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「夜明けのスイッチをいれて」後記

こんばんは。よじすぎです。
あっという間に2022年も11月まで来てしまい、徐々に年末ムードとなってきました。
この時期になると感覚的に3月くらいまで一瞬で経ってしまうので、気をしっかりと持たないとなと思います。

さて、表題についてですが、私が2021年の6月に公開したゲーム「夜明けのスイッチをいれて」に関しての思いを書いていこうという記事になります。

作者が自分の作ったものについてあーだこーだ言うのは蛇足だっていう意見もあると思いますし、興味のある方だけ目を通して頂ければと思います。

もちろんですがゲームシナリオの内容のネタバレが含まれるので、それが嫌な方もブラウザバック推奨です……そして良ければゲームを遊んで下さい…!


以下、ストーリーのあらすじを追っていきますので、初見の方もこれを読めば一応着いて来れると思います。

あらすじ

プレイヤーが操作することになる「ヒュウガ レナ」
高校2年生。基本的に無気力なキャラであまり自分の意思を持っていない設定。

レナは特にやりたいことや、進路希望もなく漠然と日々を過ごしています。
そんなある日の放課後に美術室にて「ツキ」と出会い二人は仲良くなります。

「ホシノ ツキシロ」名前が長いので自他ともにツキと呼んでいる。
よく笑い、人当たりも良い。何より絵を描くことが好きである。

主人公のレナは、自分を持ちやりたいことを持っているツキに憧れ、行動を共にするようになります。なりますが、ツキの両親はかなりの毒であり、ツキの絵を燃やしたり暴力を加えたりし彼女を精神的に追い詰めていきます。
行き場を無くしてしまったツキは、自室で薬を飲み、命を絶ちます。

帰って来ると、母親に絵を燃やされていた


ゲームは、ツキの葬儀のシーンから始まる

唯一の友達だったツキを失ったレナは、しばらく暗い生活を送っていた。
そんなある日、死んだはずのツキから連絡が届きます。「今から会えないか」というのだ。レナが会いに行くとそこにはツキの姿。聞くと、親の意向によりアンドロイド手術を受け、アンドロイドの体となり生き返ったらしい。
この世界観ではアンドロイド化(攻殻機動隊で言うところの義体化)技術の黎明期であり、死者の意識を模したアンドロイドを作ることや、記憶を脳から抽出することへの倫理観などが追い付いていない設定。

アンドロイドとなったツキは、自分は死にたかったのにまたしても親の手によって阻まれてしまい、生き返らされてしまったことに不満を感じています。
また、数日後に控える「更生手術」(アンドロイドの意識を初期化、自分の思うような性格や人格に上書きすること)を知っているツキは、再度の自殺を図ります。

そこで邪魔になってくるのが「ロボット工学三原則」、興味があれば調べてみて欲しいですがこれの第3条に「ロボットは自己を守らなけらばならない」というのがあります。ロボットは自分の意思で壊れることも許されないということですね。

ツキは、手術までの数日間にレナとの深夜徘徊を楽しみます。

神社、光の表現が今でも気に入っている
公園、ゾウさんの置物は実家のそばにあった公園が元ネタ
夜中の公園で打ち上げ花火って出来たらいいなというところから

そして来たる手術前日、レナはツキにあるところへ連れていかれます。
そこは壊れたロボットが行きつく場所、アンドロイド廃棄場。

ツキは廃棄場の一室でプラグを首の端子に挿し、レナに言う。
「スイッチを、いれて」

自分で死ぬことが出来ないツキに出来ること
自分を殺してくれと、親友であるレナに頼むこと

ここでこのゲームの山場が来ます。私はこのシーンを作りたいがためにこのゲームを作ったと言っても過言ではないです。

プレイヤーは、スイッチを「いれる」「いれない」の二択を迫られます。

スイッチをいれること、ツキを殺すこと、ツキを助けること
スイッチをいれないこと、ツキを殺さないこと、ツキを助けないこと

もうなにがなんでもここはやりたかったシーンです。
ここの選択肢の分岐でエンディングが変わるのです。
プレイヤーの中には「どちらも選べない」「待っていたら3つ目の選択肢が…」のように反応して下さる方もいました。が、私は絶対に二択を迫りたかった。
どうにもならないこと、どちらかに決めないといけないことっていうのは必ずどこかで突き当たります。究極の二択みたいなものをプレイヤーに迫ってみたかったのです。

