、この新しい1人の人間が始まる瞬間。それは2人の人間から創られた。なんて不思議なんだろう。
答えの無い疑問に苛まれつつも、この新しい感覚を静かな時の中で日々感じる。お腹の中で少し大きくなった命が動くたびに、1人の新たな人間が始まることを感じる。それは小さな脳を持ち、骨が出来て、臓器が機能している。
まるで、お腹の中に新しい小さな嵐が生まれているようだ。そしてあと1ヶ月で出てきて、大きな嵐となる。
無事に産まれたら、想定内外に関わらずあらゆる出来事に忙しくなる。私たちにとってこの先何が起こるか分からなくて、様々な感情が起きては揺れてを繰り返していくはずだ。
そんな事を感じているからこそ、今は深く静かな毎日を感じている。
まさに嵐の前の静けさだ。
この子にとっては、どんな人生になるのだろう。嵐のようかもしれないし、穏やかになるかもしれない。それはまた、別の話にして、今はこの毎日を享受しようと思う。