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合理性を追求しない:不便益7:伝統的価値観

人それぞれ考え方は異なります。
それはその人が育ってきた価値観によるとされていますが、その背景には文化があるようです。

イングルハート-ヴェルツェル図
アメリカの政治学者ロナルド・イングルハートは、「文化的な価値観は、社会的・経済的な要因に影響されるのではないか」と考え、それを調べるために、以下のような対立概念を図に表したのがイングルハート-ヴェルツェル図です。

  • 「伝統的価値(前近代社会)」vs「世俗ー合理的価値(近代社会)」

  • 「生存価値(産業社会)」vs「自己表現価値(ポスト産業社会)」

 伝統的価値というのは、権威や伝統的な家族の価値観を尊重し、宗教/親子関係を重要視する一方で、離婚/妊娠中絶/安楽死/自殺を否定するような価値観。世俗ー合理的価値というのはこれらにとらわれない価値観が想定されているそうです。他方、生存価値というのは生きて行くのに精一杯であること、自己表現価値は生きていく経済的な力はあるのでその上で自己表現に重きを置く、LGBTに代表されるような多様な生き方を認める価値観といったニュアンスのようです。
 「価値マップ」と考えると、縦軸が「伝統的価値(前近代)」と「世俗-合理的価値(近代)」、横軸が「生存価値(産業社会)」と「自己表現価値(ポスト産業社会)」になっています。要するに、左下が「生きていくだけでせいいっぱいの、掟や慣習でがんじがらめになった閉鎖社会(伽藍)」、右上が、「ひとびとが自由に“自己実現”できる開放社会(バザール)」です。
 日本の「ムラ社会性」と言われますが、ここでも述べられているように、世界の大半の国は日本よりもはるかに閉鎖社会で、日本は開放的な国で、アングロサクソンの国々(アメリカ、カナダ、オーストラリア)やヨーロッパ・プロテスタント圏(スウェーデン、オランダ)よりは劣りますが、フランス、イタリア、スペインなどヨーロッパ・カトリック圏の国々とほぼ同じの開放度で、全体の上位3分の1あたりに位置します(日本はアジアでもっとも開放的な社会です)。

日本語版
https://www.tachibana-akira.com/2012/05/4292
2020年版(最新)
https://www.worldvaluessurvey.org/WVSContents.jsp...

合理的価値が強いが故に・・・
 
この評価は、時代により変わりますが、今は合理的価値観が強いのが日本の特徴であり、合理的ではない伝統的な価値観は軽視されてしまいます。例えば着物です。着物は崩れるし、めんどくさいと思いますが、その着こなしには以下のように意味があります。

 帯は衣服を留めて整える役割だけでなく、姿勢保持機能も備えている。そもそも帯は、ベルトとは巻く位置が異なる。ベルトはウェストに巻くが、帯は骨盤上部に巻く。帯でサポートすれば骨盤が後傾せず、自然と背すじも伸びる。まさに腰(骨盤)がカラダの要であることを、日本人は古くから理解していたのである。
 仮に猫背になると、襟が緩んで形が崩れ、骨盤上部に巻かれていた帯は、ウェストの方へとずれ、着崩れの原因に。着物には服の状態を固定するボタンやファスナーがないため、姿勢や動作が崩れると着付けも乱れる。
着物を着こなすということは、日常動作や立ち居振る舞いが整うということでもある

Tarzanより

 伝統的な所作や振る舞いには、めんどくさいことも沢山ありますが、色々な視点から考えると理にかなっていることも多く、長期的な視点に立てば合理的なのですが、短期的な合理性を追求するとそれは無駄なように見える。
 そう考えると合理的かどうかはどの視点を見て考えるかで意味は大きく異なります。健康を考えるのであれば、短期的な合理性ではなく、長期的な合理性が大切なのかもしれません。そうなれば、伝統文化や伝統習慣はとても理にかなっており、養生も短期的に考えればめんどくさいが、長期的には素晴らしい合理的な生き方なのです。

引用:Tarzan
日本文化の伝統から学ぶ、骨盤の使い方と重要性 | Tarzan Web(ターザンウェブ)

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