ここからは分岐したのちのエンディングについてですが、実際のところ「いれる」を選択した場合がこの話のTRUEだと思ってます。エンディング曲もエンドロールも流れますし。

・「スイッチをいれる」場合
パチン、とスイッチをいれる音がする。
ツキの体に電流が走り、故障するらしい。「ありがとう」と告げ、ツキはレナの腕の中で息を引き取る。

このままエンドロールへと向かいます。後日譚などは特にありません。
→ED「夜明け」

・「スイッチをいれない」場合

やはりツキを死なせてあげる選択肢は取れなかったレナ、「ごめん」とツキに謝る。「いいの、気にしないで」とツキは気丈に振舞うが二人の間にはぎこちない空気が流れる。
結局この日はそのまま解散し、後日へと話は進む。

ツキの手術は成功し、記憶はリセットされた。
彼女はいい生徒、いい娘として生活に戻っていくだろう。
一方でレナは、廃棄場でツキを救うことが出来なかったことが忘れられず、部屋に引きこもるようになってしまう。
ツキと顔を合わせても何を言っていいか分からない。
→ED「忘れられたらいいのに」

このゲームの主人公

さて「ゲームの主人公は誰でしょう?」と言われれば、「プレイヤーが操作するキャラクター」と返すのが普通かなと思います。

マリオの主人公はマリオだし、スプラの主人公は自分が操作するイカちゃん、恋愛ゲームだったら主人公の名前は自分が好きにつけて、主人公=プレイヤーという状態を作ることも出来ると思います。

全部のゲームに主人公が居るわけではないですし、先の例にしてもジャンルがアクションなのか、ADVなのか、シミュレーションなのか…によって微妙な差異はあると思いますが、「プレイヤーが操作するキャラクター=主人公→プレイヤー=主人公」という構造は基本的には変わらないと思います。

その理屈でいくと、このゲームの主人公は操作キャラである「レナ」であることになります。

しかし、物語としての主人公は本当にレナで良かったのだろうか。

この物語の主人公

改めて話を追っていくと、物語としての主人公は「ツキ」であるなと思います。

カクヨムの”きちんと学びたい人のための小説の書き方講座”によれば、主人公は以下のような人物です。

▼主人公は誰か
 最初のステップは、主役はいったい誰なのかを決めることです。カクヨムで投稿されている小説の多くは、一人称モノが多く、主人公が誰なのかという点で迷っている人は少ないかと思いますが、もしこの時点で主役が決まっていないようであれば、その物語の中で一番大変な目に遭う人が誰なのかを考えてみましょう。一番苦しむ人、一番感情的な人、物語を通して一番変化がある人、それが主人公です。

https://kakuyomu.jp/works/1177354055193794270/episodes/1177354055582821186

その物語の中で一番大変な目に遭う・一番苦しむ・一番感情的・一番変化がある人。

この考えをベースに、レナとツキを比較してみます。

レナ:親友ツキの死・喪失、進路が決まっていない・やりたいことがない、ツキからスイッチをいれることを迫られる
ED1ツキの頼みを聞いてスイッチをいれる。倒れたツキを抱いたまま泣きながら物語を終える。
ED2ツキを殺す選択肢を取れない。ツキに対して合わせる顔が無く不登校に。どんどん自己嫌悪のループにハマり、病んでいってしまう。

→物語を通してもレナのやりたいことや進路は決まらない(変化はない)
スイッチをいれるいれないで、苦しんだり葛藤はある

ツキ:自分の夢を親に否定される、追い詰められて自殺、しかし親のエゴによりアンドロイドとなり生き返る、レナと再開する、記憶を消されてしまうことを知りレナに助けを求める(二度目の自殺を試みる)
ED1二度目の自殺に成功する。親の思い通りにならず、ツキの意志が残ったまま死ぬ。
ED2記憶を消去される。親の望む通りの子供になる。そのままアンドロイドとして、恐らく幸せに暮らす。

→ツキを取り巻く色々なことがこの物語を動かしていく。
ツキの家庭問題、ツキの自殺、アンドロイド化、スイッチをいれるいれない。

さて、2人の内下に当てはまるのはどちらかと言えば

その物語の中で一番大変な目に遭う人が誰なのかを考えてみましょう。一番苦しむ人、一番感情的な人、物語を通して一番変化がある人、それが主人公です。

圧倒的にツキシロですね。

レナもレナで、友人に「助けて欲しい(死なせて欲しい)」と頼まれるわけなので大変には大変なのですが、そもそもツキは自殺しちゃうくらい大変だったところからスタートしているわけです。

そして、再度の死を決断しそれをレナに頼もうというところまで決める。
最終的にどちらのエンディングに至ったとしても、ツキシロには明確な変化があります。

あくまでレナは補助的な存在で、あまり自我を持っていません。
自我を持たせすぎて、「レナだったらこうするだろうな」が強くなってしまうと、プレイヤー自身の選択を阻害してしまう場合があるなと思ったうえでのことなのですが、こうして俯瞰してみると圧倒的に何もないんですよね…

作り手側である自分もそれを重々承知していたようで、アクキーに関してはツキしか作っていない体たらく。

ゲームの主人公(プレイヤーキャラクター)と、物語としての主人公が一致している必要があるかないかという話はいろいろあるような気がしますが、
今の私は出来るだけ一致している方が良いかな…と思っています。

それは、現実では感じとりにくい自分の変化なり成長なりをゲームの中では疑似的に体験でき、場合によっては一生心のどこかに残るような記憶になるからです。
映画や小説でも主人公の視点から物事を写すことによって、主人公の成長や経験を自分のものとして疑似体験することは出来ると思いますが、ゲームとなれば自分でコントローラーを握り、自分で操作し、自分で決定ボタンを押し、自分で選択を取り…と能動的な行動が取れるので、より体験が深いように思うんですよね。

アクションゲームのプレイヤースキルの向上(スプラトゥーンでたくさん勝てるようになったとか、強いボスキャラを倒せるようになったとか、あとはランクが上がるとか)は正にプレイヤー自身の成長だし、達成感と直結しますよね。
RPGで戦っていけば行くほど能力値やレベルが上がるのも、変化の一つかなと思います。強い呪文が使えるようになって、今までより敵が簡単に倒しやすくなるとか。

主人公、プレイヤーキャラクターには細々としていても変化があることが重要だと思っていて、シナリオ重視のゲームであればそれをシナリオ内で用意させてあげる必要があったのかなと、今となっては思います。

どうしたらレナは主人公になれたのか

では、どうしたらレナが主人公になることが出来たのでしょうか。
答えはシンプルで、変化を与えればよかったのです。

担任との進路相談も彼女には面倒くさいだけのイベントだった

そもそも「自分にあまり意思を持てない」「自分の進路が決まっていない=やりたいことが決まっていない」状態であったレナが、このゲームが終わった後も特に状態が変わっていないんですよね。

それこそツキと出会って、自分も何かに燃えてみるとか。
ツキが死んでしまったことを悔いて、こんなことが繰り返されないようにアンドロイド技術に対して何かアプローチするとか。
ツキの両親に殴り込みに行ってみるとか。

どんなことでもいいと思うんですが、彼女の中で何かそういった心境の変化が欲しかったかなと思います。

このゲームはGoogleフォームにて感想を集っているのですが、その中に以下のような感想がありました。

小さい中にしっかり描きたい内容がまとまっていてよかったです。
以下は、不満とかそういうわけではなくただの余談です。
ツキを終わらせてあげたレナは、彼女の死と向き合い、別れを選べたのだと思います。 でも、ボタンを押せなかったレナは、何かを選べたのでしょうか。 自分には、友人の最後の頼みを聞いてあげることすらできないと、夢も希望もない、平凡で無力な高校生としての現実を突きつけられ、打ちひしがれたのではないでしょうか。
生きて欲しいと願うわけでもなく、友人を友人のまま死なせてあげる勇気も持てなかった彼女には、もう少し思い悩んだり、無駄な抵抗をする姿を見せてほしかったです。

短くシンプルなストーリーでありながらも、すごくよかったです。
ラストの展開と主題歌が感情を揺さぶってきました。
もう少し二人のやり取りと、レナのバックボーンやツキと出会ったことによる人生の変化、二度の死による喪失とそれが与えたレナの人生への影響を見てみたかったと思います。
あと、クリア後のおまけみたいなのも欲しかったかもしれないです。 個人的にとても楽しめたので、次の作品も期待してます。

まずは感想をくださった皆さんに感謝を…(本当にありがとうございます)
それと勝手に引用してすみません、まずそうだったら消しますので…

夜明けのスイッチをいれてを作り終えた直後にこれらの感想を読んだときは、「今のストーリーが一番ええんや!俺なりに頑張ったんや!」みたいなマインドでしたが、冷静に今読み返してみるととてもまっとうなコメントくれてますね…ありがとうございます本当に。

やはり主人公であるレナの描写まわりが甘かったように思いますし、それを感じてコメントをくださるプレイヤーもいたということです。

この物語を経たことでレナにどのような内面的、外面的な変化があったのかというのは描くことが出来たらよかったのかなと思います。

ツキの思い

そもそもツキちゃんはなぜ自殺してしまったのでしょうか。
あまりにも家庭環境が良くなかったため、それから逃げ出すため死という選択を取ることしかできなかったことはそうなんです。

そうなんですが、例えばその負のエネルギーを絵にぶつけることで昇華したり、もう家から逃げ出してしまったりとそういう選択肢もあったのではないでしょうか。

この物語の中では、ツキの「絵を描くことが好き」というのが上手く主題と絡み合わず死に設定になってしまったように思います。
絵を描くのが好きで、今はそれがやりたいことで、将来もそれについて考えているような女の子がいて、あまりにも酷い親に意地悪をされたとして絵を諦めることに繋がるのでしょうか。

メンタルの強さなり、人それぞれだとは思いますが、「絵を燃やされてしまった」→「もうやってられない、辛いから死んでしまおう」というところしか書いていて思いつかなかったのはちょっと安直すぎるかなと、今では思います。

なにくそとものすごく反発してみたりだとか、してみても良かったのかもしれない。ただ、勢いで死んでしまうことが実際にあることは分かります。自分も経験がありますし。

2年前の夏ごろに本当に仕事に行きたくない、行けない。というタイミングがあって、でもそれでも仕事に行かなければもっと自分の中でしんどくなってしまうし、より苦しくなってしまう。
その時は駅に行くのが怖かった。
全然死にたいと思わない、むしろもっと生きたいと自分自身は思っていても、「今日このまま駅に行ったらフラっと線路に飛び込んでしまうのではないか。吸い込まれてしまうのではないか。」という考えが頭の中をグルグルと巡り続ける。
そして何よりも怖いのが、自分が飛び込まない。と断言できないような精神状態だったことがより恐怖を加速させました。
駅に行ったら飛び込まない確証がない、怖い。
このことを当時の恋人に伝えたら、「本当に死なないでね」と真剣な顔で言われました。あれが人生で初めて人から本気で心配されたセリフだったのかもしれない。

結局その日は駅に行き、ホームの真ん中のベンチに深く座り、拳を強く握りしめながら電車が止まるまで待ちました。
電車が来る、来る、ホームに入る…ってところまではとてもドキドキしていましたが、しっかり電車が止まってからは「もう大丈夫だ」と安心することが出来ました。それ以降はこのようなことは起きていません。

「魔が差す」という言葉があります。

ま【魔】 が 差(さ)す
心の中に悪魔がはいったように、ふと悪念を起こす。 思いもよらない出来心を起こす。


僕はこの、魔が差す瞬間って実際にあると思っていて。
気持ちが沈んでいる時とかちょっと体調が悪い時とか、そういう時にふっと心に隙間が出来てしまう。その隙間を悪魔に入り込まれてしまって、普段と違う人のような行動を取ってしまう。

今回のツキに関しても魔が差してしまったように思っています。
普段から耐えて耐えて苦しかったものが、ある日プツンと切れてしまい、大量に薬を飲んで自殺してしまった……

アンドロイドとして生き返ったツキからは、一言絵についてのセリフはありませんでした。書き手の僕の中で、ツキが絵を描く必然性や信念というのは描き切れず、考えきれなかったのかなと思います。
結果としてツキは自殺する必要があって、生き返らせる必要があって、そのトリガーとして大事にしている自分の絵を破かれて…というのを置いただけで、そこはちょっと弱かったのかなと今は思います。

アンドロイド化してももう一度筆をとるとか、描いてみた結果思うようにいかなくなってやっぱり悔しくなるとか、そういう描写があるともう少し深くなったのかな。

ツキにとっての日常:終わらない夜
それを終わらせるための破壊装置⇒夜明けのスイッチ?
レナの気持ちを全然考えていなかったり、自分には破壊してもらうしか道がないと思い込んでいたり、そういう身勝手で愚かな部分が思考する余裕を毒親に奪われた未熟な子どもという感じがしてリアルだった
絵の道やレナと花火を見る話などを諦めて壊れることを選ぶのは夜明けを見るのを諦めることに等しいのでは?
逆にもしあのままレナがツキを連れて遠くへ逃げて手術を逃れ、一緒に夜明けを見て別の方法を改めて二人で考えるエンドがあったら、あの破壊装置ではなくレナ自身がツキシロにとっての夜明けのスイッチになれたのかなとか思った

また感想フォームから引用してきました。
このEDがあれば、レナがレナである必要があるし、プレイヤーとしてもツキを助けることが出来るので読後感としてはいいものになりそうですね。

僕が鬱展開が好きというのもあって…どちらを選んでも救いがないっていうのは書きたかったので今回のような二択になりました。

なぜこんな記事を?

さて、物語についての反省なり思いなりはここまでにして。
そもそも私がこの記事を書くに至った理由をお話ししようと思います。

先にもありましたが、「夜明けのスイッチをいれて」は2021年6月に航海されたゲームになります。コミティアやデジゲー博などイベントでの販売と、BOOTHでのDL販売などを行い、ありがたいことにたくさんの人に買ってもらえました。
ゲームって1000円もするし、僕のゲームは人のと比べてボリュームが圧倒的に足りてないので非常に申し訳ないなと思いながら、とても感謝しています。本当にみなさんありがとうございます。

公開してから1年半ほど経過し、徐々にゲームの購買ペースも落ちてきたため、そろそろ遊びたい人の手には行き渡った頃かなと思いました。
このゲームはWindowsPC向けのもので、MacユーザーやそもそもPC環境が無い方は遊べない状況です。
昔「そのうちMacで出しますよ。iPhoneでも出しますよ。」と調子がいいことを言っていた時期もありますが、費用対効果(時間的なものが大きい)としてあんまり過去作を多くのハードに対応していくことよりも、新作を作っていくことの方が自分にとっても、応援してくれている方々にとっても良いことだろうなと思っています。
ここで断言しますが、夜明けのスイッチをいれてに関してはこれ以上手を加えることは無いですし、Mac用、スマホ用に対応する予定はありません。
楽しみにしてくださった方は申し訳ありません。

ただこのまま終わらすのももったいないなと思って。
折角初めてシナリオらしいシナリオを書いたゲームなので、あらすじだけでも文字媒体で読んでもらえたらなとこの記事を書きました。

主目的は自分の気持ちの整理が大きいんですが、よじすぎのゲームなり話鳴りを知りたいけどPCが無いなり時間が無いなり機会が無いなりの方に届けばなと。

また、ようやく次回作に向けて進めそうな心境となって来たので一度決着を付けておこうというのもあります。

次回作について

ちょっと前のコミティアにて、「Project:96」の試遊を展示しました。
試遊といってもほんの数分だけ会話が出来る程度で、実際にゲーム内容の深いところまでは遊べません。(というかそこまで実装できていない)

タイトルからも分かるとおり、九龍城塞を舞台としたお話です。
どちらかというと僕が九龍に興味があるので、九龍先行で考えているため、タイトルなりは全部仮です…。

割とキャラクターのドットは可愛くかけたんじゃないでしょうか(自画自賛)あんまり練習などが好きじゃないのでゲーム作る時くらいしかドットを書かないんですが、ちょっとずつでも成長しているのかもしれません。

現在はシナリオを書いている段階です、僕のゲームはもうお話がメインだと思っていいので、とにかくシナリオを書きあげないことには何も進まないと今になってようやく気付きました。

なのでシナリオが書きあがるころにはもしかしたら登場人物も変っていることすらあるのかもしれない……(描き直しだ……)

ゲームダンジョンは今のままの試遊を持って行く可能性が高いので暖かい目で見てくださると嬉しいです。これからもマイペースに頑張っていきますので、応援よろしくお願いします。

こんなに長い文を読んで下さりありがとうございました。よじすぎでした。

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